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「料理修業 ― 福岡伸一」ルリボシカミキリの青 文春文庫 から

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「料理修業 ― 福岡伸一」ルリボシカミキリの青 文春文庫 から

 

福岡ハカセは、ハカセになる前、つまり大学院生活の終わりの頃、ふと思い立って料理学校へかようことにした。研究修業は日本を脱出してアメリカで行う、と心に決めていたので、外地では健康のため、自炊くらいきちんとできた方がよい、と考えたからである。大学四年、大学院五年と十年近く同じ所でちまちまと細かい研究ばかりしていると、人生いろんなことが煮詰まって、ちょっと違う風がほしいなという気分もあった。

下宿からほど近い京都の街中にYWCAがあり、こぢんまりとした教室があったのでそこに決めた。毎週一回夜。メニューは、和、洋、中と順に回る。手頃な材料で、基本的な家庭料理を作るというのが基本ポリシーだった。

U先生という料理研究家の女性が講師。生徒は十名ほど。福岡ハカセ以外は全員、女性だった。不思議なことに、嫁入り修業で料理を習いに来ているような若い女性はわずかで、ベテラン主婦といった感じのおばさんが多数派を占めていた。

男手で、かつほとんど何も知らない福岡ハカセはかなりいいように使われることになった。ああ、福岡さん、福岡さん、このもやし洗って尻尾取って。と、大ボウル超盛りのもやしを渡され、必死にそれをこなしているうちに、料理の面白いところの大半が終わってしまっていることもあった。また、危険な仕事、重い仕事も私の当番だった。揚ものに使った油を濾して、貯蔵するとか。たくさんの布巾を洗うとか。

講義の内容はなかなか本格的だった。化学調味料やだしパックの類はご法度。基本はすべて素材からだしを引く。たとえば鳥のスープは、鶏がらを買ってきて(買い物は手分けして行い、あとから明細を出して均等負担するので、食材の値段の勉強になる。鶏がらは意外なほど安い)、 まず水洗いしてゴミを取る。それからさっと湯通しして血や脂肪を凝固させる。そこからスープつくりがはじまる。臭みを取るためネギなど野菜とともに弱火でゆっくり加熱する。スープを濁らせないようにこまめにあくをとる。こうしてできた鶏がらスープは黄金色に輝いていた。ジャンクフードに慣れた福岡ハカセは深く恥じ入った。

U先生はやさしい感じの人だったが、料理に関してはことのほか厳しかった。あるとき、ポテトサラダを混ぜるのに、菜箸ではらちがあかないので、ちょいちょいと指先をつかったら、それをどこからか見咎めていたのだろうか。出来上がった料理を皆でいただくとき、U先生はポテトサラダに一口も箸をつけなかった。福岡ハカセは再び深く恥じ入った。

この教室で実に様々なことを学んだ。自分で作るとプロセスが分かる。たとえば砂糖をどの程度入れるとどれくらいの甘さになるのか分かる。だからカロリーも分かる。なかでももっとも大切な料理の基本は、いかに段取りよく作業を進めるか、ということだった。限られた時間で、手際よく何品かのメニューを作る。そのためにはまず最初に工程をよく見渡して、何をどのような順番でどうこなしていくか、必要なら片づけもののことまで考えて調理器具や食器を選ぶ。そのすべてをまず想像することが一番重要だということである。鳥のスープなら、包みを開けるよりもなによりも先に大きな鍋にたっぷりとお湯を沸かすことから始める。あれこれいろいろ始めてその地点に至った後、ああそうだお湯を沸かさなきゃ、ではだめなのである。研究や実験もまさに同じ。このコンセプトはその後、人生のあらゆる局面で役立った。

しかし肝心の料理は?アメリカに渡った福岡ハカセは、研究所のカフェテリアでラボの仲間とジャンクフードを囲む日々を送ることになったしまった。三度、深く恥じ入りながら。

 


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