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「強欲な老人 ― 土屋賢二」文春文庫 急がば転ぶ日々 から

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「強欲な老人 ― 土屋賢二」文春文庫 急がば転ぶ日々 から

 

老人は強欲だというイメージをもっているのは、わたしだけだろうか。子どものころ「欲張りじいさん」の昔話で植えつけられたのかもしれないが、たとえば「守銭奴」というと、老人のイメージがある。ハツラツとした若者が守銭奴だということは想像しにくい。

わたしが抱く守銭奴のイメージは、深夜、薄暗い部屋で一人、金を数えて満足の笑いをもらす老人だ(薄暗いのは電気代を節約しているからだ。一人なのはみんなに嫌われているからだ)。もれる笑いは「ワッハッハ」や「テヘへ」ではなく、「イヒヒ」だ。若者が絶対に立てない笑い声だ。

老人になると分かるが、このイメージは誤りだ。強欲どころか、無欲になる。

若いころは夢(大富豪でモテまくるピアニスト兼哲学者になりたいなど)を抱くが、歳を取ると夢ももたなくなる。夢は絶対に実現せず、たとえ実現しても享受するには遅すぎるのだ。

体調が悪くても、若いころと違って、完全な健康を望まない。探せばたぶんガンの一つや二つ、動脈瘤の二つや三つぐらいはできていて日々悪化しているだろうが、何とかあと少しもちこたえてくれればいい。常時どこかが痛いが、我慢できる程度なら上々だ。

視力は衰えるが、はっきりくっきり見えなくてもいい。犬はぼんやりとしか見えていないらしいが、生きている間だけでも、犬と同程度の視力があればいい。

聴力も衰えるが、妻が隣室で怒声を上げても聞こえないふりができるし、ロクでもないことば(ほとんどのことばは聞くに値しない)を聞かないですむから、このままでいい。

歯もボロボロだ。抜く予定の歯があり、別の歯の詰め物が取れた。歯は失う一方だが、歯が生えかわるワニがうらやましいとは思わない。何とか食べることができさえすればいい。最終的に歯を全部失っても、口が失われなければいい。

指が何本もへバーデン結節で痛くてピアノが弾けない(痛くないときからうまく弾けないが)。指がかなり曲がっているから、狙った鍵盤の隣を弾いてしまう。それでもプロの音楽を聴ければいい(妻にはこの状態の方が好評だ)。

鋭い頭脳も不要だ。計算力は小学校三年生程度でいい。たとえ計算ができなくても、どうにか日常生活を送ることができれば十分だ。

身体能力も最低限でいい。百メートルを何秒で走れるとか、腕立て伏せを何回できるとか、そんなことはど~でもいい。自力で歩ければいい。歩行補助器が必要になっても移動できればいい。車椅子が必要になっても寝たきりにならければいい。寝たきりになっても寝る場所があればいい。

もちろん異性にモテようとは夢にも思わない。イヤがられなければ十分だ。妻にもやさしさまでは求めない。叱られたり、床に落とした物や消費期限切れの物を食べさせられてもいい。殺されなければ御の字だ。

金も死ぬまで食えればいいが、必要額は不明だ。死ぬまでの生活費が分からない上に、病気になったら治療費が必要だ。治療費が払えないために死ぬ事態を避けるにはいくら必要なのか不明だ。必要額が分かっても、どこも雇ってくれないから、結局、金の切れ目が命の切れ目になりそうだ。考えれば不安になるが、考えないから問題ない。

それどころか、命にさえ執着しない。高齢女性二人を相手に、イギリス滞在中、親しく話していた人が翌日には死んだなど、あっけなく死ぬ人が多かったと言うと、二人が口を揃えて「うらやましい!」と言った。生きることにも執着しなくなっているのだ。

驚くほど無欲である。すでに超俗の仙人になっているのかもしれない。

 


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