よほど以前の事だが、宇野浩二氏が鍋井君を通じて自分の小説の挿絵を描いて見てくれないかという話があった。自分は挿絵を全く試みた事がなかったが挿絵というものには相当の興味を持っていたし、小説家と自分とが知り合って共同出来る場合には殊に仕事もしやすいので、いつか描いて見てもいいといって置いた事があった。ところで最も困る問題は、私が常に東京にいない事だった。大概の小説が東京を中心として描かれているのだから、私が関西にいては、その日その日の原稿の往復に、どれだけ手数を要するか知れない上に絵を作る上からでも、例えば、誰でもが知っている銀座のタイガアを道頓堀の美人座でごまかして置く訳には行かない。
新聞小説なら、原稿が三、四十回分でもすでに出来上ってさえいてくれたら、私がしばらくの間を東京で暮して仕上げてしまえば出来る訳であるが大概の場合、長編の原稿は、その日その日、一回分ずつ画家の方へ廻されてくるのであるから、到底地方に居据っていては出来る仕事ではないのであった。
そんな事や何かで、ついそのままになっていた処が、突然私は大阪朝日から邦枝完二氏の「雨中双景」の挿絵を頼まれたので、時代ものは背景の関係も尠[すくな]いし、居据っていながら描けるので、つい引受けて見たのが挿絵を試みた最初だった。次に最近再び邦枝氏の「東洲斎写楽」を描く事になった。
それから現在の谷崎潤一郎氏の「蓼[たで]喰う虫」だが、これは谷崎氏が私の家から近いのと、背景が主として阪神地方に限られている点から私は引受けても大丈夫だと考えた。
挿絵を試してみようかという心になった因縁が宇野氏にありながら、そして最近再び話が宇野氏との間に持ち上ったのだが、それだのに氏のものをまだ描く機会がないのも妙な因縁である。
私自身が小説を読む場合、勿論私は絵かきの事だから私の心に絵かきとしての想像が浮び過ぎるためかも知れないが、どうも挿絵があまり詳細に事件や主人公や風景を説明し過ぎて実感が現れ過ぎていると、私はかえって私の心に現れて来るものを大変邪魔される事が多いので、かえってむしろ挿絵がなければいいと思う事さえある。小説は三面記事ではないのだから、事件や人物をさように詳[つまびら]かに説明する事はいらない事だと思う。それで私は小説によって私自身の心に起った想像の中から絵になる要素をなるべく引出して正直に絵の形に直して皆さんに伝える事に努力したいと思う。そして挿絵は挿絵として味い、小説は小説として味い得るようにしたいと考えている。要するに挿絵は小説の美しき伴奏であればいいと思う。なお新聞の紙面が、それあるがためにより美しく見え、小説が賑かに見え、小説のある事件が画家の説明によって読者の心を縛らないようにしたいと思っている。
私の貧しい経験では、時代ものは相当の参考資料さえ整頓すれば絵を作る事は比較的容易であると思うが、現代ものになるとモチーフの万事が実在の誰でもが知っている処のものであるから相当の写生が必要であり、同時に写生そのものは挿絵ではないので、それを絵に直す処に画家の興味があり、実在が挿絵と変じて現れるまでの段階と手数に、かなりの興味が持てるのである。
そしてその画稿が紙面に現われた時の感じというものは、また別の趣きを現すものである。下絵の時に気附かなかった欠点が紙面に紙面に現れてから目立つ時もある。ちょっとした不満な点を見出すときその日一日私は不愉快である。
しかしながら挿絵は普通の油絵の如く、一人一枚の所有ではなく、一枚が何万枚となり各人が悉[ことごと]く所有し得る事なども、挿絵の明るき近代的な面白さである。