「三屋清左衛門残日録 ー 三屋清左衛門役 北大路欣也」藤沢作品を彩った名優たち、文豪ナビ 藤沢周平新潮文庫から
私は俳優として大衆映画や演劇で長い間チャンバラのお仕事をたくさんしてきました。学生時代には友人から「お前は一生チャンバラで食っていくんだな、大変だな」などと言われたりして、自分でもそうなのだろうと思っていたのです。どこかで文芸作品に対する憧れもありましたがご縁がなく、俳優にしか分からない言い方かもしれませんが、中でも藤沢先生の作品は私の中でもとても遠く、高いところにありました。人間味溢れる藤沢作品の世界には自分は到達できないと思っていたのです。
ところが五十半ばを過ぎたころに、「三屋清左衛門残日録」のお話をいただきました。原作を読ませていただいて、これはとても今の自分の精神状態では演じられないと感じました。清左衛門を演じるには子供すぎたのです。まだまだ演じられない、逆に言えば焦ってはいけないと思いました。もしこの役とご縁があるならば、必ずまたお話はいただけるから、今は辞退しようと思い、一旦はお断りしました。
それから十年ほど経ち、六十半ばを過ぎた頃に、もう一度お話をいただきました。この間、権力闘争を目の当たりにしたり、友人知人の揉め事や家族内の問題などに接したりと、随分と人生経験を積んでいました。よし、これならば三屋清左衛門の世界に入れるぞ、とお引き受けしました。藤沢先生の世界にやっと足を踏み入れるのに七十年近くかかってしまいました。
この作品は演じていて非常に楽しいですし、私は心の底から清左衛門に憧れれています。こういう男になりたい。私は今まで織田信長や宮本武蔵など強い男を演じてきて、演技でも心情でも、彼らのような強さを一方的に追い求めていたのですが、清左衛門を演じて初めて本当の強さを知りました。清左衛門の強さは静。静かに佇む。それだけでとても強い。清左衛門と出会ってから私の実生活も変わったかもしれません。いばることが少なくなったかもしれないです。
清左衛門のような隠居暮らしができたら最高です。隠居でのんびりするのは自由。でも人間には本来あまり自由はなくて、生ある限りその人のやるべきことは残っていると私は考えています。だから自分の使命を十分に果たし、それでいて決して邪魔にはならないように、人のために働いていく。素晴らしい隠居生活だと思います。身分は隠居ではありますが、出過ぎもせず、かといって引きすぎもせず、その案配が分かるのは本当の大人です。口でブツブツ文句を言うような隠居はダメ。本当の意味での大人ができる生活なのだと思います。
清左衛門の親友で町奉行の佐伯熊太(伊東四朗)や行きつけの小料理屋、涌井の女将・みさ(麻生祐未)のような存在は、おそらく藤沢先生の人生に実在したか、あるいは出会いたかった人物なのではないでしょうか。
清左衛門は熊太といると気持ちがほぐれます。実際、私自身も伊東四朗さんにお目に掛かると気持ちがほぐれます。伊東さんとは四十年以上前からご一緒していますので、肌も合うし、お互いの性格も熟知しています。演技を越えた人間関係が私たちにはあり、頼り頼られて撮影をしています。
みさとは男女として真っ正面に向き合っているかを大切にしています。冬にたき火を囲むと暖かさに全身が緩み、心が正直になるでしょう。二人はそういう関係で、男女としての一線を乗り越えるのか否かはお互いの感情の揺れ次第。
清左衛門は奥さんがいないのですから寂しいと思います。長男のお嫁さんが色々と 身の回りの世話をしてくれて、とても助かっていますけれど、良いお嫁さんだけに寂しさが募る。時々お位牌に話しかけたり、仏前にお供えをしたりしていますよぬ。お前も食えよって。でも本当はみさとそういう会話をしたいのでしょう。
撮影は京都でおこなわれていますが、京都は私の故郷。撮影所には十三歳から通い、当時の住まいは北大路。鴨川、西山、北山、鞍馬ー いわゆるロケ地で私は毎日遊んでいました。小学校から歩いて五分もかからない場所にある上賀茂神社では、毎日どこかの映画会社がロケをしていましたので、ワクワクしながら見学をしていました。京都に行くと童心に帰るようで、三屋清左衛門の撮影はいつも心躍ります。
時代劇特有の所作に関しては、観察しかない。萬屋錦之介さんを観察しに毎日セットに通ったこともありました。真似は演技の基本です。私は今でも、車に乗っていても、色々な方を観察して演技に活かそうと思っています。
私の父(市川右太衛門)が、「俳優は肉体を鍛えろ。若くなきゃいけない」と言っていたのですが、私にはその「若く」が理解できませんでした。若く見えることなのだろうかと思っていた時期もありましたが、今になってやっとわかりました。私は今七十八歳で六十代を演じています。この時代の想いを身につけて年齢的には戻らなければならない。それは若い肉体がなければ不可能だということなのです。父は晩年よく歩いていました。仕事のあるなしにかかわらず。いつお仕事をいただいても引き受けたいという役者魂の現れです。
三屋清左衛門の原作には終わりがありますが、私は清左衛門と一生一緒に生きていきたいという気持ちがあります。ここまで強く思うのは不思議だなと思うのですが、清左衛門を演じられるのは私の誇りです。人間としても役者としても、これほどの人物を演じられるのは極めて幸運です。