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「漫談 ー 徳川夢声」話術・徳川夢声 新潮文庫 から

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「漫談 ー 徳川夢声」話術・徳川夢声新潮文庫から

講談や落語が、幾世紀幾百年の伝統を有するに比して、漫談はまだ四半世紀二十五年の歴史を有するのみであります。

大正十二年のころ、いつも暗やみで喋っている私たち説明者は、明るいところで喋りたいという欲望をもっていたのでしたが、丁度神田キリスト教青年会館で、音楽など混えたヴァラエティ風の会が催されたのを幸い、私は出演して、漱石の「吾輩は猫である」の中から「首縊[くびくり]りの力学」の条[くだり]をとりあげて、一席口演しました。
その以前から私は、新時代の落語であり、講談であるような、何か今までにない型式の話がありそうなものだ、と考えていました。で、とりあえず「猫」を自分の話術のカンブクロにドシこんで、やってみたわけです。後年になってわかったことですが、 あの漱石猫物語は、徹頭徹尾漫談みたいなものでした。 
編中の迷亭を漫談王として、寒月君も素晴しい漫談の天才であり、苦沙弥先生もなかなか皮肉な漫談家であります。その全体を語るネコ先生にいたっては、漫談界のシエークスピアであり、ゲーテであります。もしも今日、迷亭先生のような、学識と人格と弁舌を有する漫談家が現われたら、私は喜んでその靴の紐を結ぶでありましょう。
この「猫」の前に、同じ会でシュニッツレルの「盲目のジェロニモとその兄」を口演したことがありますが、これは漫談には関係が薄いので、ここでは話を略します。 で、私はこのとき偶然にも、後年の漫談をやったわけですが、まだ漫談という商標は、この時分できていませんでした。
この前後に、大辻司郎君(惜しくも飛行機事故でなくなった)が落語家を志ざし、 三代目小さん師のところへ、一時稽古に通っていました。 
その大辻君主催で、日本橋倶楽部に「頼まれた会」というものがあったとき、私は頼まれて出演、杉山其日庵作「法蝶の説」の一節を口演しました。これは落語の「源
平盛衰記」のような味のもので、たしか「三国志」の一部だったと思いますが、中国の謀将たちがホラ吹き戦すなわち宣伝戦をやるところを、面白く述べた物語でした。 これも、立派な漫談の型を整えたものでした。だいたい、落語の「源平盛衰記からして、漫談調のものです。 
この会のとき、大辻君は三代目直伝の落語「粗忽長屋」を一席伺いました。 さて、その後にいたり、ある日のこと大辻君が神田東洋キネマの楽屋に現われて、
「いよいよ、僕はハナシでやって行こうと思うんですが、何か名前をつけないと、どうも落語と一緒にされるとまずいです、どうでしょう。マンダンというのは?漫画があるんですから、漫談があっても好いわけですが・・・・・・」
と私に相談しました。
「漫談か、そいつは面白い。」
と、私も賛成しました。
ですから、漫談という実物は、その前からあった――たとえば落語のマクラ話とか、 講談のヒキゴトは、みな漫談であります。故蝶花楼馬楽や、故三升家小勝が、高座で喋った社会諷刺は、みな立派な漫談でした。私が口演した「吾輩は猫である」も「法蝶の説」も、また漫談であったといえますのだが、しかし、漫画から漫談を思い
つき、この商標を貼りつけたのは大辻司郎君でした。
それから大辻君は、例のヤリカタで、漫談を大車輪で売り広めました。世間が、漫談という名に、関心を持ち始めたのは、まさしく彼の手腕であります。
このように漫談の起りは新しきものであるが、考えようによっては、天の岩戸の前に八百万の神が集合せられ、天のウズメノ命のオカしき舞を見たときから始まる、といってよろしいでしょう。

では、漫談とは何ぞや、漫談の本体は如何に?――ということになります。私はよく次の質問を受けます。
「落語と漫談はどう違うか?」
これを説明すれば、自然と漫談なるものの性質がおわかりになると思います。

A・落語には最後のオチが必要でありますが、漫談にはほとんど必要でありません。

もっとも近ごろの寄席では、時間の都合その他で、落語家は正式のオチまで語れずに、途中、客がドッと笑ったあたりで、引下ります。このドッと笑うのも一種のオチといえばいえるので、その意味のオチならば漫談の方でもときに使用します。
ですから、落語には必ずオチがあるべきだが、漫談にはオチがなくてもよく、あっても差支えなしと、というのが実際でしょう。
落語とハッキリ区別させるために、オチなんてものは、正式にも不正式にも、全然用いなければ好いではないか、という説がありそうですが、客がドッと笑った肌に、 引下るのが一番ラクでもあり、喝采も得られるのでありまして、さもないと何か余計な幕切れの言葉をいわないと、引っこめなくなります。
悪く言えば、一種の逃げ出し戦術みたいなもので、忍術に火遁の術、水遁の術があるように、これは笑遁の術であります。
場所によっては、たとえば学校の講堂で学生に聞かれるときとか、婦人会の集まりで家庭の女性ばかりを相手のときとか、そんなときは笑遁の術を用いず、ドッと笑った後で、一応真面目な顔となり、気の利いた終りの挨拶を述べて降壇した方がよろしいようです。 

