「へんな毒すごい毒 (抜書3篇)ー 田中真知」
毒と薬のちがいとは?
一般的に「毒」という言葉には危険で良くないものというイメージがあり、その逆に「薬」とは安全で良いものと思われている。あたかも毒と薬というのは対立する別々の存在であるようである。
だが、科学的にみると、毒と薬の間に明確なちがいはない。毒も薬もともに生物活性に影響を与える作用があり、本質的にまったく同じものである。一部の毒が薬になるわけでもなく、両者は一体のものと考えてよい。その同じ化学物質が毒になったり、薬になったりするのは、ひとえにその量のちがいによるものである。
猛毒と見なされる物質であっても、その量を加減することによって「薬」にもなる。また逆に薬とされている物質であっても、一定の量を超えれば毒として、生命活動を害することになる。
例えば猛毒の毒草トリカブトにしても、その塊茎[かいけい]を乾燥したものは漢方の世界で「附子[ぶし]」と呼ばれ、強心や利尿作用を持つ薬として用いられていた。ただし、量をまちがえると、嘔吐や口のしびれが起き、たちどころに死に至るおそろしい猛毒となる。
どうして、このようなちがいが生じるのか。それはトリカブトに含まれているアコニチンという物質の性質による。アコニチンは神経細胞のナトリウムチャンネルを勝手に開き、細胞内へ大量のナトリウムイオンを流入させて、信号が伝わる邪魔をする。その結果、神経伝達物質のアセチルコリンの遊離が抑えられ、神経回路の信号伝達が阻害される。もし、神経が異常に興奮しているときに適量のアコニチンを投与すれば、興奮が鎮まり、体の状態が正常に戻る。つまり薬としての効果を示すのである。しかし、ある一定の量を超えて過剰に摂取すると、知覚神経が麻痺し、呼吸が阻害され、ついには窒息死を起こすのである。
これは毒物と呼ばれているアコニチンのような物質に限らない。もっと一般的な物質、例えばサプリメントとして注目を集めている亜鉛のようなものについても同じである。亜鉛には皮膚を作ったり、免疫機能を高める効果があるとされているが、人間が1日に必要とする亜鉛の量は10~15ミリグラム程度である。もし過剰な摂取を続けていれば、吐き気や下痢、筋肉痛などを引き起こし、亜鉛中毒に陥ることもある。
身の回りに存在するあらゆる物質は、酒であれ、砂糖であれ、塩であれ、毒になりうる。毒か薬かというちがいは物質の性質の問題ではなく、人間側の用い方の問題なのである。
毒ニンジンとソクラテス
毒ニンジンといっても、日本では自生していないため、あまりなじみがない。しかし、ヨーロッパでは普通にみられる植物である。毒ニンジンは背丈ニメートルに達するものもあるセリ科の植物で、コニインというアルカロイドを含む。
この植物は、ギリシャ・ローマ時代には毒杯をあおって死ぬ際に用いられていたようである。使用にあたっては陰干ししたものを粉末にして、水や湯に溶かして用いたといわれている。死刑を宣告されたギリシャの哲学者ソクラテスが飲んだのも、この毒だったとされている。
コニインは中枢神経を興奮させ、次いで呼吸中枢を麻痺させることによって嘔吐や呼吸障害を引き起こし死を招くとされる。また、神経と筋肉の接合部を遮断して、知覚の喪失をもたらす作用がある。麻痺は手足の末端から始まる。しかし、意識が失われることはなく、肉体だけが硬直していき、やがて横隔膜の筋肉が麻痺して呼吸困難になり窒息死するとされる。
ソクラテスが毒を飲んだあと、毒を渡した男はソクラテスの足を強く押し、「感覚はあるか」とたずねたという。ソクラテスが「ない」と答えると、次に男はすねを押し、再び感覚があるかどうかと聞く。ソクラテスはここでも「ない」と答える。すると男は、周りの者たちに「無感覚な状態がだんだん上にあがり、次第に冷たく、かたくなり、それが心臓まで来たら死ぬ」と説明した。その後、しばらくして腹部が冷たくなり、まもなくソクラテスは絶命したと、弟子のプラトンは伝えている。
