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「二次性ディメンティア ー 脳の損傷ではなく生活スタイルが招いた精神的貧困化 ー 竹内星郎」精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟 朝日新聞出版

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「二次性ディメンティア ー 脳の損傷ではなく生活スタイルが招いた精神的貧困化 ー 竹内星郎」精神科医がみた老いの不安・抑うつと成熟 朝日新聞出版

日中一人で家に籠っている高齢者がデイサービスを利用するようになってから明るくなった、活発になったという話は多い。十数年前までは自治体による「ボケ予防教室」がそれをうたい文句にして家に取り残されている住民を集めて喜ばれた。デイサービスはそれを引き継いだものである。ボケ(「認知症」) がよくなったといわれたが、それは誤解で、もともと病気ではなく生活スタイルにより精神的に貧困化していた高齢者が、ひととのかかわりで甦ったのだ。二次性ディメンティアとは生活スタイルによる精神的貧困化をいう。脳の病気によるディメンティア(一次性)ではない。

 

精神的貧困化の対策

精神的貧困に陥ると、何もしない、テレビや新聞に関心がない、外出しない、ひととの交わりもなく日がな一日を無為に過ごす。「世間に疎くなる、精神的世界が狭まり、考え方もひとりよがりで偏狭になる・・・」のが老年期の心理特性と教科書には記されている。
精神的貧困化の対策はひとと交わる、買い物、花を愛でるなど生活を豊かにすることである。デイサービスを契機に家以外に生活の場を広げ、ひとと交わってそのひとらしさを取り戻すのは、精神の活性化に最良の方法である。それに対して「認知症予防」と称して文字拾いをさせたり、日付や住所を言わせたりしても高齢者の生活に何の意味もない。小学生の算数問題が解けたからといって何なのだろう。しかし高齢者は「認知症」恐怖から必死に取り組んでいる。年をとって「認知症予防」が課題とは、高齢者を貶[おとし]めている。

 

引きこもり老人の一例

高齢者が増えると“引きこもり老人”も多様化している。その一例を紹介する。「自分はもう十分に生きた。これからは何もしない」と自室に引きこもり新聞、テレビも拒んでベッドで生活するようになった男性。70歳まで企業の研究所長を務め業績を挙げた経歴の持ち主である。食事はきちんととるが、入浴、髭剃り、着替えなどは一切拒否。家族はうつ病を疑い男性をともなって来院したが精神的異常やディメンティアは認められない。
本人の意思は固く、生活スタイルを変える気はないと断言。しかし面接で問われると生い立ちや研究所のことを喜んで話した。外出の機会として月1度受診することも応諾した。彼はその前夜は入浴して、妻に髭を剃ってもらった。入浴(保清)や髭剃りは人前に出るときの身だしなみなのだ。1年後に妻が心臓病で入院した。娘は彼を介護型老人病院に入院させた。その後の経過は不明。
精神的な自死である。日々付き添う家族は辛い。何もしないという生き方を受け容れることは難しい。妻の心臓病になった遠因はそこにあるかもしれない
ある85歳女性は買い物や家事がしんどくなり、ケアマネージャーに相談、週1回ヘルパーを利用することになった。ところが1か月後「ヘルパーさんが来る日は朝早く起きて掃除しないといけないので辛い」という理由でヘルパーを断った。他者が来訪することで気楽な一人暮らしの生活スタイルを変えなければならない。ケアマネージャーは、かえってやることが増えたと言われて苦笑するしかなかった。
掃除、入浴、髭剃り・・・は他人のためという点で共通している。年をとるとそのような体面を気にしないでよくなるということなのだろう。

 

動物に癒される

高齢者が孤立のなかで精神的貧困に打ち克つのは難しいが、動物とのふれあいで自分らしさを取り戻すことは珍しくない。文化人類学者の児玉夏子は釜ヶ崎を訪れたときに犬や猫が闊歩しているのに目を瞪り、今日を生きることに精いっぱいのひとびとが動物を飼うのはなぜか、と住人の動物飼育の社会調査に取り組んだ。「野宿者や日雇労働者一人ひとりの心に分け入って考えるならば、動物は決して無視できる存在ではない」。彼らにとっては犬や猫が家族以上に身近な存在であり、心から信頼できる対象として動物を必要としているという結論にたどりつく(「寄せ場の動物誌」『人と動物の日本史』所収)。

 

