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「天下茶屋散歩日記 ー 小指」偶偶[たまたま]放浪記 から

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天下茶屋散歩日記 ー 小指」偶偶[たまたま]放浪記 から

天下茶屋なんて名前だろう。西成区にある町の一つであるが、私は「天下茶屋」という地名を耳にするたび、頭の中でドラゴンボールの天下一武闘会を浮かべて「きっとあのような猛者たちが集まり戦い合うような町なのだろう」と想像していた。だが、ある時ツボールヌと釜ヶ崎の方からぶらぶらと歩いていたら、目の前にぼかりと口を開けたアーケードの商店街の入り口が目に留まった。調べてみると、そこは「西天下茶屋商店街」とあった。なんと私たちは気づかないうちに、あの天下茶屋に来てしまったのだ。アーケードの向こう側を覗くと、そこにはサイヤ人どころか、何かの手違いでそこだけ取り残されてしまったような昭和の空気が静かに流れていた。

夕日を浴びる西天下茶屋商店街のアーケードは、タイムトラベルものによく出てくる、今だけ開いている過去に繋がるトンネルの入り口みたいだった。
「ここで引き返したら、きっと一生後悔する」そう思った私たちは、覚悟を決めて商店街のアーケードをくぐった。
時間が遅かったからか、それとも日曜日だったせいかはわからないが、商店街のほとんどの店はシャッターが降りてがらんとしていた。あまりに静かすぎて、自分が想像していた印象が完全な思い違いだったことにやっと気がついた。
歩いていると、初めて来たはずなのに何故か前にもここへ来たことがあるような気がした。それか夢の中で似たような街に来たことがあるのかもしれない。ずっとデジャヴュを見ているような気分だった。
店がどこもやっていないのが残念だが、まあ仕方ないかと歩いていると一軒の喫茶店を見つけた。看板の明かりがついているところを見ると、ここは営業しているようだ。開いていたらどこでも良いくらいに思っていたので、唯一営業していた店が純喫茶
とはなんてついているのだろうと、私は飛び上がらんばかりに喜んだ。
はじめは下町にある普通の古い純喫茶かと思ったが、近くに寄ってみるとなんだか変だった。店の正面には薄汚れたソフトクリーム型のライトが置かれ、その脇の看板に「コーヒー160円 肉うどん 250円 カレーライス250円」とあった。その下にはセロテープで補強された厚紙の短冊がたくさん繋げられていて、子供のような字でメニューが書かれ、それがひらひらと風に揺れていた。
ガラス窓にも、メニューが貼られている。一番大きく書かれていたのが、まるで新年の書き初めのような「年越しそば」で、その隣には「うどん」とか 「ソーメン270円」とか、所々書き損じを黒く塗りつぶしながら書かれてあった。
「年越しそば」と一番大きく書かれた喫茶店なんて、初めて見た。私たちは「入ろうか」などと話し合いも一切せず、無言で吸い込まれるようにこの店に入っていった。

 

