Quantcast
Channel: nprtheeconomistworld’s blog
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3329

「卓抜な新人認知システム ー 重里徹也」教養としての芥川賞 から

$
0
0

 

「卓抜な新人認知システム ー 重里徹也」教養としての芥川賞から

芥川賞は独り勝ちしている文学賞だ。「わが国最初の民間文学賞」(永井龍男)として一九三五年に創設されて以来、卓抜な新人認知システムとして機能している。文藝春秋という一企業が運営している賞で、これは稀有なことだろう。成功したビジネスモデルとしても興味深い。
日本の純文学系の文学賞は大きく三つに分かれる。文芸雑誌が主催する公募の新人賞、新しい書き手に地位を与える賞、中堅以上の作家を対象にした賞。芥川賞は二番目のグループを代表する賞で、文壇の人事システムの中心に位置する。デビューして数年以内ぐらいの作家(例外あり)に、文壇的地位を与える賞だ。公募の新人賞が多くの応募者を集めるのも、芥川賞という目標があるからという一面がある。「芥川賞を受賞したら作家」というはっきりとした目安になっている。この隆盛の背景には、創設者である菊池寛の優れた感覚と、賞を更新してきた文藝春秋社員の努力がある。

芥川賞の特徴を列挙していこう。まず、選考委員が多いこと。七人から十一人ぐらいの実績がある小説家が合議で選ぶ。このために、文壇を構成している既成の作家たちが、新しい書き手を迎え入れるという人事システムの性格を帯びている。
芥川賞では、選考の公平性が前面に出されている。これは文学賞の生命線だろう。公平性は透明性で担保される。選考委員一人ひとりが自分の立場をはっきりと表明して、評価する理由を明らかにすることによって確保される。この過程が大事にされている。まず、五作から六作の候補作を事前に発表する。このため、ジャーナリストも評論家も一般読者も、候補作を読んで、選考委員を逆に採点することができる。受賞作決定直後には、選考委員の一人が丁寧な記者会見をする。選考委員は記者から問われるままに選考経過、候補作の批評をかなり細かく公表する。
選考はまず、全選考委員が全作品に、○、△、✕をつけるところから始まる。○を一点、△を〇・五点、✕を〇点で集計し、点数の低かった作品から議論し、落としていく。その後の経緯はいろいろだが、議論を重ねながら、二作か三作を残してもう一度、投票することが多い。二作受賞か、一作か、該当作なしか。そして、すべての選考委員は選評を月刊誌「文藝春秋」に発表する。誰がどの作品を推したかがわかる。

候補作選定にあたっては、出版社、新聞社、作家、評論家など現在は約四百五十人にアンケートが実施される。その結果も踏まえて、半年で五十作品から七十作品ぐらいの候補作の候補がリストアップされる。文藝春秋の編集者二十人から三十人ぐらいが、三、四人のグループに分かれて、それぞれのグループで発表月ごとに候補を選び、少しずつ絞っていく。この過程で激しい議論がされるらしい。文藝春秋の社員には評論家のように小説について批評する人が少なくないが、芥川賞候補の選考過程で鍛えられるのだろう。
きわめて大事なことだが、候補になるのに門閥、出自、国籍、学歴、年齢、性別などは一切問われない。その意味では、かなり開かれた賞といえるだろう。他の出版社の編集者たちも、芥川賞の選考過程を気にしている。選考委員がどのように読んでいるのかを考えることをきっかけに、小説についての認識を深める。芥川賞選考は文芸記者も鍛える。全候補作を読んであらすじや特徴、文学史のなかでの位置づけを考え、受賞時の予定稿を書く。芥川賞は編集者や文芸記者の「教育システム」になっている。これが年に二回、半年ごとにおこなわれる。半年というのも絶妙で、ちょうど前回の騒ぎが収まった頃に、次の候補作が発表される。
このシステムは一朝一夕にできたわけではない。作家たちによる選考な選評の公表は設立以来の伝統だ。しかし、文藝春秋の元・役員に取材すると、一九五〇年代は選考委員が記者会見をするシステムはなかった、文藝春秋の社員がグループ別に分かれて候補作を選ぶようになったのは七〇年代、選考委員が△をつけてそれを〇・五とカウントするのは八〇年代らしい。担当者や文藝春秋幹部が改良を加えて七〇年代にいまの形になり、八〇年代にさらに洗練されたて思われる。

菊池寛は生前、文藝春秋がつぶれでも、芥川賞直木賞は残したいと話していた。ある種の公共性をもって運営されてきたことが、今日の両賞の隆盛につながっている。芥川賞受賞作の全文が月刊誌「文藝春秋」に掲載されることも、賞をメジャーにした理由だろう。「文藝春秋」総合誌であって、文芸誌ではない。普段は政治や経済の記事を読んでいる多くの読者が年に二回、芥川賞受賞作を読む。芥川賞が社会と文学をつなぐ役割を担う背景の一つだろう。
一方で、影響力が大きい賞だけに、批判もよくされる。それは健全なことだ。まず、運営する文藝春秋が自社の利益を重んじているのではないかという批判だ。ただ、最近は必ずしもそうとはいえないように見える。当初は「文學界」(文藝春秋)掲載作が多かったが、近年は是正されてきたのではないか。選考委員に対する批判もよく耳にする。終身制で、自分から辞めると言わないかぎり、顔ぶれは変わらない。高齢の選考委員が新しい傾向の作品に対応できるのか、委員の能力についての批判がささやかれる。もっと根本的な批判には、いまの芥川賞は結局、五つの文芸誌に掲載された作品を候補にしているだけじゃないか、というものがある。このことは、あるコードのなかで候補作が選らばれているのではないかという批判に結び付く。たとえば、既成の文学とは全く文脈の違う作品がネットやミニコミ誌などに発表されたときに、芥川賞は対応できるかといえば、難しいだろう。
芥川賞を相対化するには、競合する賞を多く作って拮抗することが最も建設的だ。新潮社の三島由紀夫賞講談社野間文芸新人賞は、その意味でも重要な役割を担っている。ただ、これらの賞が機能するためには、芥川賞とはちがう選考委員で選ぶべきだ。モノサシを変えないと芥川賞を相対化できない。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 3329

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>