「情動をコントロールする方法 - 澤田誠」思い出せない脳 講談社現代新書 から
私たちの判断や行動の多くの部分は情動に支配されています。多くの人は、自分は理性的に行動していると考えていると思います。しかし、私たちは全員、情動という海に浮かんだ船なのです。情動が高波をたてて荒れ狂えば、仕事をするどころではありません。船にしがみついているだけで精一杯でしょう。潮の流れが変わって知らないうちに流されて、「なぜ、こんなところに来てしまったんだろう?」とおもうこともしばしばです。
かといって、情動を無理やり抑えつけて、情動に反した行動を取り続ければ、今度は健康に悪影響が及びます。情動と身体や脳の健康は密接につながっているからです。
私たちはそれぞれみんな、自分の悩みを解決したり、目的を達成したりしたいと考えて行動していますが、この情動という海の性質をよく知り、波や潮の流れを観察して、適切に対処できるようになれば、目的地にもっと早く到着できるかもしれません。
このコラムでは、情動をコントロールする方法について、脳科学的に検証してみたいと思います。
①身体の状態で状態をコントロールする
「泣くから悲しいのか、悲しいから泣くのか」、これは現代でもまだ結論が出ていない議論です。何を言っているんだ、悲しいから泣くに決まっているだろう・・・と思った人は、ちょっと試しに、唇の端を持ち上げて笑った顔を作ってみてください。何となく楽しい気分になりませんか?このように笑った顔を作ったまま、悲しいことを考えるのは難しいはずです。
また、「吊り橋効果」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。吊り橋の真ん中に立つと足元が不安定で、ドキドキ、ハラハラします。その状況で、異性に手紙を渡されると、その異性に恋をしていると勘違いします。身体がドキドキしているのは、目の前の異性に恋しているからだと脳が勘違いして好きだという感情が湧くのです。これはまさに、恋するからドキドキするのではなく、ドキドキするから恋をするという例です。
身体の状態が情動を生み出すという考えを「情動の末梢起源説」といいます。末梢というのは、枝の先、末端のことです。神経には、大きく分けて、末端神経と中枢神経があります。医学分野では、脳と脊髄を中枢神経系、それ以外を末梢神経系と呼びます。
中枢神経は大切なので、骨で守られています。脳は頭蓋骨、脊髄は背骨です。背骨は私たちの身体を支えるだけでなく、重要な神経を守る役割をしているのです。背骨は医学的には、「脊髄」と呼びますが、事故やスポーツの怪我などで、「脊髄損傷」をすると、損傷した場所によっては中枢神経をが傷ついてしまい、身体の一部が動かせず、感覚がなくなる麻痺が起こることがあります。
中枢神経には身体の各部位からの情報が集まってきます。また、逆に、身体の各部位への指令も発せられます。末梢神経は目や耳や皮膚などの感覚器や、手足などの身体の部位、臓器など、さまざまなところに張り巡らされていますが、身体の中にあるのは主に神経細胞の本体ではなく神経線維です。電線のようなものです。本体である細胞体の多くは、脊髄や脳の中にあり、中枢神経と連絡しています。
脳と脊髄以外は「末梢」ですので、顔や心臓も末梢です。顔の表情や心臓の鼓動の変化が起こると、末梢神経が中枢神経に情報を伝えます。その情報をもとに情動が湧いてくると考えるのが、末梢起源説です。
それとは反対の考え方が、「情動の中枢起源説」です。こちらを支持する人たちの根拠は、末梢からの刺激がなくても、脳で思い浮かべただけで情動が湧くことです。目をつむって寝転がっていても、悲しかった出来事を思い出すと、悲しくなります。中枢起源説も正しそうです。
本当にどちらが正しいのでしょうか。状況次第で、どちらも関わっているのではないかというのが私の考えです。
そうなると、私たちがコントロールしやすいのは、末梢起源説に基づく方法でしょう。気持ちを気持ちでコントロールするのは、胆力がいりますが、身体の動きを変えるだけなら、情動の邪魔が入ることなく実行できそうです。
たとえば、深刻な悩みを抱えて重苦しい気分に支配されているときは、鏡の前で自分の考え得る限りの変顔を決めてみてはどうでしょうか。そんな気になれないと思いますが、とりあえずやってみて、悩みの続きを考えてみてください。
やる気が出ないときに、まず行動を起こすことも有効です。やる気が出ないから行動を起こせないと言い訳する脳に、行動しないからやる気が出ないのだと反論してみるのです。