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「野菜の直売所 - 松下淳一」法学教室2024年2月号

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「野菜の直売所 - 松下淳一」法学教室2024年2月号

 

あちらこちらに置いてある消毒用アルコールのボトルはかなり姿を消し、「3密」という言葉も聞かなくなった。新型コロナウイルスの感染の脅威が始まってから概ね4年が経つ。この間、オンラインでの授業の実施など苦労もあったが、それまであまりしたことのなかった経験をする機会もあった。その一つが、自宅を起点終点とする、運動不足を解消するための長めの散歩であり、さらにその途中で、スーパーや八百屋ではない野菜の直売所で野菜を買うことであった。
私の自宅は都心から離れたところにあり、通勤に使っている駅と反対方向に歩けば、住宅地の中に畑が点在している。その畑で採れたであろう野菜を売っている直売所がいくつもあることを散歩の途中で見つけた。自宅に籠らざるを得なかった頃のことを思い出しながら、そのような野菜の直売所について書いてみたい。
直売所と言っても様々な形態がある。一つの分類は有人か無人かであり、ほとんどは無人であった。有人のものは、交通量の多い道路の歩道の脇に建てられた小屋であることが多く、八百屋で野菜を買うのとあまり変わらない。ただ、売り手が長時間そこに詰めるのを避けるためであろうか、短時間で売り切れる分量しか野菜を置かないようで、午後に通りかかると閉まっていることが多かった。野菜を育てた人が売っているところもあり、野菜の調理の仕方を教えてもらったこともあった。直売「所」ではないが、畑に生えているトウモロコシを、栽培農家さんのインストラクションを受けながらの収穫体験付きで買ったこともあった。
直売所の多数派は無人のものであるが、その形態は様々であった。一番簡単なのは、住宅の玄関先の板の上に野菜を無造作に置いているものであるが、ガレージ風のかなり大きな屋根の下に何段も棚があってそこに野菜を並べているところもあり、さらに扉のところが透明なアクリル板になっているコインロッカー式のものもあった。
無人の直売所では、有人のものとは異なり代金と商品である野菜との引換えができないため、代金の払い方は様々であった。一番簡単だったのは、性善説なのかコストをかけたくないのか、お金を入れる空き缶が置いてあるだけのところで、お金を払わずに野菜を持って行くことや、そこに入っているお金を盗むことを心理的に抑止しようとしているのか、空き缶から少し離れたところに防犯カメラが置いてある直売所もあった。中には、野菜を持ち去るシーン(顔は写っていない)をプリントアウトして、「何月何日何時何分、野菜泥棒」と書いて野菜置き場の脇に貼り出してあるところもあり、世の中には不届き者とそれに苦労している人がいるのだと思ったりした。
前の人が払ったお金を持っていけないようにする仕組みでよく見かけたのは、細長い筒を立ててその上からお金を入れる式とか鍵付きの郵便受けの中にお金を入れる式である。もちろんこれらでは、お金を払わずに野菜を持って行くことは防げない。お金を払わないと野菜を買えない仕組みが上述のコインロッカー式である。代金の支払が先履行となり、野菜を手に取れるのはコインを入れて扉を開いてからになるから、外からは見えなかった部分が傷んでいても、そのリスクは買い手が負うことになる。引換給付が契約当事者のリスク軽減にとって重要であることを改めて実感した次第である。
あるコインロッカー式の直売所には「100円玉しか使えません」という注意書きがあり、その脇には「ほうれん草130円」という値札があった。どういうことかとのぞいてみたら、ロッカーの中には、ほうれん草の横に「おつり」と書いた紙片があり、その上に50円玉1枚、10円玉2枚が乗っていた。なるほど。

 


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