(巻二十七)言ひ過ぎしあとの寡黙や蝿を打つ(東洸陽)
(巻二十七)言ひ過ぎしあとの寡黙や蝿を打つ(東洸陽)10月24日土曜日こちらに引っ越してきたときに義妹からお祝いにいただいた食器乾燥機が草臥れてきた。加えて、老夫婦二人の世帯になったので皿数などもずいぶんと減った。そこで、食器乾燥機を廃し、普通のラックを買うことになり、駅前のニトリへ細君と出掛けた。迷うこともなく写真の品を買い、ほかに皿二枚とバター容器を買った。露の世の洗ひ続けて箸茶碗(橋本喜美枝)...
View Article「眠狂四郎の生誕 - 柴田錬三郎」柴田錬三郎選集18随筆エッセイ集 から
作家は、小説作りの楽屋話をするのを、あまり好まないらしい。私も、好きではない。それぞれの商売には、コツがあり、そのコツをしゃべってしまっては、ミもフタもなかろうし、専売特許を公開する必要はない。たしかに、これは、秘密にしておくべき手の内なのだが、凡夫というものは、ときどきなにもかも面倒くさくなって、あらいざらいさらけ出したくなる衝動にかられるものである。私など、べつに、われから好んで、剣豪作家になっ...
View Article(巻二十七)垂れ込めて腹くだしたる我鬼忌かな(石田波郷)
(巻二十七)垂れ込めて腹くだしたる我鬼忌かな(石田波郷)10月25日日曜日生協に出かけた細君が単価30円を切った(30枚で700円)マスクを買って帰ってきた。ついでに花屋でフォックス・フェースも買ってきた。寝る前に、そのフォックス・フェースに手を合わせて御加護をお願いしている。フォックス・フェースもお稲荷さんにされてしまった。下町はどこにも稲荷いてふ散る(上井正司)散歩:高校コースを歩いた。修徳のピ...
View Article「さびれた街の誘い - 高田渡」ちくま文庫 バーボン・ストリート・ブルース から
ツアーで全国各地を回るようになったのは、高石音楽事務所に所属してからのことだ。事務所に所属したいたのは一年ぐらいだったが、その間に日本中ほとんど回ったと思う。とりわけ岡林信康と五つの赤い風船とはよくいっしょにツアーに出た。ツアーとなると四六時中顔を突き合わせているわけだが、お互いの領域には踏み込まないようにしていたから、仲は決して悪くはなかった。ただ一度だけ、岡林信康と大ゲンカをした。僕は小さいころ...
View Article(巻二十七)気休めに貼る湿布薬いわし雲(ひさきひでこ)
(巻二十七)気休めに貼る湿布薬いわし雲(ひさきひでこ)10月26日月曜日実に長閑な秋の日でございました。先ずは夏場お世話になったタオルケットと併せて枕カバーなどの洗濯をいたし、タンスの礼服などに風通しを致しました。午後は冬物の下着を買いにモールまで出かけ、長袖とタイツを仕入れました。パンツ4枚、タイツ2枚、長袖2枚で8500円でした。マネキンを下着で立たせ夏に入る(丸井巴水)本日は六千七百歩で階段は...
View Article「哲学は疑う - 土屋賢二」幸・不幸の分かれ道 から
同じ境遇でも、ものの考え方がちがうだけで幸福だと感じる人と不幸だと感じる人がいます。極端に言えば、ふつうなら考えられないほど不幸な境遇にあるのに幸福そうにしている人がありえます。そういう人は少数ですが、実際に存在しています。ものの考え方で幸福か不幸かが決まることがあるのです。本当は不幸でも何でもないのに、考え違いをしているために不幸になったりしたら、くやしい気持ちになるのではないでしょうか。そうでな...
View Article(巻二十七)忘れ居し金一両や暮の春(菅原師竹)
(巻二十七)忘れ居し金一両や暮の春(菅原師竹)10月27日火曜日写真は昨日買い物帰りに参拝した香取神社です。初詣はどうなるのだろうか。散歩は高校コースで修徳のグランド前を3時前に歩いたら、まだ体育授業であった。男子が体育授業でソフトボールをしていたのだが、ソフトボールができないようだ。打者が立つがどの男子もバットがしっかり振れないのであるよ。ピッチャーもストライクが投げられず四球の連発である。多少の...
View Article「我老いたり - 正宗白鳥」お金本 から
金の多寡[たか]によつて人間の価値は極まらぬとは教養ある人士の定説となつてゐるやうだが、その定説も頼りないので、事実に於いて、多くの場合、金次第で人間価値は極まるのである。かつて実業界の快男児福澤桃介の人間観金銭観はさういふ事であつたらしい。どうして福澤桃介なんかを、不意に思ひ出したかと云ふと、私は、数十年前、「改造」の懸賞募集原稿を審査してゐた時、歌人杉浦みどり子の小説に、題材の面白さを感じた。こ...
View Article(巻二十七)歯科に口あけたるままの窓に花(久田草木)
(巻二十七)歯科に口あけたるままの窓に花(久田草木)10月28日水曜日健康・不健康:泌尿器科に参る。採血の結果が良かった。数値が下がったので四十ミリから二十ミリに薬が替わった。それはよいのだが、昨晩寝ている間に足がツッたようで痛みが残っている。そんなわけで今日は往復バスに乗ってしまった。万事支障なくというわけにはなかなかいかない。泌尿器科真つ赤な薔薇の置き処(是松みつを)散歩:午後になり、痛みも癒え...
