「その時、本棚は動いた ー 荻原魚雷」本の雑誌社古書古書話 から
三月十一日の午後二時四十六分、わたしは京都にいた。
地震があったことにも気づかず、出町柳界隈の古本屋をレンタサイクルでまわっていた。ガケ書房の店長さんにノートパソコンを見せてもらい、震災のニュースを知った。
「これはたいへんだ」
翌々日、東京に帰ってきて、あるていど覚悟はしていたけど、部屋の散乱ぶりは予想以上だった。
玄関、台所、居間、仕事部屋の本棚から本が落ち、床に積み上がった本は腰の高さをこえた。 かきわけて前に進むこともできない。
函入りの本の函が壊れたり、帯が切れたり、頁がバラけたりした。
阪神大震災のあと、神戸在住の古本好きの知人からは「寝る部屋にはあんまり本を置かんほうがええよ」と忠告されていた。
知り合いの古本屋からは「重い本は(本棚の)上のほうに置いてはいけない」と教えてもらっていた。
一年ほど前に、住居の賃貸マンションの上の階から水もれがあり、工事に来た人に「本棚をちゃんと固定しなさい」といわれ、L字型の金具や強力な粘着シール付の耐震グッズを導入していたおかげで、本棚は倒れなかった。
今回の地震で学んだのは、玄関付近に本をたくさん置くと、それが崩れたら、外に出られなくなるということだ。
基準値をこえる蔵書量を誇る友人たちと会うと、かならずといっていいほど、本が崩れた話になる。古本マニアという人種は壁があれば本棚を置かずにいられない。そしてたいてい天井まで本を積み上げ、あらゆるすきまを本で埋める。
「やっぱり、また崩れるとおもうと元に戻せない。それに行方不明になっていた本が出てきて、 つい読みふけってしまうから、ちっとも片づかないんだよね」
「電車が止まって、会社から四時間かけて家に帰ったら、本棚が倒れていて、布団がひけなかった。あれにはまいった」
「今回のような大きな地震があると、古本を売る人が増えて、古本屋の倉庫がいっぱいになるらしいよ」
住居から徒歩三分くらいのところに本を置くための木造の風呂なしアパートも借りていて、 毎日、行ったり来たりしながら、本を片づけていた。
その途中のゴミ捨て場に本が捨てられている光景を何度も目にした。そうした本を拾って古本屋や廃品回収業者の市場に売りに行くプロもこの業界にはいる。
三月は引っ越しシーズンだから、一年でもっとも本が動く季節である。そこに今回の地震が重なったから、古本屋の買取が激増しているという話も聞いた。
今も散らばった本の片づけをしながら仕事をしている。
心ここにあらず、どこになにがあるかわからず、先の見通しも立たず、平静を保つこともままならぬ日々だ。
脇村義太郎著『東西書肆街考』(岩波新書、一九七九年)は、古本街の歴史を知る上では欠かせない本である。
一九二三年の関東大震災のとき、神田の古本街は大きな被害にあった。
「大量の書物を持っていたために、耐震力の弱い神田書肆街の店舗は一瞬にして崩壊をしたものが多く、そのため犠牲者も出た。そしてその間にあちこちで火を出して、九月一日の夕刻までに神田の本屋街はほとんど燃失し、さらにその火は南風が吹きすさんで駿河台小川町・淡路町方面にまでひろがり、商店街・学校街のほか高台住宅地まで焼け野原になってしまった」
この震災で、江戸期からの古記録や図書が回復できないほど焼失したといわれている。店や本を失い、建物の材料、工事のための労働力もなく、神田の復興は困難をきわめた。しかし、 都内の古書店はすさまじい底力を見せた。
「彼らは真っ先に神田の焼け野原に仮営業所を建て、書物に飢えた人々が殺到し大いに営業を伸ばすことができた」
バラック建築で営業を再開した店もあれば、建築資材が整うのを待たず、テントを張って営業をはじめた店もあった。
脇村義太郎は「神田古書店街の過去百年間の発展は、強い個人主義に立つ古書店オーナーたちによって支えられてきた」といい、さらに古本業者は、先を争って被災しなかった地方都市に出かけ、従来の価格のままで並べている本を買い漁り、巨額の利益を出したとも綴っている。
当時、娯楽がすくなかったとはいえ、震災後の困難な時期に、それだけ本が読みたいという 人がいたわけだ。
三月十一日、神保町の古書会館で古書展が開催されていた。建物がぐらぐら揺れる中、何事もなかったかのように、本を読み続けている人もいれば、会計の列に並び続けている人もいたそうだ。
あの日を境に、何もかも変わってしまった気分になっていたのだが、この話を聞いて、すこし気持が落ちついた。
毎日、古本屋に行きながらも、被災地や原発事故、物不足や停電のニュースを見るたびに、 「こんなことをしている場合なのか」とおもっていた。しかし、考えてみれば、わたしはこれまでもずっと「仕事もせず、古本ばかり読んでいていいのか」とおもいながら、古本屋通いをしていたのである。
何の役にも立たなさそうな古本だって、幾多の困難を乗り越え、今、ここにある。 また日本は復興するとおもうよ、きっと。