「洋式と和式 - 半村良」面白半分随舌選 から
私の母親は、はやくにやもめになってしまいましたものですから、伜の私を亭主がわりのように扱うんです。母親は和服の仕立てなんかしていましたから、その関係でよく呉服屋が出入りしていまして、たのまれた着物を縫うわけです。その勘定がたまると、まるで女房気取りで私に着物を買っちゃうんですね。ですから、いつのまにか数が増えちゃって、普通の人からみると随分ありますね。羽織、袴、礼服、全部あります。ないのは夏の袴だけです。
一年の生活時間の中で和服二に対して洋服一っていう割合です。うちは夏でも長火鉢に炭がおこっていたぐらいですから、うちへ帰って来てズボンなんかはいていると膝が出ちゃうんです。だからサラリーマンのころから家では着物でした。家そのものが和式本位だから、着物のほうが楽なんです。ただ、仕事場にも椅子がなかったから、待っててくださる編集者の方なんかが帰るときにみると、ズボンのうしろの膝のとこがシワシワになっちゃってる。こりゃあ椅子を置かないと悪いなあと思って、最近は置いています。
外出のときもよく着物を着るんですけれども、狭い通りなんか歩いていると自転車のバックミラーに袖をひっかけられそうでこわいことがあります。それと、文壇のパーティーとか正式の会合のときにはやはり洋服ですね。偉い方々がみえているときは、生意気だといわれるんじゃないかなんて思っちゃうんです。どこにいくにも和服で押し通すほど気が強くないんですね。その辺は割と繊細にできてまして。
昔、サラリーマンのころ、正月出勤のときに着物で出社したらえらい怒られたことがあります。女は着物じゃないかっていったら、男はダメだっていいやがって、着替えろっていわれたけど、無視してそのままお得意さん回りしたら、先方も異様な感じだったみたいで、こりちゃいました。
どうしても今の感覚でいうと、着物ってのは、くつろぐもの、ラフな恰好って感じが強いんですね。ただ、和服といってもいろいろありまして、その人の着ている着物をみるとその家の背景がわかるんですね。洋服でもそうだけど、とくに和服の場合微妙なところが出ますね。
たとえば、学者の家系や武士の血筋をひいてらっしゃる方のお着物は我々町人と一味違うんです。着物の選び方とか組み合わせ方がね。帯なんかでも、ぼくらは近所に出掛けるときは兵児帯[へこおび]で、少し遠くへいくときは角帯にかえちゃうんですよ。つまり、兵児帯は旦那のする帯、楽に着こなすって感じですから、兵児帯で料亭でもどこでもいけるってのは割と上級の階層なんです。それに対して、ぼくらのような町家の系統は角帯になっちゃいますね。
それに和服は意外に寸法がきちっとしているんです。ぼくみたいにしょっちゅう着てると自分の都合のいい寸法ってのがありまして、二分違っていても具合が悪いんです。だから、よく縫いあがった浴衣なんかいただくんですけれども、困っちゃうんですね。
でも、寝るときはパジャマなんです。楽なこともあるし、寝ているときにだれか急に来たりするとき、着物じゃ裾がはだけたりして失礼ですからね。それにこのところ病院にいくことがありますから、パジャマがいいですね。ただ、和室にパジャマ姿で坐るのは平気だけど、どうもあのガウンってのはいけませんね。なんかロシアの農民がしゃがみこんでるみたいで。
その他和式、洋式ということでいいますと、寝るのは蒲団。ベッドは寝心地が悪いし、それに不経済ですね。蒲団ですと部屋をいろいろに使えますから。
トイレは絶対洋式です。楽だもん。それに洋式のほうが清潔ですよ。ぼくは若いときかろ便所掃除ばかりやらされていたから、とくに気になるんです。便所にもお湯が流れるようにしておいて、サーッと掃除ができたらどんなに楽だろうなと思っていたんです。だから家を建てるとき、一番金をかけたいところは便所です。
商売道具である筆記具は万年筆です。万年筆というと洋風のような気がしますけど、ぼくが思うにきわめて和風なものだと思います。その万年筆でこんなにたくさん字を書くってのは日本ぐらいですからね。
西洋ではボールペンかタイプライターでしょ。万年筆を筆のように扱うんですよ。たとえば、ぼくの場合ですと、モンブランの149を使っているんです。ペン先が柔かくて、タッチが軽いんです。それにタンクが大きいから、いつまでも書けるでしょ。それでもぼくは一晩に二回位給油しますから、いつも満タンのを三本置いておくんです。おろした時期もまちまちだから、字の太いのあり、細いのありで、書くたんびに気分が少し変わるんですよね。で、だれてるときには細いペンにしたりしてるんです。外国人はこんなことしてないでしょう。今や万年筆は、日本的というか、和風のものじゃないでしょうかね。
食べものに関しては、和風も洋風もないんです。私はテーブルの上にでたものは何でも食べちゃう。食わないのは器だけでして、あれは体に悪いから食わないんですけどね。まあ、とにかく何でも食べます。しいていうと、好きなのは和食ですかね。ただ、おかしなものでステーキなんか食べるときは洋服が多いです。街へ出るとそういう組み合わせになっちゃうんですね、不思議と。何でも食べますけど、好きなものは鍋類です。どうしてかというと面倒くさくないですから。ぼくはゆっくりといろんなものを楽しんで食べるってのは好きじゃないんですよ。朝飯なんか納豆一つあればいいんです。それが卵あり、白子あり、つけものあるってふうに並べられたって、どれか一つしか食べませんね。その点鍋ものは鍋が一個ありゃいいからね。つまり、貧乏性でしてね、手間がかかるのはあまり好きじゃないんだ。若いころいろいろ苦労したからね。
