「刑法 時速約16㎞で一方通行道路を後退で逆走した行為に危険運転致死罪の成立が認められた事例 - 神戸大学准教授 東條明徳」法学教室 2024年5月号
神戸地裁令和5年10月27日判決
■論点
自動車運転死傷処罰法2条8号の「進行」と「重大な交通の危険を生じさせる速度」の意義。
〔参照条文〕自動車運転致死傷2条8号
【事件の概要】
被告人Xは、一方通行道路を規則に従った方向に進行した後、一旦停止し、時速約12.7~17.7㎞(以下、判決文の表現に従い、「約16㎞」)で後退により逆走した。そのまま信号機のない交差点に進入すると、横断歩道上の自転車に衝突し、運転者を死亡させた。
争点は、(1)後退が自動車運転死傷処罰法2条8号(以下「法2条8号」)の「進行」と言えるか、(2)時速約16㎞を同号の「重大な交通の危険を生じさせる速度」(以下「危険速度」)と言えるか、(3)Xに危険運転の故意を認定できるかの3点である。いずれも積極に解して危険運転致死罪の成立を認めたが、以下では解釈論上の論点である(1)・(2)のみを扱う。
【判旨】
〈有罪〉 (1)につき、次の理由で肯定した。法2条8号の処罰根拠は、通行禁止道路を規制に反して進行すると予期せぬ自動車の接近に繋がり、生命・身体に対する危険性が高いことにあるところ、この趣旨は接近する自動車が前進か後退かにかかわらず妥当する。また、弁護人は道路交通法上も日常用語上も「進行」は「後退」を含まないと主張するが、そうは解されない。
(2)については、「①後退の場合、進行方向(後方)の見通しは前進の場合とは比べものにならないほど悪く、左右のサイドミラーやバックミラーを用いたり後方を振り返ったりする中で得られる限られた情報でしか後方を見ることができない。 しかも、各ミラーを使ったり後方を振り返えるなどの必要があるが、その間には、全く後方を見ることができない時間も生じ得る。②さらに、本件現場は住宅街の中の幅約5.9mほどの道路で、他の自動車が通行するほか、自転車や歩行者も通行したり横断する可能性の高い道路であった。・・・③本件現場は西方から東方への一方通行道路で、X車の後方にいる者にとってはまさか東方から自動車がそのような速度で進行してくるとは想像しにくく、X車を避けられない可能性が高い。・・・④X車は乗用車としては相応に大きい車で、時速約16㎞といえども人や自転車と衝突すれば相手を転倒させるなどして大けがをさせたり死亡させたりすることは容易に想定できる。・・・以上からして、X車の速度は、重大な交通の危険を生じさせる速度に当たる。」
【解説】
1 (1)につき、法2条8号の「進行」に「後退」が含まれるかはこれが明示的には論じられてこなかった点であり、本判決にはこの点を判断した例としての意義がある。法解釈では、条文の文言の国語的意味を基礎としつつ、条文の趣旨(罰条の場合、特に保護法益)や関連法令との関係を踏まえて意味内容を確定することが基本となるが、本判決の挙げる論拠はまさにこうした点であり、結論も含めて妥当と思われる。
2 (2)につき、立法解説では、危険速度とは「自車が相手方と衝突すれば大きな事故を生じさせると一般的に認められる速度、あるいは、相手方の動作に即応するなどしてそのような事故になることを回避することが困難であると一般的に認められる速度」を意味し、通常、20~30㎞/hで走行していればこれに当たると説明されている。最高裁でも、時速約20㎞を危険速度と認める決定が出されている(最決平成18・3・14)。もちろん立法解説の時速20㎞という数字に拘束力があるわけではないが、本判決はこれを下回る速度を危険速度と認めた点で注目される。
3 危険速度要件の趣旨として、上記立法解説では、例えば赤信号を殊更に無視しつつも通行人を発見したら停止できるよう十分減速して交差点に進入する場合のように、危険運転致死傷罪での処罰に値する高度の危険性がない行為を処罰範囲から外すことが挙げられている。この趣旨や条文の文言(2号と異なり「高速度」ではない)からすれば、大きな事故を必ず招くような高速度が要求されているわけではなく、具体的状況下で大きな事故に繋がり得る速度であれば足りると解される。但し、あくまでも処罰範囲を「速度」の観点から限定する要件である以上、単に高度の危険性が示されるのでは足りず、その危険性を基礎付ける要素の1つが速度であることが示されねばならないであろう。この観点からは、一般に徐行と呼ばれる時速5~10㎞での走行のように、それ以上の低速度が想定し難い速度については、速さこそが高度の危険性の一因とは言い難く、危険速度要件の充足は事実上考え難い。これに反し、運転が高度に危険でさえあれば、いかに低速でも当該事案ではその速度が危険速度と認められると解することは、条文の一部を空文化させるような解釈論であって妥当ではない。こうして、危険速度要件においては、(速度のみで十分に危険と言えない場合)速度と他の事情が相俟って高度の危険性が存在したことが必要となるが、この場合、速度が低いほど他の特殊事情が必要となると言えるから、本件のように徐行に近い低速度ではその必要性は特に高い。
4 本判決はそのような特殊事情として、①後退、②交通量、③他者の予期しない進行、④車の大きさを挙げる。このうち③は通行禁止道路進行類型に共通の事情であるから、低速度を補う特殊事情とは言えない。その余は本件の特殊事情と言えるが、とりわけ本件に特殊で、かつ、危険性の高さを基礎付けるのは①であろう。後方確認の難しさは「相手方の動作に即応する」ことの困難さであるため、直ちに停止できる速度である徐行の速度を超える時速約16㎞で走行したことと相俟って高度の危険性の一因をなすとの判断は首肯可能である。ただ、物理的な観点からは、前進か後退かにかかわらず速度が低いほど危険運転致死傷罪での処罰に値する「大きな事故」には繋がりにくくなるはずであり、本判決の挙げる事情で危険速度要件を認めるに足りるかは評価が分かれ得るであろう。