毒ニンジンはヨーロッパでは簡単に手に入り、すりつぶしたりして加工するのも容易だった。しかも死に方が穏やかなこともあって、自殺や死刑にしばしば用いられた。一説によると、処刑人たちは、毒ニンジンにアヘンを混ぜて、そのモルヒネの作用によって苦しみを取り除いたともいわれる。
煮ても焼いても食えないカビ毒
昔から「カビの生えたモチは毒ではない」といわれてきた。たしかに、少しぐらいカビの生えたモチを食べても、味が悪いくらいで、腹痛も下痢も起こさない。しかし、カビ自体は有害でなくても、カビが作り出す生成物(マイコトキシン)が有害であるというケースがある。
今から50年近く前、ロンドンの七面鳥飼育業者の間に波紋を広げた事件がある。1960年のクリスマス前、十数万羽という大量の七面鳥が突然、いっせいに謎の死を遂げたのである。原因をつきとめるべく、死んだ七面鳥が解剖されたが、病原菌は見つからなかった。
ところが、調べを進めるうちに、奇妙な事実が明らかになった。死んだ七面鳥たちが、いずれもある特定の飼料会社の餌を食べていたのである。その餌をくわしく調べてみたところ、そこに混ぜられたブラジル産のピーナッツミールが数種類のカビに汚染されていることがわかった。
しかし、当時、カビの生産する化合物で、これほど強烈な毒性を発揮するものは知られていなかった。そこで、さらにカビの培養を続けて、詳細に分析した結果、アスペルギルスフラブスというカビから生じたアフラトキシンという化合物が七面鳥の大量死の原因であることがわかった。
このアフラトキシンは一時的には死に至らない少量であっても、投与を続けることによって肝臓に蓄積して、しまいには肝硬変を起こさせるという慢性的な毒性があることがわかった。さらに、アフラトキシンのうち、アフラトキシンB1と呼ばれる化合物には、天然毒の中で最も強い発ガン性があることも明らかになった。アフラトキシンB1はタンパク質の合成を阻害して、細胞死を起こさせる作用がある。また、B型肝炎ウイルスに感染していると、アフラトキシンを摂取することによって発ガン率が30倍は高まるという報告もある。
アフラトキシンを生み出すカビであるアスペルギルスフラブスは、日本で味噌やしょう油などの発酵食品を造るときの酵母であるアスペルギルス・オリゼと、近縁の種である。このため、われわれの周囲の食品からもアフラトキシンが産生されるのではないかと心配されたが、その後の調査でアスペルギルス・オリゼも含めて、日本にはアフラトキシンB1のような有毒成分を作り出すカビは生息していないことが明らかになった。
とはいえ、外国からの輸入食品(ナツメグ、ピスタチオナッツ、ピーナッツ、トウモロコシ)の中にアフラトキシンに汚染されたものが見つかることがある。そのため、アフラトキシンに汚染されやすい食品については厳格な規制値が設けられている。
アフラトキシン以外にも、カビの作り出す毒は300種類以上見つかっている。日本では俗に「赤カビ」と呼ばれるフザリウム属のカビは、麦やトウモロコシなどで繁殖し、デオキシニバレノール、ニバレノール、ゼアラレノンなどのカビ毒を産出する。こうしたカビ毒に汚染された食品を食べると、嘔吐や腹痛、下痢など中毒症状や、造血機能障害や免疫機能の抑制などを引き起こす。
また、アスペルギルス・オクラセウスなどが産生するオクラトキシンAは腎臓障害や肝臓障害を引き起こし、発ガン性もある。ペニシリウム・シトリナムなどが産生するシトリニンは腎臓の尿細管上皮変性を起こす。このカビ毒は米に寄生して、黄色く染める性質があることから、このカビ毒に汚染された米は、俗に黄変米と呼ばれている。
カビ毒の多くは熱に強く、加熱処理によって分解されない。このためカビ毒を作り出したカビが死滅しても、カビ毒は食品中に残る場合が多い。