「線香花火 ー 中谷宇吉郎」日本の名随筆73火
もう十年以上も前のことであるが、まだ私が大学の学生として寺田先生の指導の下に物理の卒業実験をしていた頃の話である。その頃先生はよく新しく卒業して地方の高等学校などへ奉職して行く人に、金や設備が無くても出来る実験というものがあるという話をして、そういう「仕事」を是非試してみるようにと勧められていた。それ等の実例として挙げられた色々の題目の中には何時も決まって線香花火の問題が一つ含まれていたのであった。
線香花火の火花が間歇的にあの沸騰している小さい火の球から射出される機構、それからその火花が初めのうちはいわゆる「松葉」であって、細かく枝分れした爆発的分裂を数段もするのであるが、次第に勢が減ると共に「散り菊」になって行く現象がよほど先生の興味を惹いていたようであった。そればかりで無く先生の持論、即ち日本人は自分の眼で物を見なくていかぬという気持ちが、このような日本古来のものに強い愛着の心を向けさせたこともあったように思われる。先生がこの種の金のかからぬ、しかし新しく手を付けるべき問題についてその実験の道を指示される時には、実に明確にその階程を説き尽くされるのであって、明日からでもそのとおりに手を付けさえすれば、必ず一応のところまでは誰にでも出来るように「教育」されるのであった。ところで毎年四月、先生の家の応接間の一夕、この教育を受けては、「なる程線香花火は面白いようですから早速やってみましょう」と云って出掛けて行った数人の人々からその後何の知らせもないのが例であった。こんなことが毎年毎年繰り返されているうちに、とうとうこれは自分のところでやらねばならぬと先生が癇癪を起されたのであった。このことは随筆の中にも書かれているはずである。