❲事例❳ 子猫に優しさを引き出された65歳男性
簡易宿泊所に暮らし酒浸りの日々だった男が、ふとしたきっかけで65歳のときに子猫を飼うようになって“人間が変わった”〉(本人の言)。 子猫を飼い人間も生活も一変した。刑務所でも簡易宿泊所でも“乱暴者”と恐れられていた男だ。彼はビル工事現場の恐怖をやわらげるために覚醒剤を常用し、嫉妬妄想から妻を刃物で刺して数年間服役した。出所して親族や知人らとの関係を断ち、簡易宿泊所に住んだ。生一本な性格で不条理なことで怒り出すと手が付けられなくため、簡易宿泊所でも職場でも福祉事務所でも恐れられる存在だった。一人仕事ならトラブルはないと、自分でビルのトイレ清掃の職をみつけた。仕事は完璧で信頼され大きなビルを任された。午前中に仕事を終えると自室に戻りテレビと酒の日々。
その男が公園で子猫になつかれて部屋に連れ帰った。それ以来仕事が終わると自室にまっしぐら、酒はやめ猫の餌代にあてた。部屋で動物を飼うのは禁止されているが、自転車の荷台に猫を乗せて買い物に行く。「大家は何も言わない」と笑う。猫の体調が悪いと動物病院に駆け込む。「院長はときどき治療費を只にしてくれる」と喜ぶ。その後顔見知りの路上生活者から目の見えない子猫を託されてそれも飼っている。「大変だけど、2匹が仲いいんだよ」と嬉しそうに話す。外来で猫の話を始めると終わらない。
「喧嘩したら相手が悪くても警察は前科者のおれをしょっ引く。そうしたら猫はどうなる?そう思ったら喧嘩はしないと決めた。彼は猫を飼うようになって自分は変わったと言うが、猫が彼の優しさを引き出したのだろう。愛情いっぱいに猫の世話をする彼、その彼に全幅の信頼を寄せる猫たち。それは“癒される”といった関係を超えている。
一匹狼として肩肘張って生きてきた彼が信用するのは福祉のケースワーカーほか一、二人だったが、猫を介して獣医や大家の善意に触れた。こうして刑務所から20年余飲み続けた精神安定薬、睡眠薬は不要になり、本人の意思で診療を終結した。それから3年以上になるが連絡はない。ハッピーエンドというケースとも思われないのだが・・・。

 

引きこもり老人を見守る

独居老人が増えているなかで孤老、孤独死、引きこもり老人が社会的に問題とされるようになった。しかし引きこもりは家族と暮らしている場合でもある。それは事例でみた。彼らに共通しているのは自らSOSを発しないことである。こうして「認知症」になる、孤独死して周囲は気づかなかった、と社会問題化する。
孤老や引きこもり老人のすべてが精神的に不健康なのか?いきいきとそのひとらしく暮らしているひともいるはずだが、それは問題視されないのでわれわれの前には現れず、社会問題にもならない。孤独死は悲惨であるかのようにいわれるが、本人はそれを受け容れていることが少なくない。誰にも看取られずに死ぬことは寂しいが、それは覚悟している、と。本人が気にしているのはそのために周囲や親族に迷惑がかかることである。
老いの生き方が多様化すれば、死への過程も多様化する。その背景には彼(彼女)の生きてきた歴史があり、家族を含めた人間関係がある。医療・福祉の立場でかかわるときには、それらをふまえとすべてを肯定して、引き受けることが基本である。
生活状況に応じて利用できる社会資源などを紹介する。だが無理強いはしない。健康管理、医療に関しては関心を示すことが多い。すでに病気を抱えている場合はなおさらである。サポートの基本は見守りである。傍らにいて必要なときにサッと手を差し伸べる。安全の確認(声かけ)は重要だが、断られることも多い。身体の状況を把握して、緊急事態(骨折など)での連絡方法のメモを渡しておく。

 

多くの高齢者は淡々と老いを生きている。誰もが自分の老いに向きあい“いかに老いを生きるか”を考えるわけではない。政治や行政が望ましい老い(健康長寿)、望ましくない老い(「認知症」)と声を大にして叫んでも、大半の高齢者はそれとは関係なく“そのひとらしく”老いていく。あるひとは小学生の登下校の見守りに役割を実感し、子どもたちから生きるエネルギーをもらっている。農村では黙々とあぜ道の草をむしる、都会では仕度近辺の道路を掃除する高齢者の姿をみかける。生きがいといった大上段に構えたものでないところで老いを生きる、生の収束に向かって・・・。それが老いの自然な姿である。
だが一方には社会や家族から取り残された孤老もいる。自ら引きこもる老人が社会問題となる背景には貧困と結びついていることと、高齢者が自分らしく生きることの難しい社会のありかたが指摘できる。自律的な生が狭められているのは高齢者に限ったことではないなかで、多様化という一言では括れないが、そのことは本書の域を超える問題である。
老年精神科医の立場では、認知症孤独死の視点からではなく、彼らの生き方を肯定して引き受けることが求められる。それだけではクリアカットに解決できない問題だが、自らの価値観の転換が必要とされるテーマではある。


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