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「飯を作る - 小川軽舟」俳句と暮らす 中公新書 から

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「飯を作る - 小川軽舟」俳句と暮らす 中公新書 から

 

私が単身赴任を始めて四年余りになる。
私は俳人ではあるが、普通のサラリーマンでもある。東京に本店のある金融機関に三十年間勤め、そこから鉄道会社に転出


した。
日本の銀行は職員が五十歳を過ぎたあたりから取引先や関係会社に順次出してしまう。銀行に一生勤めあげる者はほとんどいないというのが現実である。私の場合はその行き先が大阪に本社のある鉄道会社だった。二人の子どもは東京の学校に通っていたので、私が単身赴任することは自然な流れであった。
単身赴任の生活を始めると、自分の飯は自分で用意しなければならない。時間になると「ご飯よ」と呼んでくれる妻はいない。自分で作るにせよ、外食するにせよ、弁当で済ませるにせよ、すべて自分で決めなければならない。
晩飯は馴染みの小料理屋で一杯やりながら-私が抱いていた単身赴任のイメージはこれである。気さくな女将とたわいない会話を楽しみながら季節の魚の造りなど二、三品でビールを一壜、お銚子を一本、それから茶漬で腹を落ち着かせていい気持ちになって帰る。しかし、四年経って振り返ると、私はこんな晩飯を一度も実践していない。それが日常では食費が馬鹿にならないし、毎晩酔っぱらって帰っては家で俳句の仕事ができないのだ。

かといってこの年になって晩飯を牛丼やラーメンやコンビニ弁当ばかりで済ますのは寂しい。私は食通というには程遠いが、自分の身分に相応のうまいものを食べることが楽しみな食いしん坊ではある。私が何より幸せを感じるのは、豊かな湯気の立ち上る炊き立てのご飯を頬張る時だ。一日の満足感はその瞬間を持てるかどうかで左右されると言っても大袈裟ではない。自炊という結論が出るのも、これまた自然な流れであった。
単身赴任で自炊の生活と聞くと鰥夫[やもめ]暮らしの侘しさを想像されるかもしれない。しかし、実際に始めてみると、今まで気づかなかったささやかな発見が毎日のようにあって、日常生活が新鮮に見えることこのうえない。
私は結婚して二十年余り、基本的に台所には入らなかった。独身時代に面白半分で買った菜切庖丁と出刃庖丁は妻に譲った。専業主婦の妻は結婚してから次第に料理が上手くなり私の好みも心得てくれたから何の不自由もなかった。台所に入る必要がなかったのである。
しかし、単身赴任を機に私は台所に立つことになった。私は料理を趣味とする者ではない。「男の料理」という言葉が私は今一つ苦手どある。本格的な料理をふるまうことのできる男性を尊敬するが、自分がそうなろうとは思わない。私の料理はもっぱら自分の日常生活において自分の好きなものを食べるためのものである。私の教科書はベターホームの『お料理一年生』一冊だけだ。あとは自分の食べたいように工夫する。めずらしい食材でも店で聞いたりインターネットで調べたりすれば食べ方はわかる。男の料理も女の料理もない。私の料理があるだけだ。

この生活を新鮮に感じることができるのは、俳句をやっていたおかげだと思う。食材には旬がある。だからほとんどの食材は季語である。料理もその多くが季語になっている。歳時記を見れば何がどの季節の季語かわかる。知識はそれでまかなえる。しかし、食材を求めて自分で店に足を運び、実際に台所に立たなければ、それがなぜその季節の季語なのかを実感できなかったというものがたくさんある。私もそうだったが、俳句を始めた人は異口同音に季節を迎えるのが楽しくなったと言う。そして台所に立つようになると、季節との出会いが今までよりさらに新鮮に感じられるようになったのだ。
例えば、若布[わかめ]はいつの季語かご存知だろうか。歳時記を見れば、若布は春の季語だと知ることはできる。しかし、妻の作る豆腐と若布の味噌汁を啜っているだけでは、ああ、春が来た、と感じることもない。塩蔵若布や乾燥若布を使っていれば自分で料理をしていても同じだろう。
大阪に勤め、神戸に住む私の生活圏において、食材の調達の場はデパートの地下の食品売場が地元のスーパー(「いかりスーパー」か「コープこうべ」)である。関西は食材が豊かだと思う。野菜も果物も魚介類も季節に応じて新鮮な地物が並ぶ。今晩は何を食べようかと会社帰りに売場を見て回る。
春先になると魚売場に近くの海から揚がったばかりの若布が出回ることに気づく。一パックせいぜい二百円くらい。そういえば若布は春の季語だなと思って買って帰る。暗澹[あんたん]としたどす黒い色をしていてお世辞にもうまそうには見えないが、これが鍋に沸騰した湯に投じたとたんに目の覚めるようなきれいな緑色になる。立春を過ぎてもまだ寒い台所で、春が来たなあ、感動する瞬間だ。さっと湯掻[ゆが]いたら、あとはそのまま醤油をかけてもよし、味噌汁に入れてもよし、茎の部分は刻んで胡麻油で炒めてもよし。
こうして台所は私にとって季語の最も季語らしい姿を発見する場になった。
私の一日は晩飯の炊き立ての飯を頬張るための炊飯器のセットから始まる。白米も好きだけれど、単身赴任先では健康を考えて玄米を炊くことが多くなった。特に新米の時の玄米は緑色を帯びていて、いかにも新米だという気分になる。その日の予定を確認し、家に帰り着ける時間の三十分後に炊き上がるように予約して出勤する。だから私は当日急に誘われても飲みに行かない。やむを得ない社用で帰宅時間が遅れると、誰もいない家で炊き上がってしまったご飯を思って会議室で臍をかむ。
自炊は面倒だと思う人も少なくないだろう。実際のところ面倒である。妻のいる家族の家に帰るとなんて楽なんだろうと思う。面倒が高じて自炊が嫌になってしまわないように、私にはいくつか心がけていることがある。

(続く)


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