(巻二十五)視点変え歳時記換えて日々草(中島英子)
5月7日木曜日
細君が朝一で買い物に出かけ、生協の花屋さんでカーネーションを買って帰った。
「店長さんや、教えてくれる人に声かけられちゃうのよ」という。
とは云っても高々月に一二度の五六百円の馴染み客である。
花屋さんでは、ミカンの剪定についてのご指導もいただいてきた。
剪定は三月から四月が時期なのだがその頃に鉢の植え替えをした。根が落ち着くまで待つようにとの指導があり、五月になっての剪定になった。
ご指導に従い新芽の生えた枝を落とした。花を開かせた枝や蕾の多い枝を落とすのは可哀想だったが、このまま伸び放題にして大きな鉢への植え替えを繰り返すわけにはいかない。
花を一つの命と見れば酷いことだが、鉢植えを一つの命と視点を変えれば育てることになる。
花と蕾の付いた枝はカーネーションと一緒の花瓶に挿した。
おほまかな剪定にして狂ひなし(高橋将夫)
午後は駅前まで散歩いたした。五千五百歩。
残念だった事-図書館の開館が見送られたこと。でもリスクを考えればまだまだですね。
葛飾区の中央図書館がニュースに出ていたがずいぶんとご立派な図書館のようだ。
願い事-金をかけずに眠るが如く。
*死ぬこととお金についての参考文献
『人間臨終愚感-山田風太郎』
『放っといて協会-別役実』