View Article「白熱講義のマナー - 福岡伸一」中公文庫 楽しむマナー から
村上春樹の「羊をめぐる冒険」の中ほど、主人公がいよいよ北海道に羊を探しにいく朝、「僕」とリムジンの運転手のあいだに議論が展開される場面がある。それは、猫にいわしと命名したことに端を発する、名づけることについての議論だった。〈「しかしさ、もし名前の根本が生命の意識交流作業にあるとしたらだよ。どうして駅や公園や野球場には名前がついているんだろう?生命体じゃないのにさ」「だって駅に名前がなきゃ困るじゃあり...
View Article(巻二十七)罪の香と罰の色なり紅薔薇(物江里人)
巻二十七)罪の香と罰の色なり紅薔薇(物江里人)10月29日木曜日秋晴れでありました。秋の空高きは深き水の色(松根東洋城)特に家事もなく、午後は本が届いていたので駅前の図書サービスカウンターまで往復を歩いた。本日は六千六百歩で階段2回でした。3冊借りたのだが、そのうちの一冊が、「鍵・瘋癲老人日記 -...
View Article「芸者の玉代 - 野口富士男」ウェッジ文庫 作家の手 から
いま「玉代」を「ギョク代」と読める読者は幾人いるだろう。半年ほど前、早大の平岡篤頼教授に会ったら、学校で文庫の「花柳小説名作選」をテキストにして講義中だが、学生は「半玉」を「ハンタマ」と読むと言っていた。玉代も半玉も花柳界だけの特殊な用語だから、読めなくて当然である。国語辞典で「玉代」をみると「芸妓・娼妓の揚げ代」とあって、「あげる」の用例をみると「芸者を座に呼んで遊興する」と出ている。単位は土地に...
View Article(巻二十七)不器用に林檎剥きいて世を憂ふ(大牧広)
(巻二十七)不器用に林檎剥きいて世を憂ふ(大牧広)10月30日金曜日午前中、細君は歯医者へ出かけた。夫婦して週に一度は何かしらの医者通いであります。散歩:高校コースを歩いた。とある庭先のミカンが大分熟してきたようだ。初生りの蜜柑初生りらしきかな(梅村文子)本日は三千五百歩で階段は2回でした。世相:『...
View Article「きつい鉋[かんな]をかけられて ー 早坂曉」文春文庫 95年版ベスト・エッセイ集 から
「胆嚢癌です」主治医から、はっきり告知されたときは正直言ってもう駄目かなと思った。なにしろ心筋梗塞で倒れ、心臓手術を待っているときの癌発見である。それもかなり進行しているらしく、「早坂さん、好きなものを食べていいですよ」と言うではないか。「いままでで、一番の鉋だな......」“鉋”とは、ある宮大工がつぶやくように教えてくれた「木というんは、結局のところ鉋をかけてみんと分かりません」のこと。素直な佇...
View Article(巻二十七)抵抗を感ずる熱さ煖炉あり(後藤夜半)
(巻二十七)抵抗を感ずる熱さ煖炉あり(後藤夜半)10月31日土曜日本日も秋晴れであります。洗濯物はよく乾くし、毛布を干すので夜が温かい。秋晴や宙にえがきて字を教ふ(島谷征良)角川俳句9月号が届いたと連絡があり、駅前に向かう。途中の団地の公園では今年もいつもの年と変わらず冬の電飾の取り付け作業が行われていた。例年通りとか恒例のとかいう枕詞を聞くのが嬉しい。少しホッとして僅かに安心する。電飾を取り付く小...
View Article「機関士ナポレオンの退職(清水廖人作)の解説 - 原口隆行」鉄道ジャーナル社 文学の中の鉄道 から
清水廖人は、ほかに職業を持ちながらその生涯の大半を群馬県の松井田町(現在は安中市松井田町)横川で過ごした作家だった。廖人というのは筆名で、本名は良信といった。戦時中、泰緬[たいめん]鉄道の建設に従事、昭和二十一年(一九四六)に復員して国鉄に入り、蒸気機関車の罐焚[かまた]き(機関助士)を経験した。その後、家庭の事情もあって郷里に戻り、横川機関区の碓氷峠(横軽)の険峻を行き来する電気機関車の機関士とし...
View Article(巻二十七)あきかぜのなかの周回おくれかな(しなだしん)
(巻二十七)あきかぜのなかの周回おくれかな(しなだしん)11月1日日曜日細君が生協に秋刀魚を買いに行っている間にパジャマのズボンのゴム通しをした。パンツやタイツに比べでパジャマのゴムは弛くなり易いが、寝ているときに締め付けられるのもよろしくないからやむを得ないのだろう。ゴム紐の端は調節し易いように長めにしておいた。近頃は入院するとパジャマは病院で借りなければいけない。そのために新しいパジャマを準備し...
View Article「いろんな人 - 出久根達郎」文春文庫 95年版ベスト・エッセイ集 から
ポン引きに誘われて、宇都宮から足尾の銅山まで山越えの途中、赤い毛布をかぶった男と道づれになる。男は「茨城か何かの田舎もので、鼻から逃げる妙な発音をする。」「この芋はええエモだ」などと言う。とは、漱石作『坑夫』のひとくだりだが、まさしく私がその「茨城か何かの田舎もの」で、赤毛布[あかげつと]こそかぶらなかったが、似たようないでたちにて東京へ出てきた。やっぱり「鼻から逃げる妙な発音」をしていて、皆に笑わ...
View Article(巻二十七)つつがなく目鼻耳口文化の日(隈元拓夫)
(巻二十七)つつがなく目鼻耳口文化の日(隈元拓夫) 11月2日月曜日 今日は窓拭きの日となり南側の4枚裏表を拭いた。細君の家事記録に拠れば6月以来の窓拭きである。網戸も拭[ぬぐ]ったがそれほどの土埃は溜まっていたなかった。これからの季節は結露結露と喧[やかま]しく云われるのだろう。 鳶見えて冬あたたかやガラス窓(正岡子規)...
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