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「天才は遺伝するか? ― 福岡伸一」ルリボシカミキリの青 文春文庫 から

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「天才は遺伝するか? ― 福岡伸一」ルリボシカミキリの青 文春文庫 から

 

キリンの首はなぜ長い?キリンは高いところにある葉っぱが食べたくて、首をのばそう、のばそうと日々、そして世代を越えて努力しつづけました。こうしてキリンの首はだんだん長くなっていったのです ― 今日の生物学において、このような説明の仕方は、あっさり、きっぱり、完膚なきまでに否定されている。生物の成り立ちにおいて、必要なものが発達し、不要なものはすたれていくという考え方、いわゆる要不要説を唱えたのはフランス革命期の学者ラマルクという人物だった。一見、この説は合理的に見える。しかし、致命的なのはそのためのメカニズムが生物には存在していないということだ。

それはこういうことである。生物は、努力によって自らを変えることができる。生物は、そのような可変性のとても大きなキャパシティを持っている。たとえば、ひよわな昆虫少年だった福岡ハカセが、あるとき、よし、モテ男になってみんなを見返してやる!と一念発起して、激しいトレーニングを自らに課し、苦しい鍛錬をたゆまず続けて、筋骨隆々の見事なボディを作り上げた(としよう)。ヒトは変わろうと思えばこんなにも大変身することができるのだ、と鏡にうつった自分にほれぼれした(としよう)。しかし、かなしいかな、苦労の末、獲得した特性は、決して自分の子供に、つまり次の世代に伝えることはできない。いくら自分を改造してもそれは一代限りのものであって、その変革の結果は、精子もしくは卵子の情報には全く反映されないのである。これを「獲得形質は遺伝しない」という。ラマルクの後、ダーウィンが打ち立てた進化生物学の金科玉条であり、これによってラマルクは葬りさられたのである。

進化生物学によれば、遺伝するのは、精子もしくは卵子が運ぶ情報だけであり、もし何らかの変化が起きるとすればそれは個体の努力とは全く関係のない、情報の伝達上に起きたごく些細な異変であるという。つまり精子もしくは卵子が作られるときに生じた、ランダムな誤字・脱字だけである。それは方向を持たない、ランダムな形質の変化を次世代にもたらす。その中で、環境に適合した変化だけが、すなわち次の世代を残すのに役立つ形質だけが選抜される。こうして生物の形質はすこしずつ変わっていく。だから、キリンの首が長くなったのも、そもそもは偶然に起きた遺伝子上の変異であり、それがたまたま繁殖に有利に働いたため現在に至る、とダーウィニズムは説明する。

では、たとえば、一流ハンマー投げ選手の子が再び一流ハンマー投げ選手に、不世出の名騎手の子がまた不世出の騎手になっている。あれは遺伝ではないのか。遺伝ではないと福岡ハカセは思う。一流プロの子弟が同じ道の一流プロとなっている数多くの例は、一見、DNAが伝わっているように見えるけれど、実はプロを育てる「環境」が伝えられているのだ。

それに関してこんな調査がある。一流と呼ばれる人々は、それがどんな分野であれ、例外なくある特殊な時間を共有している。幼少時を起点としてそのことだけに集中し専心したたゆまぬ努力をしている時間。それが少なくとも一万時間ある。一日三時間練習をするとして、一年に一千時間、それを十年にわたってやすまず継続するということである。その極限的な努力の上にプロフェッショナルという形質が獲得される。それをあえて強要する環境が、親から子へ伝わっているのだ。

そう思うと別の、ある事実が納得できる。一国の主に限らず、議員でも会社でも芸能界でも、どんな組織にあってもいわゆる二世、三世はおしなべて、なぜ、かくも弱く、薄く、粘りがないのか。それは外形だけは親から伝えられるものの、肝心の一万時間の内実が与えられていないからである。


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