「海 ― 尾崎放哉」日本の名随筆別巻21巡礼 から
庵の帰れば松籟颯々、雑草離々、至つてがらんとしたものであります。芭蕉が弟子の句空に送りました句に、「秋の色糠味噌壺も無かりけり」とあります。これは徒然草の中に、世捨人は浮世の妄愚を払ひ捨てて、糂汰瓶[じんだびん]ひとつも持つまじく、と云ふ処から出て居るのださうでありますが、全くこの庵にも、糠味噌壺一つ無いのであります。縁を人に絶つて身を方外に遊ぶ、などと気取つて居るわけでは毛頭ありませんし、また、その柄でも勿論ないのでありますから、時々、ふとした調子で、自分はたつた一人なのかな、と云ふ感じに染々と襲はれることであります。八畳の座敷の南よりの、か細い一本の柱に、たつた一つの脊をよせかけて、其前に、お寺から拝借して来た小さい低い四角な机を一つ置いて、お天気のよい日でも、雨がしとしと降る日でも、風がざわざわ吹く日でも一日中、朝から黙つて一人で坐つて居ます。
坐つて居る左手に、之も拝借もの・・・と云ふよりも、此庵に私がはいりました時残つて居つた、たつた一つの什器であつた処の小さい丸い火鉢が置いてあるのです。此の火鉢は殆ど素焼ではないかと思はれる程の瀬戸の黒い火鉢なのですが、其の火鉢のぐるりが、凡そこれ以上に毀す事は不可能であらうと思はれる程疵だらけにしてあります。之は必ず、前住の人が煙草好きであつて、鉄の煙管かなんかでノベツにコツンコツン毀して居た結果にちがひないと思ふのです。誠に御丹念な次第であります。此の外のは道具と申してもなんにも無いのでありますから誠にがらんとし過ぎたことであります。此の南よりの一本の柱と申すのが甚だ形勝の地位に在るので、遥かに北の空を塞ぐ連山を一眸のうちに入れると共に、前申した一本の大松と、奉供養大師堂之塔の碑とが、いつも眼の前を離れぬのであります。居ながらにして首を少し前にのばせば、そこは広々と低みのながれになつて一面の芋畑、そして遠く、土庄町の一部と、西の空の開いて居るのが見えるのであります。東は例のこの庵唯一の小さい低い窓でありまして、その窓を通して渠の如き海が見え、海の向うには、島のなかの低い山が連つて居ます。西はすぐ山ですから、窓によつて月を賞するの便があるのみで、別に大した風情は有りませんのです。お天気のよい日には毎朝、此の東の空に並んで居る連山のなかから、太陽がグングン昇つて来ます。太陽の昇るのは早いものですね。山の上に出たなと思つたら、もう、グツグツグツと昇つてしまひます。その早いこと。それを一人坐つてだまつて静に見て居る気持ツたら全くありません。私は性来、殊に外海が好きでありまして、海を見ているか波音を聞いて居ると、大抵な脳の中のイザコザは消えて無くなつてしまふのです。「賢者は山を好み、智者は水を愛す」といふ言葉があります。此の言葉はなかなかうま味のある言葉であると思ひます。但し、私だけの心持かも知れませんがー。一体私は、ごく小さい時からよく山にも海にも好きで遊んだものですが、だんだんと歳をとつて来るに従つて、山はどうも怖い・・・と申すのも可笑しな話ですが、・・・親しめないのですな。殊に深山幽谷と云つたやうな処に這入つて行くと、なんとはなしに、身体中が引締められるやうな怖い気持がし出したのです。丁度、怖い父親の前に坐らされて居ると云つたやうな気持です。処が、海は全くさうではないのであります。どんな悪い事を私がしても、海は常にだまつて、ニコニコとして抱擁してくれるやうに思はれるのであります。全然正反対であります。ですから私は、これ迄随分旅を致しましたうちで、荒れた航海にも度々出逢つて居ますが、どんなに海が荒れても、私はいつも平気なのであります。それは自分でも可笑しいやうです。よし、船が今微塵にくだけてしまつても、自分はあのやさしい海に抱いてもらへる、と云ふ満足が胸の底に常にあるからであらうと思ひます。
(ここまでに致します。)