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「追悼 江藤淳:作者自身によるピリオド ー 青山光二」追悼文選 週刊読書人編 から

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「追悼 江藤淳:作者自身によるピリオド ー 青山光二」追悼文選 週刊読書人編 から

だいぶ前、私が文芸家協会の理事になってから、理事長はつぎつぎと交代したが、江藤さんのように行動的で決断の早い人は他に一人もいなかった。評議員だった頃に接した理事長にも、江藤さんのように活力のある明敏な取りなしをする人物はいなかったように思う。例えば著作物再販制度維持の問題や電子メディア関連の協会の態度決定など、江藤さん以外の人物ではとうてい真似のできない完璧で素早いものだった。
何らかの問題で協会が声明を出すことにでもなると、名義は当然理事長の江藤さんだが、いつ書くのかときいてみると、きまって「今日書きます」という答えが返ってきた。文春ビル内の協会事務所には理事長の書きもの用の小卓があった。江藤さんが理事長になってから新設されたものだったと思う。協会の事務所で声明文を起草し、書きおろすなど、できそうで、なかなかできることではないのだ。
“電子メディア時代の知的所有権を考えるシンポジウム”なども、文化庁通産省などの官庁を動かして江藤理事長自身が司会・進行を担当、みごとな成果をあげた。
文芸家協会(乃至、文学者たち)が当面する問題について、現職の大臣に手紙を出したり、大臣から返事を取りつけたりするというのも、江藤さんでなければできそうにないことだった。
つまりそんなふうな実務家タイプの、旧来の文士気質とは縁遠いような(私などは、いずれ江藤さんは文部大臣にでもなるに違いないと思っていた)人物が、どうして自殺なんぞしなければならないのかと首をかしげっぱなしだったが、こういう実務家タイプと、身につけていなかったはずのない本来の物書き気質とが入りくんだ生活態度を、生来の決断の良さがつねにリードする気合いがあったと思う。
ひとの倍の速さで思考するかと思える明晰な頭脳の導くままに人生行路を駈けのぼってきたこの俊秀は、ある日とつぜんといった具合にわれとわが生を絶ったのだ。その決断にはガンによる愛妻の死という悲惨な出来事と、彼自身への別な病苦の襲来という二つの要因が条件として介在した。
妻慶子さんの歿後、速い筆で書きおろした「妻と私」(「文藝春秋」五月号)は、読むすべての人を感動させたであろうが、文章の明晰さ(あるいは明晰な文体)が却ってわざわいして、世にいう愛妻物語としては、いまひとつ条件に欠けていたと思う。それがこんどの作者自身による壮絶なピリオドの打ち方により、ああ、これこそ真の愛妻物語であったのだと読者に納得させるところがあったと思うのだ。

(文藝春秋が江藤さんに“愛妻物語”をもとめたとは、むろん考えていない。“愛妻物語”という普通名詞は批評上の比喩と解されたい。江藤さんに“愛妻物語”を書く意図なんかも、むろんあるわけがない。以上の数行、書きはしたものの、誤解を避けるため抹消しようかとも考えたが、抹消すると題名まで更えなければならなくなるので、抹消は思いとどまった)。
若い頃、夫人と連れ立って、ほんとにふと想い立って、まだ今のように賑やかではなかった熱川温泉へ一泊旅行に出かけたことがあったという話を、江藤さんからうかがったことがあった。夫人も傍らに居られた。私が学生だった頃の、旅館が三軒しかなかった熱川の話をして笑い話になったのを想いだすのだが、そうだ、江藤夫妻はちょうどそんな具合に、二人連れ立って、ふと想い立って、伊豆の温泉宿なんかではない、もっとずっとどこか遠いところへ旅立たれたのだと、私はいま、ごくしぜんにそんなふうに思っている。
さようなら、江藤さん、あなたの快活な話はこびに、もう接しられないのが、むしょうに寂しい。

 

 

 


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