だから、昼飯どきに混んでる店なんかで、「焼き魚定食!」なんていってる人がいますけど、よく板前さんが気の毒じゃなくていうねって気がする。焼き魚は面倒くさいんですよ、時間がかかってね。ぼくは、そこらにあるでき合いのもの、ライスカレーとかそういうものを選んじゃう。
酒は臨機応変、不偏不党。だから、白木のカウンターに生魚がずらっと並べてあるようなところでは、まずビール一本飲んで、そのあとにお酒ってことになります。銀座のバーで日本酒っていうのもおっくうだから、ウィスキーの水割りかブランデーになります。雰囲気に合ったものを飲むのが一番うまいですよ。
中には阿呆な人がいますよ。京都の祇園や先斗町とかの会席料理屋でウィスキーのボトルを置いてる旦那がいるんですよ。極上のボルドー・ワインで朝鮮料理食べたってうまくないと思うんですがね。やっぱり、朝鮮料理ならビールでしょう。何がなんでも、おれは水割りだとか決めちゃう人がいますけど、気の毒ですね。飲む店なんかもあまり片寄らないようにしているんです。バーなんかでしょっちゅう飲むと体こわすんです。ホステスなんかも水割り飲んで、食べるものといったら木の実みたいなものだけでしょ。あれじゃ肝臓悪くしちゃいますよ。
だいたいぼくはこれしかない、といった考え方はしないんですよ。和式、洋式といったって、日本人全体が和洋折衷でうまくやってるわけですね。ぼくなんか和洋だけでなく何でも折衷なんです。宗教にしたって、ぼくは浄土宗ですけど呼ばれれば平気で教会でやる結婚式にいくものね。ある信仰をもってる人たちの中に入れば、一緒になってあがめるんです、そうすればその土地の人たちと融和できる。過激派と一緒になれば過激なことをいい、保守党の集会では国粋的になります。とにかく、死ぬまで、ぶつからないで、うまく泳げればいいんですから。
西洋ではボールペンかタイプライターでしょ。万年筆を筆のように扱うんですよ。たとえば、ぼくの場合ですと、モンブランの149を使っているんです。ペン先が柔かくて、タッチが軽いんです。それにタンクが大きいから、いつまでも書けるでしょ。それでもぼくは一晩に二回位給油しますから、いつも満タンのを三本置いておくんです。おろした時期もまちまちだから、字の太いのあり、細いのありで、書くたんびに気分が少し変わるんですよね。で、だれてるときには細いペンにしたりしてるんです。外国人はこんなことしてないでしょう。今や万年筆は、日本的というか、和風のものじゃないでしょうかね。
食べものに関しては、和風も洋風もないんです。私はテーブルの上にでたものは何でも食べちゃう。食わないのは器だけでして、あれは体に悪いから食わないんですけどね。まあ、とにかく何でも食べます。しいていうと、好きなのは和食ですかね。ただ、おかしなものでステーキなんか食べるときは洋服が多いです。街へ出るとそういう組み合わせになっちゃうんですね、不思議と。何でも食べますけど、好きなものは鍋類です。どうしてかというと面倒くさくないですから。ぼくはゆっくりといろんなものを楽しんで食べるってのは好きじゃないんですよ。朝飯なんか納豆一つあればいいんです。それが卵あり、白子あり、つけものあるってふうに並べられたって、どれか一つしか食べませんね。その点鍋ものは鍋が一個ありゃいいからね。つまり、貧乏性でしてね、手間がかかるのはあまり好きじゃないんだ。若いころいろいろ苦労したからね。
だから、昼飯どきに混んでる店なんかで、「焼き魚定食!」なんていってる人がいますけど、よく板前さんが気の毒じゃなくていうねって気がする。焼き魚は面倒くさいんですよ、時間がかかってね。ぼくは、そこらにあるでき合いのもの、ライスカレーとかそういうものを選んじゃう。
酒は臨機応変、不偏不党。だから、白木のカウンターに生魚がずらっと並べてあるようなところでは、まずビール一本飲んで、そのあとにお酒ってことになります。銀座のバーで日本酒っていうのもおっくうだから、ウィスキーの水割りかブランデーになります。雰囲気に合ったものを飲むのが一番うまいですよ。
中には阿呆な人がいますよ。京都の祇園や先斗町とかの会席料理屋でウィスキーのボトルを置いてる旦那がいるんですよ。極上のボルドー・ワインで朝鮮料理食べたってうまくないと思うんですがね。やっぱり、朝鮮料理ならビールでしょう。何がなんでも、おれは水割りだとか決めちゃう人がいますけど、気の毒ですね。飲む店なんかもあまり片寄らないようにしているんです。バーなんかでしょっちゅう飲むと体こわすんです。ホステスなんかも水割り飲んで、食べるものといったら木の実みたいなものだけでしょ。あれじゃ肝臓悪くしちゃいますよ。
だいたいぼくはこれしかない、といった考え方はしないんですよ。和式、洋式といったって、日本人全体が和洋折衷でうまくやってるわけですね。ぼくなんか和洋だけでなく何でも折衷なんです。宗教にしたって、ぼくは浄土宗ですけど呼ばれれば平気で教会でやる結婚式にいくものね。ある信仰をもってる人たちの中に入れば、一緒になってあがめるんです、そうすればその土地の人たちと融和できる。過激派と一緒になれば過激なことをいい、保守党の集会では国粋的になります。とにかく、死ぬまで、ぶつからないで、うまく泳げればいいんですから。