(巻三十二)組織論のどこかすえいてゆきのした(寺井谷子)
3月1日火曜日
とある日の遠いところの水温む(角川春樹)
月初の簡単床屋は混むようだ。10時開店の30分後に覗いたが4人待ちであった。麻雀でもしながら待とうかとWi-Fiに繋いだがerrorで遊べない。床屋というところはラジオを鳴らしっぱなしにしているところだから苛々する。それも文化放送あたりらしく下らない駄弁りばかりで、それが耳に届いてしまえば一層苛々する。そんなこともあろうかとICレコーダーを持ってきたのでBBCを流し込んでnoise cancellingと致した。BBCは理解できないので苛々しない。
聞たくも無きこと聞え耳袋(加古宗也)
現代、文春、新潮と置いてあったのでエッセーは誰が書いているのかと捲ってみた。文春では先ず土屋賢二氏のツチヤの口車を読んでみたが、文庫本収録の一冊70本の中に当たりは一作、多くて二作だからたまたま捲った号に面白いエッセーを期待したのが間違いだった。
https://nprtheeconomistworld.hatenablog.com/entry/2020/10/27/082601
3誌のうちの2誌に伊集院氏が書いていたが、読ませる気があるのだろうか?俳句もエッセーも佳い作品は希だ。
そんなことをしながら結局1時間待ち、15分で刈り上がった。
安ければ速き床屋や都鳥(小川軽舟)
願い事-生死直結で始末をつけてください。コワクナイ、コワクナイ。
3月1日は岡本綺堂の命日だ。年譜に依れば、
《静かに逝く。六十八年の生涯、茲に終る。三月一日、真昼の午後零時二十分なり。遺訓なく、辞世の句なく、死の苦渋なし。帰するが如き平安の永眠なり。》
とある。死の苦渋なしとは羨ましい。
北向の貸家のつづく寒さかな(岡本綺堂)
稲畑汀子氏の命日にもなってしまったらしい。