B・落語には一貫した筋があるが、漫談にはありません。

これも原則としてであって、例外としてはほとんど筋のない落語もあり、立派に筋のある漫談もあります。もっとも、そういう場合は、和服の落は、和服の落語家が一種の漫談をやり、洋服の漫談家が一種の落語をやる、と考えてもよろしいのであります。私なども、 ときどき、筋のある漫談をやりますので、
「ムセイのは、あれはマンダンら
じゃないデス。落語です。」
などと、蔭で仲間からいわれますが、なァにその人たちの勝手な定義と違っていても、いっこう差支えないと思います。
世の漫談家と自称するものの中には、筋のないのを好いことにして、ただ客を笑わせれば事足りると、主題もなく、構成もなく、計画もなく、気分もなく、なんでも客が笑いそうな小話や、駄洒落や、ニュースを、口から出まかせに並べたてる人があります。それも、自分で発見した材料ならまだしもよろしいが、同業の人の舞台を横から聞いていて、すぐその一部を無断で失敬する、落語家が昔から用いてるマクラをそのまま失敬する、漫才諸君のネタを好いとこだけ失敬する、というふうに、実に失敬千万なマンダンをやる人があります。
その失敬漫談でも、聴衆が終始大満足ならば、それもまた結構、立派に存在価値があると思います。ところが、そうしたツギハギ漫談、掻キ寄セ漫談は、客の顔色を見ながら、アレを出したり、コレを出したり、少しも取り止めがないから、客の方では話の変る度毎に、また元の出発点に引き戻されて、すぐ疲れてしまいます。
筋はなくとも、一度、話が始まったら、客の興味をつなぎ止めたまま、グングンと最後まで引っ張って行かねばなりません。それを途中で何度も縄を切って、出発点へドスンドスンと落としていたのでは、一つところを行ったり来たりで、いつまでたっても客は面白天国へ登れません。
それには全体を一貫する主題が欲しい。たとえば交通地獄とかノイローゼとか、粗忽とか、恋愛とか、それに即した話を続けることが、原則として必要です。
あるいは、主題というほどハッキリしたものはなくとも、全体を貫くフンイ気ともいうもので、支配できればそれもよろしいと思います。なんとなく楽しい気分、嬉しい気分、エロな気分、あわれな気分、そんなものが会場に満ちて、聴衆は時間のたつのも忘れる。これなら大した話術です、大した漫談です。いや、実はそれが最高、最純の漫談かもしれません。
で、落語には筋が必要だが、授談には筋がなくてもよし、あってもよし、というところが実際的でありましょう。

C・落語は師匠から伝授されるが、漫談は自分で創作する。

新作の場合は別として、落語家はその師匠から「寿限無」とか、「がまの油」とか、「五人廻し」とかのお稽古を、差しがいでつけてもらう。あるいは師匠なり先輩なりの高座を、横からのぞいていて、その真似をする。
「実に、師匠そっくりだねえ。」

というのは、若い落語家にとっては、大した賞め言葉であります。いや、若い落語家のみでなく、老大家になっても、
「まったく、先代を聞いてるようだよ。」
と言われるのは、その先代が名人であれば、これまた非常な名誉であります。
ところが、漫談家にこれは禁物であります。見習中の者なら仕方がないが、仮りにも一本立ちとなった以上、絶対に人の真似はいけません、師匠の真似といえども、してはならないのです。
漫談には、落語のような古典がないのですから、昔の型を重んじ、伝統を踏襲する、 という必要がありません。その代り、全部、当人の自作であるべきです。
したがって漫談には、何よりも明確な個性というものが、絶対条件です。むろん、 落語家にも個性がなければなりません。しかしそれは、あくまで作品の内部におしこめた個性であり、知らず知らず作品の外側に、にじみ出してくる個性であります。が、 漫談はその反対に、まず個性が外側に現われ、個性がその作品の中心にまで、しみ込んでいなければなりません。早い話が、餡コロ餅と大福餅との相違であります。 

D・落語家には、時代感覚を必ずしも条件としないが、漫談には、それが絶対条件である。

落語家がたとえば、昔ながらの「天災」をやるとき、「廿四孝」を演ずるとき、彼はジャズを知らなくともよろしい、原子爆弾を知らなくても結構、ペニシリンを知らなくても大丈夫。いやむしろ知らない方が好いくらいなものでしょう。幕府時代封建時代の感覚で、心学の先生を演じ、大家さんを喋り、八つん・熊さんを弁じたら、 それで満点です。
しかし、漫談家が、時代に対して鈍感であって、たとえば未だに第二次世界大戦以前の感覚で、何か喋っているとしたらゼロであります。時代の進展変態とともに、かメレオンの如く、こちらも変って行かねばなりません。カメレオンでは軽薄に聞えるというなら、レーダーの如く敏感に、と言いかえましょう。
この時代感覚が鋭敏ならば、そして、その批判精神がギラギラと光るならば、かりにその人が落語の「天災」「廿四孝」を演っても、それは一種の漫談たり得るでしょう。
逆に、時代感覚が無に近い人で、批評精神など薬にしたくもない人が、しいて新しがって、ダンスを論じ、キッスを罵り、冷かしたりしても、それは封建時代の落語と同じであります。
以上落語と漫談の差について、根本的な四ツの条件をあげましたが、川柳のような俳句もあり、俳句のような川柳もありまして、実際問題としては、区別のつかない場合が、多々あるのであります。

 

 

 

 

 


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