1/2「ネス湖の生一本、グレン・モーランジー - 景山民夫」新潮文庫 今宵もウイスキー から
長い長い直線の道が続いている。
周囲は羊の放牧場で、ところどころに見える岩山の近くに、決ったように数頭の鼻先の黒い羊が群れて牧草を食べている。ほとんど車通りが無いせいか、僕の運転するモーリス・ミニ・ヴァンが通りすぎるのを珍しそうに見つめている羊もいる。
スコットランドの高地[ハイランド]は、ただでさえ低い人口密度のせいで車が少ないのだが、今、僕が走っているネス湖の南岸に沿った道は、1933年に反対側の北岸にM86という国道が開通してからは、完全に旧道となってしまい、長さ40キロ近くあるネス湖の端から端まで走っても、一台の車ともすれ違わないことも珍しくはない。
それでも、今回は遥か彼方からこちらにやって来る車が見えた。僕との距離は6キロぐらいあるだろう。
直線道路だが、かなり起伏があるので、時折姿が見えなくなっては、また現れる。やがて、最初にその車を認めてから10分ぐらい後に、やっとすれちがうことになる。
もう相手の車の運転者の顔が見える。五十歳ぐらいの紳士で、お定まりのツイードのジャケットにタートルネックのセーター姿で、頭にはシャーロック・ホームズでおなじみの、耳当てを頭の上で結んだ鹿撃ち帽[デイア・ストーカー]をかぶっている。ギリギリ車二台分の幅しかない道路だから、彼も僕も、時速10キロぐらいまでスローダウンして、いざすれちがう瞬間となると彼がその帽子をヒョイと取って軽く会釈をした。こちらはあいにくのことに無帽だから、会釈を返すだけである。今度からネス湖に来る時は、たとえヘルメットでもいいから頭に何かのせておくことにしよう。
彼と僕とは知り合いでも何でもない。全くの初対面である。が、とにかく10分ほど前から互いに車を認めあっている。だから顔が見える時になったら挨拶をかわすのが当然である.....というのがスコットランド高地での物の考え方だ。そして僕はそういう考え方に出会う度に嬉しくなってしまう。
初めてネス湖に来たのは1971年のことで、スコッチ・ウイスキーのカティーサーク社がロイド保険会社のバックアップで、ネッシーを生け捕りにしたものに100万ポンドの賞金を出すと発表した年である。もちろんイギリス式のジョークなのだが(第一、法律で、ネス湖に住む、魚以外の動物を捕獲あるいは殺害することは禁じられているのです)、僕としては、そのニュースを聞いて無神経なアメリカ人あたりが大挙して乗り込んで来てダイナマイトでも放り込みはしないか、ならば彼らに荒される前に、子供の頃から憧れていたネス湖を見ておきたいと、やってきたのだ。季節は夏で、ちょうどバカンスのシーズンに入ったばかりであり、北岸の国道沿いに点在する、主として団体旅行のアメリカ人むけのホテルはどれも満室で、湖に面したホテルで空いているのは対岸のフォイヤース村のホテルぐらいのものだろうと教えられ、旧道をたどることとなった。
湖に沿って湖尻から20キロほど走ると、白いペンキ塗りの木造の二階家が丘の上にあって、それがフォイヤース・ホテルだった。幸い部屋は空いており - というよりは他にはドイツ人の夫婦が一組泊っているだけだったのだが - 荷物をほどいて一階のバーで夕食前の一杯を飲[や]ることにした。日本を出る時から高地で飲む一杯目のスコッチ・ウイスキーに対する思い入れがかなりあった。