戸を開けたが、店の人はいなかった。「失礼しまーす………………」と言って席について待っていると、奥から老紳士風の店主が現れた。彫りの深い顔立ちにチョビ髭を生やしており、メニューの値段のわりに店主はとても気品高い。そして、今にも消え入りそうなか細い声で「いらっしゃいませ・・・・・・」とメニューを渡してきた。
店主からさも当然のように手渡されたメニューを見て、我々は二度見、いや三度、四度と見返してさらに目を擦ってもう一度見た。
メニューの紙はボロボロなんてどころではなく、下手すると息を吹きかけただけでバラバラになりそ
うなすさまじい劣化具合だった。どこかの民俗博物館に展示されていてもおかしくないような、歴史すら感じる年季の入り具合だ。この店では、このメニューを今も当たり前に使っているらしい。
破らないよう恐る恐るページをめくると、そこには小さな喫茶店ではありえない量のメニューがぎっちりと書かれていた。しかも、どれも狂気の沙汰としか思えない安価だ。
(ホットケーキ80円、あんみワー40円、オムライス250円、肉丼250円、天丼290円)
つっこむ所は他にもあるにしても、なぜこんな安いのか。原価というものを計算しそびれてしまったのか?と、余計なお世話だが思わず心配になる。 私はとりあえずチョコレートパフェとブレンドコーヒー、ツボールスはカルビスを頼んだ。他にもたくさん頼んで儲けに繋げてほしいと思ったが、「うどん200円」など黒字になりそうなメニューがどうやっても見つからず、下手したら頼めば頼むほど店主が逆に損をしそうなのでやめておいた。
注文をし、私たちは店の中を眺めながら飲み物が来るのを待った。
他にスタッフなどはいないので、あの店主が一人で回しているようだ。大変そうだな、ゆっくり待とう、と思っていると突然あたりが揺れた。 地震だ!
だが、冷静になって、揺れているのが私たちの机だけということに気づいた。机の下を覗くと、ツポールヌがまるで工事現場の地面ならしの重機のように激しく貧乏ゆすりをしていた。
「急かしちゃだめだよ、私たちの方が勝手にこの王国(老紳士の)に紛れ込んだだけなんだから」と諫めると、「そうだね」と納得し一瞬止まったものの、またダダダダと始まったので私は諦めた。
しばらくすると店主が「お待たせしました」とよちよち歩きでパフェとコーヒー、カルピスを持ってきてくれた。そのパフェを見て、私は思わず「わあっ」と声を出してしまった。
それはまるで、小学校の調理実習で一際不器用な子が一生懸命作ったような、なんとも愛らしいパフェだったのだ。生クリームの上にバナナの輪切りと、缶詰のみかんが三。そこにポッキーがニ本ぶっ刺さっており、チョコソースをかけて一番下にはコーンフレークが敷き詰められていた。これが二百円だ。
初めて訪れた町の、知らない喫茶店の、知らない老人が作ったパフェ。そう思うととても感慨深く、 私は食べ終えるのが惜しくて大事にゆっくりと食べた。
そのあまりに時間をかけて食べる様子が、ツボールヌからはまずいものを我慢して食べているように見えたらしい。心配げな顔で「おいしい?」と聞いてきたので、「すごい美味しいよ。ここに入って本当に良かったよ」と言うと、「俺のカルピスもうまいよ」と言ってジュボーッと一瞬で飲んでしまった。 そして「でもちょっと薄いね」と言い、なんの感慨もなさそうな顔で再び新聞を読み始めた。
ふとカウンターにいるマスターを見ると、奥の椅子に座って換気扇をぼんやりと見ていた。おそらく一気に作って疲れてしまったから休んでいるのだろうが、どこか彼方を見つめているような横顔に照明の具合でいっそう陰影ができ、宗教画のように神々しく見えた。きっとここで何十年も前からこうやって時間を過ごしているのだろう。百五十円の焼きそばを作ったり、調理実習のようなパフェを作りながら、もう何十年も・・・・・・。

「よし、堪能した。じゃあ行こうか」 私たちは立ち上がり、会計をした。
「ごちそうさまでした、本当に美味しかったです」 と伝えると、マスターは頭を下げて出口まで見送ってくれた。戸を閉じたら、店主が一人で作り上げたこの町の小さな秘密の世界も一緒に閉じていってしまったような気がして寂しかった。
最後に店の外観を眺めていこうとしたら、窓に貼られた変色した貼り紙に店主の独特な字で「創業八十2年」とあるのを見つけた。(2のみ、算用数字)
「は、八十二年?」
その時、あのボロボロのメニューが記憶に蘇った。
もしかしてあれは、八十二年前の紙だったのか。 古代エジプトの、パピルス文書を見つけたくらいの衝撃だった。
値段も八十二年前から据え置きだったのかな、と思うとすべて納得がいく。私たちはとんでもない店に偶然入ってしまったようだ。
ちなみに会計は、コーヒー、チョコレートパフェ、 カルピスで合計四百六十円だった。

 

 

