(巻三十一)年立つて耳順ぞ何に殉ずべき(佐藤鬼房)
12月26日日曜日
過日食品流通業界の方とお話したとき、業界の景気の好さをうかがったが、スーパーもウハウハなのであろう。広告も多いが来年は元日、二日のお休みは当たり前で、三賀日を丸々休むスーパーも出てきたようだ。
その生協に出かけた細君が千両と水仙を買って帰った。花の置場所がないので花瓶に入れたところを一撮したが、こんなところを撮られては困ると申す。見る人が視ればそうなのだろうが、赤、白、黄、緑の色合いが単純にして鮮やかで、私にはとても宜しい。
風が強く、散歩は図書館までにした。図書館では1月号が出たので貸出解禁になった角川俳句12月号を借り出した。
朝日俳壇と角川俳句からそれぞれ以下の句を書き留めた。
俳壇:
歳晩の街角で逢ひそれつきり(伊藤玉枝)
冬の日や我人間[じんかん]の孤を愛す(斉木直哉)
角川俳句:
ことごとく後手に回りし秋の暮(仁平勝)
おとなしく水となりゆく雪兎(柴田佐知子)
首長ききりんの上の春の空(後藤比奈夫)
すぐメモに記す漢と鰻喰ふ(秋山博江)
ついに来たIT句会蚊帳の外(甲康子)
ペン立てに古りし耳掻き生身魂(会田恥芽)
夕食にはおでんが付いた。一杯やってさっと寝たいが、その一杯は付かない。そういう意味ではつまらないが、他のことは宜しいので諦めている。
願い事-生死直結で叶えてください。コワクナイ、コワクナイ。
昨日借りてきた『綺堂随筆-江戸のことば』の巻末の岡本綺堂年譜を読んだ。昭和十四年三月一日六十八歳で逝去。
「静かに逝く。六十八年の生涯、茲[ここ]に終る。三月一日、真昼の午後零時二十分なり。遺訓なく、辞世の句なく、死の苦渋なし。帰するが如き平安の永眠なり。」
と記されている。
斯く逝きたい。