Quantcast
Channel: nprtheeconomistworld’s blog
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3329

「心を支えるシェイクスピアの言葉(5篇抜書) ー 河合祥一郎」

$
0
0

 

「心を支えるシェイクスピアの言葉(5篇抜書) ー 河合祥一郎

 

1ー2、

しかたがないことは、気にしないこと。
やってしまったことは、済んだことです。

マクベス』第三幕第二場

Things without all remedy
Should be without regard. What’s done is done. 
Macbeth, Act 3 Scene 2

マクベスはダンカン王を殺して王位に就きはしたものの、魔女に「王を生み出す者」と予言されたバンクォーは生きており、マクベスの不安は尽きない。自分はバンクォーの末裔のために殺人を犯したのかと不安に苛まれる。「こうしていても何にもならぬ。安心してこうしているのでなければ」(第三幕第一場)と考えるマクベスは、不安に駆られるあまり「俺の心はサソリでいっぱいだ」とまで言う。ダンカン王を殺した直後から殺害を後悔していたマクベスだが、マクベス夫人はそんな夫に対して、「やってしまったことを後悔してもしかたがない」と諭す。
ところが、この後、マクベス夫人の方が先に精神をやられ、夢遊病となって、夜、ベッドから抜け出てさまよい、手についた染みをこすり落とそうといつまでも手をこすりながら、そこにいない夫に向かって「やってしまったことは、もとにはもどりません」(What's done cannot be undone)と言う。この台詞と呼応する台詞だ。
ここでは、過去を水に流して忘れることを促している。思い煩ってもどうにもならないことをいつまでもくよくよ考えてもしかたがない。それよりも、これからどうしたらよいかを考えるべきだろう。
失敗したときに思い出すとよい台詞だ。

 

1ー15
ほんの一分遅すぎたなんてことになるより三時間早すぎる方がましだ。

ウィンザーの陽気な女房たち』第二幕第二場

Better three hours too soon than a minute too late. 
The Merry Wives of Windsor. Act 2  Scene 2

 

焼き餅焼きの亭主フォードは、十一時に妻が間男と密会するという情報をつかんで、その現場を絶対に捕まえてやろうと思ってこう言う。
機会(チャンス)の女神には前髪しかなく、後頭部が禿げているため、前から来るところを捕まえるしかない。一度逃したら、あとから捕まえることはできないと言われていた。成功したかったら早め早めにとりかかり、準備することだ。ぎりぎり何とか間に合えばいいという発想では失敗する。
待ち合わせの時間にも絶対に遅れてはいけない。そうした基本的なことをきちんと厳守する人でなけられば、信頼されない。
忙しいからどうしてもぎりぎりになってしまうのはしかたがないという言い訳はやめよう。「忙しい」という言葉を連呼する人ほど、時間の使い方が下手な人だ。発想を切り替えよう、「忙しい」と感じるのは時間が足りないからであって、それは仕事が遅い(能力が足りない)か、能力以上の仕事を引き受けすぎているかのどちらかだ。
成功への道は早めの十全な準備しかないのだから、いつも駆け込みで間に合わせるような仕事をしている人は、立ち止まって自分の仕事を考え直した方がいい。
早め早めにとりかかるのが成功への秘訣だ。 

 

4ー8
橋は河の幅だけあれば間に合うだろう。目的にかなうのが肝要だ。
『から騒ぎ』第一幕第一場

What need the bridge much broader than the flood?
The fairest grant is the necessity.
Much Ado about Nothing, Act 1 Scene 1

アラゴン領主ドン・ペドロは、部下の若き武人クローディオがメッシーナ知事の娘ヒアローに恋したことを打ち明けられて、こう応える。話はわかったから、余計なことを長々と付け加えなくてよいという意味。
仕事を一つ仕上げるにも、念入りにやろうとしたらいくらでも時間がかかる。何も豪華な橋をかけなくても、とにかく向こう側渡るという目的を果たせばよいなら、あまり余計な時間をかける必要はない。大げさなことをしたり、要らぬ気を遣ったりする前に、明確に目的を達することが大切だ。
小さなことを処理するのに大げさなことをするものではないという表現に、「牛刀割鶏」という言い方もある。
とは言いながら、渡れさえすればいいなら丸太橋でもいいのかという問題もあり、安全性や強固さをどの程度確保すべきなのかなど、準備する側はいろいろ気を遣わざるを得ない。
余計なことはしなくてもいいと言われても、何が余計なのか、何が必要なのか判断するのは難しい。

 

5ー12

そもそも、それ自体よいとか、悪いとかいうものはない。考え方一つだ
ハムレット』第二幕第二場

There is nothing either good or bad, but thinking makes it so.
Hamlet. Act 2 Scene 2

ハムレットがローゼンクランツとギルデンスターンに語る認識論。

ハムレットは「デンマークは牢獄だ」と言い、それを否定されると、「君たちにはそうではなくても、俺にとっては牢獄だ」と返して、この台詞を言う。
ヴァーチャル・リアリティが体験できるキットを装着したと仮定しよう。実際に存在しなくても脳が認識しさえすれば、その人にとってそれが認識された世界であり、すべては脳の働き――考え方一つ――なのである。
当時、物事を認識する際、頭のなかに心の像(ファンタズマ)ができると考えられていた。この心の像を吟味して「よい」とか「悪い」とか判断するのだから、物事(現実) それ自体を認識しているわけではないということになる。そもそも「それ自体よいとか。 悪いとかいうもの」があって、それを認識するのではなく、脳が認識して初めてその存在が認知されるのであり、脳が「よい」と認識すればそれは「よい」ものなのだ。世界は客観的事実からではなく、主観的真実から成り立っているとも言える。
ストア科学の「アディアフォラ」は、心が認識する以前の心の外にあるものを指すが、 理性による選択がなされないため、「善」でも「悪」でもないのだとストア系は語る。それが心に入って初めて、よしあしの判断が下される。

 

6ー3

人間、生まれるときに泣くのはな、
この大いなる阿呆の舞台に上がってしまったからなのだ。
リア王』第四幕第六場
When we are born, we cry that we are come To this great stage of fools.
King Lear, Act 4 Scene 6

狂乱のリア王は、荒野で盲目のグロスター伯爵と出会い、こう語る。人が生まれるとオギャアと泣くのは、阿呆の舞台で馬鹿な人生劇場を演じるはめになったのが悲しいからだと言う。
世界を劇場に譬える「世界劇場」(テアトラム・ムンディ)の概念に基づく台詞だ。
類似の表現には、「この世はすべて舞台。男も女もみな役者にすぎぬ」「人生は歩く影法師、哀れな役者だ」など多数ある。
生きるということは、この世という舞台で役を演じることなのだ。人生は芝居、人は役者というこの発想は、古代ギリシャからあったもので、新プラトン主義の創始者とされるプロティノスなども唱えていた。
ここでは単に人生を舞台に譬えるのみならず、舞台上にいるのは阿呆だという発想がある。人は愚かなりという考え方は、当時の人文主義に基づくもので、絶対的な正義は神にのみあり、人は必ず過つものだと考えられていた。まちがえるからこそ、人間らしいのだ。シェイクスピアの舞台に阿呆(愚者)が登場するのも、こうした人文主義の考え方に基づいている。しかし、『リア王』は悲劇なので、喜劇の道化(阿呆)とちがって否定的な言い方がされている。

 

 

 

 

 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3329

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>