「古寺を訪ねる心 ― 白洲正子」私の古寺巡礼 講談社文芸文庫 から
このごろはテレビやラジオのコマーシャルで、「捨てない心を大切に」とか、「美を知る心」なんてことをいいますが、私ははじめから「お寺を訪ねる心」なんて上等なおのは持ち合わせていなかったように思います。昔は便利な案内書なんかなくて、和辻哲郎さんの『古寺巡礼』が唯一の手がかりでした。私は十四歳から十八歳までアメリカへ留学していたので、日本のものが珍しく、懐かしかったのかもしれません。帰ってすぐのころから、地図を頼りに、人に聞いたり、道に迷ったりしながら、方々のお寺を訪ねたものです。
仏像に関する知識などまるでないので、ぼんやり眺めているだけでしたが、やはりほんとうに美しい仏さまは、ただ美しいというだけで、自然に拝みたくなりました。これは当たり前のことでしょう。景色がよかったことも忘れません。例えば法隆寺へ行くのでも、王子から歩くか、筒井から行くか、どちらにしても大変な道のりです。菜種やれんげの花が咲いている畑の中を縫って行くと、遠くの方に法隆寺の五重塔が見えて来る。筒井から行く時は、法起寺につづいて法輪寺、そして法隆寺の塔へとだんだん近づいて行く。それは何ともいえぬいい気分でした。その間に仏さまを拝むという気持ちが次第に作られて行く。お能の橋掛[はしがかり]でも、歌舞伎の花道でも、舞台に至るまでの過程が面白いのと同じことで、バスや車で乗りつけたのでは、興味は半減します。この忙しい世の中に、呑気なことをいうと思われるかも知れませんが、忙しい時代だから、よけいにそういう「時間」が必要なのではないでしょうか。
というわけで、「古寺を訪ねる心」なんてまったく持ち合わせてはいなかった。今だって怪しいもんです。子供の時からのご縁で、神社仏閣を訪ねたり、宗教に関する注文が多いので、取材に行くことが多くなりましたが、「心」なんかにかかずらっていては、ろくな取材はできません。もっとも私の取材というのが、至って漠然としたもので、ぼんやり眺めて、なるべく楽しんで、いい気持ちになって帰って来るだけで、きょろきょろ観察して、何がつかめるというものではありません。一時、『何でも見てやろう』という本が出て、そういうことがはやったことがありますが、何もかも見ることは人間には不可能です。ただ向こうから近づいて来るものを、待っていて捕える。それが私の生まれつきの性分なんで、だれにでも勧められることじゃありませんが、しいて「心」というのなら、無心に、手ぶらで、相手が口を開いてくれるのを待つだけです。お寺ばかりでなく、私は何に対しても、そういう態度で接しているようです。
そんなわけで、私は極く自然にお寺へ入って行ったんです。案内書や解説書がなかったことも、今から考えると幸せだったかもしれません。何にもとらわれずに、否応なしに自分の眼で見ることができたから。日本の歴史や古典を多少知ったのも、歴史や文学の側からではなく、お寺と美術品に興味を持ったためです。逆にものの方から入って行ったといえましょう。
たしかに知識を持つのは必要なことですが、お寺の宝物殿や展覧会へ行っても、若い人たちが先ず解説を読む。修学旅行ではリポートなんか書かせるから、そういうことになるんでしょうが、あれでは頭でっかちになってしまって、じかにものを見ることはできないし、まして、仏さまを拝む気持ちなんかにとてもなれないでしょう。アン・ノン族に荒らされるのは、私たちには迷惑ですが、何にもわからない人たちにも、何か魅かれるものがあるから行くんでしょう。要求があるから、週刊誌だって書くんです。ちっとも悪いことじゃない。それが伝統というものです。伝統というものは、いろいろに姿を変えて行くから、ちょっと見ただけではわかりませんが、実に深く根づよいものだと私は思っています。