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「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト 澁澤龍彦」私の戦後追想 河出文庫 から

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「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト 澁澤龍彦」私の戦後追想 河出文庫 から

 

昨年(昭和六十一年)の九月八日から十二月二十四日まで、ほぼ三ヵ月半にわたって私は東京都内の某大学病院に入院していない、思っても見なかった下咽頭腫瘍のための大手術を受けたものであるが、いま、自分の病気について書く気はまったくない。そもそも私は闘病記とか病床日記とかいった種類の文章が大きらいなのである。そんなものを書くくらいなら死んだほうがましだとさえ思っている。ただ、はなしの都合上、病気のことにふれないわけにはいかないから、いくらかふれることをお許しいただきたい。

自慢するわけではないが、十一月十一日に行われた私の手術は朝の八時半からはじまって、ようやく終ったのが午後の十一時半であったから、えんえん十五時間を要したわけであり、麻酔学の発達した今日でなければとても考えられないような文字通りの大手術であった。体重三十七キロにまでに痩せてしまった私が、はたして十五時間の手術に堪えられるかどうか、執刀する医師たちはあやぶんだそうである。自分でも、よく生きていたなと思う。手術が終ったとき、「シブサワさん、シブサワさん・・・」と看護婦たちに連呼されて私はぼんやり目をあけたが、なんだか遠い遠い国からかえってきたような、ひどく疲れた気分が体内にのこっていた。

あとで聞いたはなしだか、看護婦に名前を呼ばれて目をさましたとき、私はベッドに寝たままの姿勢で、いかなり目の前の看護婦のひとりの手をとると、これを自分の唇に押しつけたそうである。ふざけて看護婦の手にキスをしたのだそうである。そのあと、ただちに私はふたたび吸いこまれるように深い眠りに落ちてしまったから、そのときの自分のふるまいについてはまるでおぼえていない。おぼえていないが、そういわれてみれば、そんなことをしたような気もしないではない。一種のサービス精神かもしれないが、私には、ときあって、そういう愚かなまねをする癖があるということを自分で承知しているからだ。あんなにくたくたに疲れていても、そういう癖がつい出たかと思うと、われながらおかしな気がする。

こんなことを語るつもりではなかった。じつは私は入院中、これまで自分にはさっぱり縁のないものとばかり思っていた幻覚を、初めてまのあたりに見た体験を語りたかったのである。幻覚体験、これこそ入院中のもっとも印象的なエピソードだった。
気質というか体質というか、幻覚を見やすいと見にくいひとがいることは当然であろう。私は怪異譚や幻想譚を大いに好む人間だが、それでいて、あきらかにタイプとしては幻想を見にくい部類の人間に属していると自分では信じていた。生まれてから一度として、幽霊もおばけも見たことがないのである。たとえばメリメのように、鷗外のように、私は怪異譚や幻想譚を冷静な目で眺めることを好んでいたし、げんに好んでいるわけで、ネルヴァルのような謔妄性の幻覚には自分はまったく縁がないと思っていた。しかし薬物の作用というのはおそろしいもので、私は否も応もなく、まざまざと幻覚を見させられてしまったのである。
いうまでもあるまいが、以下に私が語ろうとしている幻覚の体験は嘘いつわりなく正真正銘のもので、けっしてロマネスクに粉飾したり修正したりしたものではない。これは小説ではなくて、あくまで私の体験記なのだということをふたたびここに強調しておこう。

 

手術が終ると、私はただちに私の個室にはこびこまれ、そこで二三日、うつらうつらと夢と現実のあいだに意識をあそばせていた。つまり二三日ばかりは意識が完全に正常にはもどらなかった。すでに手術はとっくに終っているのに、私は何度となく夢うつつの境で「さあ、これから手術だぞ。用意はいいかな」と自分で自分にいい聞かせ、そのたびに「あ、そうか。手術はもう終っていたんだっけ」と気がついたりしたものである。時間が混乱して、手術の前の時間が思いがけなく私の意識の表面に飛び出してきたりするのである。どういうわけか、そのことに気がつくと、私は非常にさびしい気持がしたということを告白しておく。
前に「遠い国から帰ってきたような、ひどく疲れた気分」と書いたが、実際、手術の完了を軸として、あたかも回転ドアをぐるりとまわしたように、私はまったくちがった時間の支配する領域へ迷いこんでしまったような気がしたものであった。ビルの十一階にある私の個室は白い壁の四角い部屋で、一方に窓があり、室内にはベッドや机や冷蔵庫が置いてあるだけのものだったが、手術ののち、ふたたび同じ部屋へもどって来ると、それがまるで別の部屋のように見えて、おやと思うこともしばしばだった。「おれはいままでこんな部屋に寝ていたのかな」と狐につままれたような気がする。二ヵ月も寝ていた部屋なのに。

