「刑法 窃盗罪における占有の存否の判断 ― 慶応義塾大学教授 小池信太郎」法学教室2024年8月号
東京高裁令和4年7月12日判決
■論点
スーパーマーケットのセルフレジに客が置き忘れた財布に店舗の管理者である店長の占有が及ぶか。
〔参照条文〕刑235条
【事件の概要】
スーパーマーケットの客であった被告人は、他の客がセルフレジに置き忘れた財布を領得した。検察官は、犯行時、財布は同店舗の店長が占有していたと考え、窃盗罪で公判請求した。第一審では、占有は争点とならないまま、同罪による有罪判決が下された。弁護人が控訴し、当時セルフレジ周辺を含めて店舗内を不特定多数の客が往来していたことや店長は忘れ物等を逐一認識することが困難であったことなどから、店長の占有は認められず、遺失物等横領罪が成立するにとどまる旨主張した。
【判旨】
〈控訴棄却〉「本件店舗のセルフレジは、商品の精算を行う場所であり、そのスペースが他の場所とも❲カウンター等により❳一定程度区切られ、店員がそのスペースで待機し、随時備品を補充し、補助的に操作することも予定されていたのであり、これらの事情に照らすと、セルフレジには、有人レジと同じような店舗側の管理が及んでいたと考えるのが相当である。そして、これらレジスペースが、代金の決済や顧客及び店舗側の金銭管理という、本件店舗にとって重要な機能を営む場所であることを考慮すると、レジに所在することが通常想定される物品については、店舗側に強い関心があり、その物品を管理する意思もあると考えるのが相当である。そして、顧客の財布は、レジで使用されることが当然に予定されている物品であり、店舗側としても、そこに置き忘れられる可能性を想定し得る物品といえるから、顧客がレジに財布を置き忘れた場合、現にその存在が店舗関係者に認識されていなくとも、レジに置き忘れられた時点で、店舗側に、これに対する管理意思が発生し、その占有下に入ると考えるのが相当である。」
「したがって、本件犯行当時、本件財布が店舗側、すなわち本件店舗の管理者である店長によって管理、占有されていたと認定した原判決の判断に誤りはない。」
【解説】
▶1 窃盗罪(刑235条)の客体に要求され、遺失物等横領罪(刑254条)との区別の基準ともなる他人の占有は、財物に対する事実的支配をいい、その有無は社会通念に従い判断される(最判昭和32・11・8)。そこでは、客観的な支配の事実と支配の意思が考慮される。
▶2 置き忘れられた財物の領得行為は、犯行時に、持ち主が仮に気づけば現実的支配を直ちに回復できる状況にあったことなどからその占有が継続していたと認められれば、持ち主からの窃取として窃盗罪を構成する(前掲最判昭和32・11・8、最決平成16・8・25)。常時身につけるような物を置き忘れた者が現場の様子をうかがえない場所にまで移動してしまうと、占有継続は否定されやすい(たとえば、東京高判平成3・4・1❲スーパーマーケットの6階ベンチに札入れを置き忘れた者が地下1階に行き、約10分後に戻るまでの間に犯人が領得した事例❳)。この点に関する本件の具体的事情は不明だが、検察官は、財布は持ち主の占有を離れたと判断したものと推察される。
▶3 もっとも、持ち主の占有を離れた物でも、遺留現場である施設の管理者による占有が及ぶ状況で別の者が領得すれば、当該管理者からの窃取にあたるところ、本件検察官はその構成による窃盗罪の成立を主張し、これが裁判所により是認された。
遺留物に対する施設管理者の占有が問題となった事案の判例は、一方で、旅館の宿泊客が便所に遺留した財布やゴルフ場の人工池に沈んだロストボールにつき、管理者の占有を肯定している(大判大正8・4・4、最決昭和62・4・10)。他方で、営業中の列車内に乗客が遺留した毛布につき、鉄道会社側の占有を否定している(大判大正15・11・2)。これらの判断では、当該場所の閉鎖性・排他性ないし不特定多数の出入り可能性が考慮されているとの分析が有力であり、その見地から、宿泊施設でも大規模ホテルのロビー、ゴルフ場でもコース内の林等への遺留であれば、施設側の占有は否定されうるといった議論もなされている。
そうしたところ、営業中のスーパーマーケットは不特定多数人が往来する場所であり、たとえば、店内通路のベンチに遺失された財布に、店長の占有は通常及ばないであろう(前掲東京高判平成3・4・1でも店長の占有は問題とされていない)。セルフレジに置き忘れられた財布につき店長の占有を否定する弁護人の主張も、そうした理解を推し及ぼしたものといえる。ただ、不特定多数のアクセスが可能であることをもって、当該スペースへの遺留物につき、施設管理者の占有が常に否定されるとまではいえず、そのスペースの機能や開放性の程度、具体的な管理体制に鑑み、管理者の管理が十分及んでいると社会通念上評価される場合もありうる。セルフレジについては、その有人レジ同様の機能や、買物客の精算時の利用が予定されるものの、ベンチのように一般客の文字どおり自由な利用に開放されているわけではないことからすれば、店の管理が大きくは緩められてはおらず、そのことは支配の事実を基礎づけよう。その上、本件では、他の箇所と一定程度区切られ、店員が配置されていたことで、管理支配が強められている。また、支配の意思は、客観的支配の及ぶ範囲の遺留物に管理を及ぼすことの潜在的、包括的な意識で足り、施設管理者や補助者が遺留の事実を把握していなくても認められる(前掲大判大正8・4・4は、財布の認知を問わず旅館主の支配があるとし、前掲最決昭和62・4・10は、ロストボールの回収・再利用が予定されていた事実から包括的支配意思を認めていると解される)。こうしてみると、本判決が店長の占有を肯定したのは自然な判断といえよう(なお、本判決は、管理意思が及ぶ理由として、財布がレジへの置き忘れを想定しうる物であることに言及するが、遺留されれば店として保管すべき物である限り、客体を殊更限定的に考える必要まではないように思われる)。