「百閒は旺文社文庫で ー 荻原魚雷」本の雑誌社古書古書話 から
ときどき古本好きのあいだで「学生時代に『何』文庫をいちばん熱心に読んだか」という話になる。SF、ミステリー、時代小説など、好きなジャンルによって、答えはちがうだろう。 日本の私小説や随筆が好きなわたしは旺文社文庫だ。ただし、新刊書店で買った記憶がない。
旺文社文庫の創刊は一九六五年、廃刊は一九八七年——。
わたしが上京したのは一九八九年の春なのだが、すでに入手難の旺文社文庫がちらほらあった。そんな旺文社文庫の看板作家といえば、内田百聞だ。グーグルで「旺文社文庫」と検索し、スペースを空けると、最上位キーワードに「内田百聞」が表示される。
旺文社文庫の百閒本は「内田百閒文集」三十九冊+平山三郎編『百鬼園の手紙』『百鬼園先生よもやま話』『回想の百鬼園先生』の三冊。あと文庫ではないが「内田百閒文集」の完結記念として出版された『百鬼園寫眞帖』もある。文庫の背表紙には、作家と作品ごとにナンバーが付いている。旺文社文庫の内田百聞の数字は「121」。たとえば『阿房列車』は「121/1」、『東京焼盡』は「121/30」である。
古本屋で内田百聞の文庫を買うたびに、自作の探求書リストの1~39までの数字をひとつずつ消していった。最後まで残った数字は「121/38」。
わたしが内田百聞を知ったのは吉行淳之介の『軽薄のすすめ』(角川文庫)という本がきっかけだった。厳密にいうと、『軽薄のすすめ』の山口瞳の解説である。
「その人が何かを書いたら必ず読むという作家は、私にとって吉行淳之介さん唯一人である。 いつか、戸板康二さんにその話をしたら、戸板さんは、私にとっては内田百聞だと言われ、何だか妙に嬉しくなったことがある」
当時のわたしは戸板康二を知らなかったのだが、ひとりの人間にその作品のすべてを読みたいとおもわせる作家として内田百聞の名前をおぼえた。
どんなものを書いているのか、気になる。近所の古本屋に行き、旺文社文庫の『百鬼園随筆』 と『続百鬼園随筆』を買った。すると『百鬼園随筆』の解説が戸板康二だった。
「内田百閒という文人が存在したことを、ぼくは明治・大正・昭和の日本文学史の上で、きわめて重要なことだと思っている」
戸板康二は内田百閒の文章に惚れ込んでいる。百閒の文章については「ボーイがボイ、スープがソップ、バッハがバハといったような書きぐせは、漱石の場合と同じで、頑固に用いられるのだが、ものの考え方や感じ方も、ほとんど若い時と晩年と、変わろうとしていないようだ」 と評した。
百閒は、書きぐせだけでなく、旧仮名にも固執していた。
内田百閒著『東海道刈谷驛』(旺文社文庫)に「驛の歩廊の見える窓」という随筆がある。百閒は「新聞等で假名遣ひの扱ひが窮屈になつたので大変困る。そつちできめた方針に従ひ、人の書いた物を勝手に直さうとする。横暴とも弾圧とも言い様のない処置で、その新聞が掲げてゐる言論の自由だとか民主主義だとか云ふものの後味の苦さを十分に味ははされる」と新仮名の導入に文句をいう。
中学生向けの文学全集に百閒の作品を収録したいという申し出があった。そのさい、収録作はすべて「新假名遣ひ」に書き直すといわれる。当然、百閒は断る。
「中学生が私などの物が読める様になつてから、その勉強をした上で読んでくれればいいので、 こちらから作品の文法を改めてまで彼等に読んで貰ふ必要は少しもない」
わたしは旧仮名で書かれたものを何が何でも原文で読めというつもりはない。しかし、新仮名を拒否し続けた作家にかぎっては、なるべく旧仮名で読みたいとおもっている。
「私には私の文法がある。人から押しつけられた無理強ひに従つて自分の文法を変へたり捨てたりする事は出来ない」
内田百閒の旺文社文庫の編集部註記には、「かなづかいは原文のままとした。漢字は正字体を新字体・略字体にあらためた。ただし、人名・地名をはじめ、漢字の一部を正字体とした」 とある。古本の世界で旺文社文庫が人気なのは「旧仮名/新仮名」問題も関係しているかもしれない。なお、百閒は略字も否定している。
内田百閒を読む。それは「百閒の文法」を味わうことでもある。
旺文社文庫の内田百閒文集をコンプリートするのに十年くらいかかった。途中から「定価より高く買わない」という自らに課していたルールもやめた(旺文社文庫の百聞本の定価は三百円~四百円台)。それでも残り数冊になってから苦戦した。
「121/38」——『百鬼園日記帖』をようやく入手したときは、すでに二十一世紀になっていた。暗い穴から出た気分だった。
何度か古本屋で内田百閒の文庫の全巻セットを見つけ、心が揺らいだこともあった(バラで揃えるより安くすんだかも・・・・……)。
でも、悔いはない。毎日のように古本屋を回り、すこしずつ買い揃えながら読む。時間をかけて読んだおかげで、自然に旧仮名や百閒の書きぐせになじむことができた。そういう読書を経験できたのは幸せだった。
長年、探しあぐねていた百閒の本は、今ではワンクリックで買えてしまう。正直、その誘惑に抗える自信はない。
家の本棚に並んだ旺文社文庫の百閒の背表紙を見ると、昔の自分は「ひまだったんだな」とおもう。もし今、同じようなことができるかといえば、たぶん無理でしょうね。