時間の混乱とは関係ないが、初めて鏡で自分の顔を見たときもショックだった。これがおれの顔か、と思ったものである。それは手術のためにみにくくふくれあがって、以前の私のすっきりした面貌とは似ても似つかぬものとなっていた。南無三宝、私は鏡をほうり出して目をつぶった。
さて、そうしてうつらうつらしながら無為の時間をすごしていたとき、ある夜、私は看護婦から痛みどめの薬をもらった。点滴で注入してもらったのである。ある夜と書いたが、正確にいえばその日は手術後三日目である。なにしろ肝心の咽頭および喉頭をはじめとして、食道の大部分、それに腸の一部を切っているので、切ってから二三日してもなお、じわじわと痛みがからだじゅうに沁みわたってくる。それを緩和するために薬をもらったわけだが、あとで聞いたところによると、それはソセゴンという名の一種の麻薬で、ひとによっては幻覚を生ずる場合もあるということだった。どうやら看護婦はこれを独断で私にあたえたらしいので、後日、そのことが病院内で問題になったようだ。しかし私には彼女を責める気は少しもない。生れて初めての幻覚体験を味わわせてくれたというだけでも、むしろ彼女に感謝すべきではないかと思っているほどだ。そうではあるまいか。

薬の注入後三十分ほどして、いろんな幻覚が次々とあらわれ出した。
まず最初の徴候は、部屋の天井だった。前にも述べたように、私の個室は清潔なホテルの一室を思わせるような、まっしろな壁の新しいモダンな建築で、新しいから壁にも天井にも染みだの汚れだのはほとんどない。それなのに、天井いちめんに地図がびっしり描きこんであるように見える。よく見ると東京都の地図らしく、何々区というような文字が記入してあるのまで見える。私はふしぎに思って、面会にきていた妻に、声が出ないから筆談で、
「おい、天井に地図が描いてあるだろう。おかしいな。どうして病院の天井に地図なんか描いてあるのかな。」
妻はおどろいて、
「え、地図なんか描いてないわよ。あなた、目がどうかしたんじゃないの。」
しかし妻にいわれても、天井の地図は一向に消えない。そのうちに、天井にはまっている細長い蛍光灯の枠に、やはり文字があらわれ出した。ゴシック体の活字でカンディンスキーモンドリアンと書いてある。文字の色はあざやかな桃色である。
私はまず最初、つやつやした蛍光灯の木製(あるいはプラスチック製か)の枠に、鏡のように文字が映っているのだろうと思った。そういえば机の上に新刊の美術雑誌が置いてある。美術雑誌の表紙に刷られた文字が、蛍光灯の枠に映っているのだろう。しかし妻に持ってこさせた美術雑誌を手にとって見ても、カンディンスキーモンドリアンなどという文字はどこにも刷られていなかった。これもあきらかに私の幻覚より以外のものではなかったようだ。

