(巻二十五)白玉や無理に忘れることもなし(宇佐美ちえ子)
3月14日土曜日
積もりはしなかったが午後雪が降った。
春の雪ひとごとならず消えてゆく(久米正雄)
(裏ハイ)
図書館で角川俳句が読めない。朝日俳壇では上品過ぎる。そこで裏ハイを覗いてみたが、今週は書き留めたくなる句に出逢えず。
物流の果ての渚を歩む蟹(福田若之)
なんて感じの句に出逢いたいのであります。
(音楽)
細君には何人かの電話友だちがいる。お喋りで気が紛れてあたしへのアタリが緩くなってくれるようなので電友の皆さんには感謝している。
そんな電友の一人にこの重苦しいムードを払拭する方法を尋ねたらしい。そして頂いた回答が“録り貯めてある番組を見たら?”であったらしい。
昨日は福山雅治さんのアンデス番組に誘われ、今日は井上陽水のコンサートに誘われたが、ジィーと画面を見ているのは辛いのでお断りいたした。
音楽は何かしながらがよろしい。
*少年時代だけは一緒に聞こうと言われてご一緒いたしました。
(読書)
「セーラー服と四畳半 - 澁澤龍彦」中公文庫 少女コレクション序説
を読んでみました。
《本当のことをいってしまえば、ワイセツとは大へん結構なものであって、これがなければ、人類はとっくの昔にほろびていたのではないかと思われる。なるほど、犬や猫の世界にはワイセツはない。人類だけが、性的欲望を洗練させて、エロティシズムの世界を確立したのである。
それでは、エロティシズムとワイセツとはどう違うのか。これは簡単なことで、いわゆる良風美俗に反するような、強烈なエロティシズムを便宜上、社会がワイセツと呼んで卑しめているだけのことである。 》
《 金阜山人の名文にケチをつけるつもりは毛頭ないが、どうも、あんまり正攻法で、あんまり正常すぎるような気がするのである。
最後に袖子が「おつかれ筋なのね」といって、フェラチオをするシーンがあることはあるが、「一きは巧みな舌のはたらきウムと覚えず女の口中にしたたか気をやれば......」などといった描写は、やはり一種のマナリズムで、ワイセツからは遠いような気がする。》
つまり荷風のこの程度の描写は《 いわゆる良風美俗に反するような、強烈なエロティシズム》にはあたらないとおっしゃている。
それはそれとして、
春の雪ひとごとならず消えてゆく(久米正雄)
のように消えるのがよい。
東京の桜が開花だそうだが、散る桜より雪のように消えてしまうのが一層よろしい。
だが、
美しく消ゆる難し残る雪(徳竹邦夫)
なのだ。