「はるー大阪弁の敬語(抜書) ― 田辺聖子」大阪弁おもしろ草子 中公文庫 から
ところで上方弁の敬語でもっとも普遍的なものは、「はる」という補助動詞だと第三章(「そやないかな」)に少し書いたが、これこそ上方弁を上方弁風にあらしめるもので、すべての動詞にこれをくっつけると、即、敬語になり、簡単で、しかも柔媚に聞かれる。京・大阪、これは同じ。
この「はる」は武庫川を渡ると消滅してしまうのである。播磨言語圏に入ると、「・・・とってや」
という敬語になる。「言うとってや」「しとってや」「聞いとってですか」「知っとって?」
私が婚家へ入っていちばんびっくりしたのは、家族の小さな子供が「先生がいうとった」ということであった。「いうとってや」より更に品下[しなくだ]る。もっともことばの習慣と共に世代の差もあるのだから、いちがいに品下るともいえないが。
「はる」は牧村史陽氏の『大阪ことば事典』によると、「なさる」から来ているという。「ナサル→ナハル→ハルと約[つづ]まったもの」で「サ行がハ行」に転訛[てんか]するのは〈最も上方的な音声変化である〉とのことである。東京の人は大阪へ来て質屋の看板に「ひち」と書いてあるのに驚くが、これも「シチ」が「ヒチ」と訛したもの。「行きましょう」が「行きまひょう」となるのもこのたぐいだそうである。「しつこい」が「ひつこい」になるのも同じ。
それはともかく、「はる」をくっつけると、ことごとく敬語になるという仕組みは楽でいい。
「お芝居にいきはった」「聞いてはりますか」「笑[わろ]てはる」「遊んではる」「走ってはる」・・・。
久保田万太郎に、
〈ぎょうさんに猫いやはるわ春灯[とも]し〉
の句があるが、ぎょうさんは、たくさんという意味、先の楠本さんによれば、氏は船場の老舗の料亭「灘萬」の長男として生まれた方だが、ことばづかいにはことにやかましく躾けられ、隣近所の飼猫に対して、
「ネコがいる」
というて叱られた記憶があると『船場育ち』にある。ご近所の猫だから、
「ネコいやはる」
と敬語を使え、と叱られたよしである。これは前田勇氏の『大阪弁』(朝日新聞社刊)にある話だが、終戦直後出版された雑誌に、船場のいとはんたちの座談会が載っており、それによれば、船場では、自宅の犬猫にも敬語を使い、
「うちのミーちゃん、死なはった」
といったそうである。前田氏はそのくらいありそうなこと、といっていられる。氏が実際に耳にされたのでは、
「お向いに泥棒がはいらはったんやテエ」
と場末のおかみさんがいっていたそうである。
しかし、現代では「はる」は活躍してはいるものの、さすがに猫に「はる」ということもなくなった。終戦からでも茫々四十年を閲[けみ]し、閑雅柔媚な上方弁は次第に擦り切れていっているようであるが、さすがに、ここが擦り切れては上方弁は消滅してしまいます、という感じで「はる」は残っている。