個室の天井には、蛍光灯のほかにも換気孔だの火災報知器だのスプリンクラーだの、そのほか得体の知れない装置がいろいろ取りつけてある。その多くは円いかたちをして、いくらか天井から出っ張っている。これらの装置が、やがて少しずつ動き出したのには私もおどろいた。
あるものは、舞楽蘭陵王そっくりなおそろしい顔になり、ひたと私のほうをにらみながら、その首をぐっと伸ばしはじめた。首はどこまでも伸びるかに見えたが、一定の長さに達すると、ぴたりととまった。そして、いつまでも私のほうをにらんでいる。ときどき、その首ががくり、がくりとゆれる。気味がわるいったらない。
また別の装置は、私の家にある刺身を盛るための大皿とそっくりになった。京都の古道具屋で買った皿で、青い色で焼きつけた山水画ふうの模様までがそっくりそのまま再現されている。どうしてこんなところに刺身の皿なんか出てくるのだろうと、解しかねる気持でいっぱいだったが、出てきたのだから仕方がない。無意味といえばこれほど無意味な幻覚はなく、しかもそれがあきれるほどリアルなのだ。ただただ私はぽかんとして天井を眺めているよりほかはなかった。皿は天井にぴたりと貼りついて、いつまでも動かなかった。
ここでちょっと注釈しておけば、これらの幻覚は細部にいたるまで、じつにリアルに具象的に再現されていて、あいまいな部分やぼんやりした部分は一ヵ所もなかった。蘭陵王にしても刺身の皿にしても、目の底にくっきりと灼きつくすほど、なまなましい現実感と存在感にあふれていたのである。幻覚はまた、ときに万華鏡のように華麗で美しくさえあった。
たとえば、こんな調子である。天井から透明な紙を切りぬいた、クラゲのようなかたちのものがいくつとなく降りてきて、きらきら光りながらあたりいちめんに浮遊する。それこそカンディンスキーの絵のようであり、あるいは水族館の中の光景のようでもある。そうかと思うと、巨大なクモあるいはカニのような生きものが、その節くれだった黒い脚で天井をのろのろ這いまわっているような、まこと気味のわるい光景も見られた。
ところで、これまでの幻覚はすべて外部に投影されたイメージであったが、それとは別に、いわば内部に投影されたイメージともいうべき種類の幻覚もあった。つまり、目を閉じると瞼の裏にあらわれてくる幻覚である。どちらかといえば、私には、この瞼の裏に執拗にあらわれてくる幻覚のほうがいっそう不快であった。これに似た幻覚は、前に気管切開のために局部麻酔をしたときにも見たことがあった。しかし前のそれと決定的にちがっていたのは、今度のそれが、圧倒的にイメージが豊富であるということと、ただただ不快感をもよおすだけの、ぶきみなイメージに終始していたということである。あんなに不快なイメージを私はそれまで見たことがなかった。

それでは具体的にどんなイメージかというと、これが非常に説明しにくいのである。まあ何とか私の筆で説明してみよう。
あるときは、インドのカジュラホかエローラの寺院の浮彫のように、半裸の男女がごちゃごちゃとからまり合っているかと思うと、急に場面が変って、猥雑な東南アジアか香港あたりの市場のような風景になったりする。それでも、ごちゃごちゃと人間が密集し雑踏していることに変りはなくて、彼らは口々に何か叫んだり笑ったりしている。すると、また急に場面が変って、今度は江戸時代の錦絵の中の相撲とりのような、畸形的にふくらんだ肉体の男どもがぞろぞろあらわれる。彼らの顔は、それぞれ実にリアルで、いやらしいほど精力的である。それがまた変って、次にはぶよぶよしたラクダのような、牛のような、何とも気味のわるい不恰好な動物の一群があらわれる。動物かと思うと、それが女の顔をしていて、ひとをばかにしたように、にやりと笑ったりする。場面が変って、次にはどてらを着たやくざ者のような男どもがあらわれ、下半身をあらわにして、男同士で猥褻な行為をする。また場面が変って、今度はどこかの市場の中の店であり、店の女の売り子が耳ざわりな大声をあげて、なにとも知れぬ品物を私に売りつけようと躍起になったりする。
こんなことを書いていたら切りがないが、実際、切りがないほど次々に場面が変って、思いがけない方向にどんどんイメージが展開するのである。しかも、それがことごとく私にとってはひどく不快なイメージなのだ。
目をつぶれば、否も応もなく瞼の裏に不快なイメージが見えてくるので、その晩、ついに私は眠ることをあきらめ、朝まで目をあけていることにした。それでも明けがた近く、さすがに疲れ切って、いくらかは眠ったらしい。
こうして最初の晩がすぎて、翌日の朝になると、もう私は幻覚に悩まされることもあるまいと思った。ところが、それは甘い見通しだった。しつこいもので、薬物の効果はまだつづいていたのである。
朝、天井を見ると、またしても昨夜と同じ蘭陵王がぐっと鎌首をもたげて、私のほうをにらみながら伸びてくる。刺身の大皿も、相変らず天井にへばりついている。どういう理由によるものか分からぬが、幻覚のイメージは昨夜とまるで同じだった。もっとも、最初のうちこそ気味がわるくてやり切れなかったが、これらの幻覚にも私は急速に慣れてしまって、やがて平気になった。蘭陵王よ、いつまでも勝手ににらんでいるがいい。おれは平気だぞ。私はこころの中で、こうつぶやいていた。むしろ私を恐怖させたのは、二日目にあらわれた次のごとき新たな種類の幻覚である。

