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「エッセイはむずかしい ー  荻原魚雷」本の雑誌社 古書古書話  から

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「エッセイはむずかしい ー 
荻原魚雷本の雑誌社古書古書話  から

古本屋に行く。探している本が見つからない。店に入った以上、なるべく手ぶらでは帰りたくない。そんなときは何でもいいから、エッセイ集を買う。
適当な頁を開いて、一篇のエッセイの最初の数行か最後の数行を読むと、その作者が自分の好みかどうか、だいたいわかる(例外はある)。小説の場合、そういうわけにはいかない。百頁くらい読んでから、急におもしろくなる作品はいくらでもある。
ほんの数十秒の立ち読みで、当たり外れが見分けられる。だからエッセイは怖い。
エッセイは気がふさいでいるとき、 疲れているときに読むもの―――というのが、わたしの持論だ。年中、ぐったりだらだらしている身としては、こってりしたものより、あっさりしたものが読みたい。短い文章ばかりなので、気にいったら気楽に何度でも読み返せるのもいい。さらっと読めるにもかかわらず、腕のいいマッサージ師のように「ほどよく気持いい痛み」を感じさせてくれるエッセイはありがたい。
小説家の中で"エッセイの名手”といわれる人をあげるなら、わたしは吉行淳之介がまっさきに浮かぶ。
「小説でも随筆でも、吉行さんの作品を読んで裏切られたことは一度もない」
これは吉行淳之介著『軽薄のすすめ』(角川文庫)の解説にあった山口瞳の言葉。わたしはこの本にも収録されている「戦中少数派の発言」を読んで、エッセイのおもしろさと怖さを知った。本を読むことは、知らないことを知るだけでなく、自分の考え方や感覚を一変させてしまうこともある。
さらに、山口瞳はこんなことも書いている。
「小説を書けば情緒纏綿、随筆を書けば無味乾燥という作家がいる。文筆業者としては、随筆のほうが勝負がはっきりしていると言えるかもしれない。随筆では体当たりや研究は通用しないのだから」 
吉行淳之介の作品を読むと、山口瞳は「これなら私にも書けるのではないか」とおもう。しかし、原稿用紙に向かうと、それが錯覚と気づいて、打ちのめされる。
山口瞳の『男性自身 困った人たち』(新潮文庫)の解説で、阿刀田高はエッセイには「蘊蓄、 新体験、心情吐露」の三つの方向があるといい、蘊蓄では丸谷才一、新体験では野坂昭如がさまざまな試み”で読者を楽しませていると綴っている。
そして山口瞳は――。
「山口さんの世界は筆者の心情吐露が読者のシンパシイと結びつく世界だ。
どのくらいの読者のシンパシイと結びつけばよろしいのか?
極度に普遍的なシンパシイを得ようとすると、かえって退屈なものになりかねない。(中略)シンパシイの範囲が狭過ぎてもいけない。広過ぎてもいけない」
つまり、やさしすぎてもむずかしすぎてもいけない。"エッセイの名手”といわれる作家はそのさじ加減が絶妙なのだ。不特定多数に向けて書かれた文章にもかかわらず、「自分のような人間に向けて書かれたものだ!」とおもわされてしまう。そうした作者の術中にはまるのも読書の楽しみだ。
もちろん「シンパシイの範囲」を見極める大切さは、文学だけでなく、映画、演劇、演芸、 漫画、音楽、美術など、あらゆる表現にいえることかもしれない。それゆえ、文学以外のジャンルの人でも"エッセイの名手”は数多く存在する。 だからエッセイは怖い。
文芸における異種格闘技といっても過言ではない。
エッセイ集は、ほかにも随筆集、随想集、感想集、散文集、短章集、コラム集、雑文集など、 いろいろな呼び名がある。それらの本は、かならずしも文芸の棚に並んでいるわけではない。 とくに古本屋だと、どこにあるのか見当がつかない。作者を知らないと、手にとって読んでみるまでエッセイ集かどうかすらわからないことも多い。
『街角の煙草屋までの旅』『二流の愉しみ』『人生仮免許』『低空飛行』『白いページ』『余禄の人生』『半身棺桶』『ペンの散歩』『紅茶の時間』『雑雑雑雑』『木洩れ日拾い』『たたずまいの研究』 『あるきながらたべながら』『八面のサイコロ』………………。作者の名前はふせたが、いずれも(わたしが一目惚れした) エッセイ集の題名である。
今はそういうことはなくなったが、若いころは一篇のエッセイでその作家を好きになったり嫌いになったりした。
人生観や思想のちがいといった大ゲサな話ではなく、些細な言い回しから「この人は面の皮が厚そう。傍若無人っぽい。たぶん純感にちがいない」と勝手に邪推し、全人格、全作品を否定していたこともある(身のほど知らずでした)。 
自分を大きく見せないこと。といって、車下しすぎると嫌味になる。エッセイはそのあたりのバランスもむずかしい。
エッセイを書いているとき、自意識をどう扱えばいいのか。これもむずかしい問題だ。
そろそろ若手の立場で書くのが苦しくなってきた。とはいえ、ベテランの立場で書けるほどの実績もない。俺はどうすればいいんだー(心情吐露)。
そんな葛藤を経て、推敵を重ねまくり、心血を注いで書いたところで、いいエッセイになるとは限らない。力を抜いて気楽に書けるかといえば、それができれば苦労はない。
もし人生をやり直せるのであれば、何か他の道で大成してから、余技でエッセイを書ける身になりたかった。と、現実逃避したくなるくらい、今、悩んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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