「秋の声 ― 山本健吉」日本の名随筆25音 から
日本人は季節感が鋭敏だと言われる。けれども東京のようなマンモス都会になってくると、それも当てにはならない。団地に住んで会社へ毎日出勤している人に、それほど季節感が感ぜられるだろうか。
セミも鳴かなくなったし、トンボも飛んで来なくなった。と言っても不思議なもので、虫の音を聞いて、こんなところにと驚くこともある。すっかり舗装された地面にも、どこかに虫の住んでいられる隙間は残っているらしいのである。
以前は夏のあいだのやかましいセミの合唱のなかから、ヒグラシの涼しい声がきこえてくると、もう秋も近づいたな、という気持がしたものである。ツクツクボウシの声をきくと、本当に秋になったなと思う。そして、けたたましいモズの高音がきこえてくると、秋もすっかり深くなったなと思う。昔の武蔵野を思わせるケヤキやクヌギの大木が、都内にも近郊にも沢山あったが、だんだん伐[き]られてしまって、セミや モズの住みかもめっきら少くなってきた。
だが、やはり秋の感じをいちばん深めてくれるのは、虫の提琴家たちだと思う。セミ類を虫の声楽家と呼び、コオロギ科、キリギリス科の鳴く虫を虫の提琴家と呼んだのは、たしか大町文衛さんだった。日本人ぐらい昔から虫の音を愛した民族は、外にないように思う。
もっとも万葉集には、コオロギだけしか詠まれていない。だから学者は、そのころコオロギと言ったのは、鳴く虫類の総名だったのだろう、と言っている。けれども平安時代の文学になると、スズムシ、マツムシ、キリギリス、ハタオリその他、急に虫の名が多くなってくるのである。
何等かの意味で、生活に直結した動植物でなければ、古代の人はわざわざ名をつけて呼ぶことはなかった。けれども、秋になればいやおうなく、だれの耳にもきこえてくるのだから、とりあえずそれらをコオロギの名で呼んでおいたのだと思う。それにいちいち名をつけて、声のちがいを聞き分けるなどという趣味的生活は、まだ始まっていなかったのである。ところが延喜時代になると、貴族たちのあいだに、しきりに前栽[ぜんざい]に虫を放って、その声を賞する風流がはやってきた。虫選びなどという競技も行われるようになり、洛西嵯峨野などへ出かけて虫狩りをやったものである。
それぞれの虫の音を聞き分けて楽しむようになって、始めて虫どもにも、一々名前がつけられたのである。チンチロリンと鈴を振るように鳴くのがスズムシ。リンリンと松風の澄んだ音色にきこえるのがマツムシ。その他、カネタタキ、クツワムシ、ウマオイ等々。
スズムシとマツムシとは、今の私たちの呼名と逆になっている。と言うより、地方地方によって揺れているのである。そう言えば平安時代にキリギリスと言ったのは、今のコオロギのことで、そのころコオロギと言ったのは、今のオカマコオロギ(鳴かないもの。イトド、カマドウマ)のことで、そのころハタオリと言ったのは今のキリギリスのことである。これだけでもややこしいところ
へもってきて、江戸時代にキリギリスと言ったのは、どうもツヅリサセコオロギのことらしい。
名称がこんなに混乱しても、べつに生活に響くわけでもないから、どうでもよかったのだとも言えよう。貴族たちの趣味から起った虫の名は、もともと気まぐれな性質がある。鈴の音は、チンチロリンかリンリンか、などと農民に聞いてみても、阿呆らしいと言われるのが落ちであろう。
昔の人に取っては、秋になると、ミノムシも鳴いた。「父よ、父よ」と言って鳴いた。ミミズも鳴いた。藻に住む虫も鳴いた。「蓑虫鳴く」とか「蚯蚓鳴く」とか、ちゃんと俳句の季題にはいっている。
蓑虫の父よと鳴きて母もなし
虚子
蚯蚓鳴くあたりへこごみ歩きする
草田男
こういう俳句を見ると、生物学者は馬鹿らしいと思い、こんな季題は抹殺せよと言う。だが、俳人だとて、本当にミノムシやミミズが鳴くと思って、こんな句を作っているわけではないのである。