それは幾何学的幻覚とでもいったらよいのだろうか、それともトポロジカルな幻覚というべきか、四角い私の個室が九十度だけ傾斜するのである。つまり、それまで水平な床であった面が、いつのまにか垂直な壁の面に変っているのだ。ふっと気がつくと、私のベッドは垂直な壁面に宙吊りになっている。私は前方へつんのめって、ベッドからころがり落ちそうになる。非常な不安感で。思わず、あっと声をあげそうになる。そういうことが何度かあって、私はその都度、肝を冷やしたものだ。
薬を注入してから三日目になっても、幻覚はまだつづいていた。さすがに目をつぶるとあらわれる、猥雑な男女の乱交シーンのごとき不快なイメージは下火になって、ほとんどあらわれることがなくなったが、それでもまだ、小さな幻覚の徴候は頻々とあらわれて、私をおびやかした。
部屋が乾燥するので、加湿器というものが置いてある。水蒸気を霧のように室内に噴出する器具である。この部屋に常時ただよっている水蒸気の霧が、あたかも白いレースのカーテンのように見えて、風をはらみつつ、私のほうにぐんぐん迫ってくる。思わず手をあげて、目の前まで迫ってきたカーテンを振りはらおうとしたことも再三であった。何もない空間を手で振りはらってから、「あ、これはカーテンじゃない、水蒸気なんだ」とようやく気がつくのである。
こんなこともあった。部屋の一隅にあるロッカーに、ハンガーで私のガウンが吊るしてある。そのロッカーの上には、ドライフラワーの花束がのせてある。夜なんか、ひょっと目をさますと、このドライフラワーがガウンを着た巨大な人物の醜怪な顔のように見えて、私をおびやかす。私はロッカーのほうを見ないようにして眠ることにしたものだ。

こんなことを書くと、それは単なるストレスによる神経過敏の症状に過ぎなくて、幻覚などといった大げさなものではない、という意見を出すひとがいるかもしれない。事実、私が最初の晩、見たばかりの幻覚の症状を若い当直の医師にうったえると、彼は平然としてそのように答えたのである。しかしストレスだなんて、嗤うべき意見である。私は確信をもっていうが、あんなに鮮明なイメージを伴う幻覚が、ストレスなどというあいまいな状態から生ずるはずはなく、これはあきらかにやくぶつによる一時的な中毒以外の何ものでもないのだ。そういえばアルコール中毒の幻覚も、私が見たそれにかなり煮ているのではないだろうか。
ただ病院では、このことをあまり表沙汰にしたくないらしく、私に対しても、最後まではっきりした説明を避けていたように見受けられた。私がソセゴンという薬品の名前を知ったのも、看護婦のひとりがつい口をすべらせたからで、病院のほうから正式に知らされたわけではないのである。
幻覚は四日目までつづいて、五日目からはぴたりとあらわれなくなった。いくら天井を見つめても、もう蘭陵王のおそろしい顔はするすると伸びてこないし、刺身の大皿も出現しない。地図がびっしり描きこんであるように見えた天井も、ただの白い平面に過ぎなくなった。やっと薬のききめが完全に切れたのであろう。
もはや幻覚に悩まされることがなくなると、からだじゅうに大小八本の管を通して、じっと仰向けに寝ていなければならなかった私は、本を読むこともできないので、退屈のあまり、これからの自分の号を考えることにした。手術のとき声帯を完全に切除してしまったので、私にはもう声を発することができなくなっている。荷風が断腸亭と号したように、あるいは秋成が無腸と号したように、私もこれからさき、無声あるいは亡声と号すべきではないか。しかしどうも、この号は平凡であまりおもしろくない。魚には声がないから、魚声居士という号はどうか。いや、これもやはり気に入らない。とつおいつ考えた末に、ひらめくものがあって、私は呑珠庵という号を思いついた。
私が咽頭に腫瘍を生じたのは、美しい珠を呑みこんでしまったためで、珠がのどにつかえているから、声が出なくなってしまったという見立てである。そこで呑珠庵。あるいは呑珠亡声居士でもいい。私は子どものころ、あやまって父親の金のカフスボタンを呑みこんでしまったことがあるので、この見立てはますます自分の気に入った。あのスペインの放蕩児ドン・ジュアンに音が似ているところも、わるくないと思った。
ただ、幕末の漢詩人に日柳燕石というものあり、このものが呑象楼と名のっていたことを思い出して、私はちょっと気になった。呑象楼と呑珠庵。なんだか似ているような気がしたからである。しかしまあ、似ていたって別にかまわないじゃないか。燕石は四国のやくざの親分で、脱藩した高杉晋作を自邸にかくまったほどの豪気な男である。号が似ていれば、私はこの男の豪気さに多少なりともあやかることができるかめしれない。そう思って、私は個室のベッドに仰向けに寝たまま、呑珠庵の号を今後の自分のために採用することにきめたのだった。

 

 

 

 

 

 


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