まだ帰りの夜行バスまで時間があったので、ギリギリまで天下茶屋を散策することにした。
商店街の脇には路地が多く、角に「島居」のマークがやたらと赤字で書かれている。そういう町は、 人間の立ち小便が多いということを意味している。
店はどこも閉まっていて人の気配はしないが、二階の住居の部屋の窓越しに衣服がかけられていて、 そこで暮らしている人がいることがわかる。一度でいいから商店街の二階に住んでみたいなあと眺めていると、後ろから「おーい!」と聞こえた。
びっくりして振り返ると、いかにも大阪のおばちゃんといった感じの女性が通りを歩く青年に「あんた今まで仕事してたん?」と声をかけていた。
「そうですよ、スーパーは休みなんてないですか
「あらあ大変だわあ、過労死せんといてね」
そして、ワハハハハと豪快に笑って二人は二手に別れていった。おそらく青年は、その先にあったスーパー「ビッグ岸の里」に勤めている人なんじゃないかと思った。
カンカンカン、と踏切の音が聞こえた。目の前に商店街を横切るように線路が通っていて、小さな踏切があった。電車が過ぎるのを待っていると、線路沿いの向こう側に、暗闇にボーッと浮かぶ二両分ほどの大きさしかない小さな駅が見えた。灯りはついているが、暗くてなんだか不気味だ。今は使われていない廃線駅かな、と思った。
その小さなホームには二つ電灯がついていて、電灯に照らされた下にはベンチがあった。そこに、怪しい黒い人影のようなものがいた。私は目を擦り、 再び目を凝らして見た。やはり何かがいる。それは、 諸星大二郎の「不安の立像」に出てくる正体不明の影法師にそっくりだった。駅で佇んでいるところも、 まったく同じだ。
恐怖で慄き「まさか」と思って胞から眼鏡を出してかけると、それは影法師でもなんでもなく、仕事帰りと思われるごく普通の女性だった。よく見たら、 その人はベンチで文庫本を読んでいただけだった。 安堵で一気に力が抜けた。「何であんなところで本読んでるんだろうね。蚊に刺されないのかな。さっきの安い喫茶店だってあるのに」とぼやくと、ツポールヌは「タダだし気楽だからでしょ。お金がかからないところが一番良いよ」と言った。
変わっている人もいるもんだなぁと思ってその場を後にしたが、後になってあの女性がいたのは廃線駅ではなく「北天下茶屋」というれっきとした現役の駅だったことを知った。あの人は、ただ電車を待っている間に本を読んでいただけだったのだ。それなのに勝手に震え上がった挙句、駅の電灯で読書をするケチな人に仕立てあげてしまい申し訳なく思った。

線路を渡り、商店街の中をずんずんと歩いていく。
出口が見えてきて、もう終わりかなと引き返そうとした時にどこかからだし汁の匂いがした。匂いのする方へフラフラと寄っていくと、そこには煌々[こうこう]と電球を灯した惣菜屋さんがあった。店先には大きなおでん鍋が出ていて、中にはたっぷりの具がグラグラと煮立っている。他にもお好み焼きなど色んなメニューがあり、鍋の脇にはお米の入った炊飯器がそのまま裸で置かれていていた。 
〈ごはん(大) 二百五十円・ごはん(小)二百円)店先の電球の光、温かい食べ物の匂い。こんなお店がある所なら、どんな知らない場所でも住めそうだなと思った。

すっかり日が暮れると、人の気配はますます無くなり無音のように静まりかえった。二人で歩いているのに、一人でいるみたいな気分だった。
「ここに引っ越してみたいなあ。どうかな」と聞くと、ツボールスは「良いと思うよ、俺。そしたら毎日あのお惣菜屋に行くよ」と、まったく深く考えていない人間の返答がきた。だが、この人は私が本当に「明日引っ越す」と言ったら黙ってついてきてしまうだろう。そういう人なのだ。

私は、この商店街のつばめの巣みたいに小さな二階で暮らしている自分たちを想像してみた。シャッ
ターが固く閉まった店舗の二階で、一日中ばーっとして、飽きたら本や漫画を読んで、お腹が減ったらさっきの惣菜屋に行って、時々窓から顔を出して商店街を歩く人たちの頭を数えたりして、眠くなったら寝て・・・・・・。

いつか何のしがらみもなくなったら、こんな場所でそんな生活がしたい。その時のために、この町の
ことをずっと心に刻んでおこう、と思った。

そろそろ大阪駅に戻らないと。
このまま帰らず居着いてしまう選択もあったが、 私たちは結局夜行バスで九時間かけて東京の街に帰った。

 

 

 

 


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