(巻二十七)みみず鳴く日記はいつか懺悔録(上田五千石)
11月25日水曜日
日記と言えばここのところ数日、
「「老い」の見立て - 川本三郎」岩波現代文庫 荷風と東京(上)-『断腸亭日乗』私註 から
を読んでいる。
この 「「老い」の見立て」では実際の年齢より老人ぶる荷風を“分析”している。日記というのはどれもこれも正直な記録ではないのだが、著者はこの章を以下のように纏めている。
《 庭いじり、焚き火、曝書、文房清玩、墓参......荷風は、好んでそういう老人くさい日常を作り出していった。現実の荷風はもっと俗人であったろうし、日々の暮しもまたもっと騒がしかったに違いないが、荷風は、「断腸亭日乗」のなかでは、そうした俗気を出来る限り排そうとした。自分を「老人」に見立てることで、世俗ては関わらないですむ理想の隠れ里生活を作り上げてゆこうとした。「断腸亭日乗」はその意味で、日記であると同時にフィクションであるといってもいいだろう。》
すでにして己れあざむく日記買う(岡本眸)
細君は雨のなかを通帳の記帳に出かけた。転んで怪我でもされると困るのだが、言い出したら聞かないから放っておくしかない。(昼頃焼売弁当を買って無事帰宅なされた。)
25日なのでATMには列が出来ていたそうだ。
一夜[ひとよ]づつ淋しさ替る時雨かな(巴人)
散歩と読書:
駅前に出かけて本を返却した。後が来ない。仕方がないので書棚から文春の巻頭随筆を取り出して
「やまのて線 - 柳井乃武夫」文春文庫 巻頭随筆1から
を読んでいる。なぜヤマテ線ではなくヤマノテ線なのか、ほかの蘊蓄随筆だが、そうなのかと頷くところがある。
《同じ私鉄でも甲武鉄道は地名の発音に忠実に駅名をつけた。御茶ノ水、市ヶ谷、四ツ谷、千駄ヶ谷と、ノやケやツをつけている。これに対して日本鉄道の沿線の駅名を見ると、秋葉原、鴻巣[こうのす]、熊谷、雀宮[すずめのみや]、宇都宮、槻木[つきのき]、一戸、三戸、八戸と漢字の連続で、ノもケもつけない官鉄流だ、だから山手線にもノはつかなかった。》
みちのくの夜長の汽車の長停り(阿波野青畝)
本日は五千八百歩で階段は2回でした。
願い事-叶えてください。
どうでもいいことですが明日は三の酉ですかい?
ポケットのなかでつなぐて酉の市(白石冬美)
すれ違ふ熊手が語る景気かな(腰山正久)
寄り道も我が道もなし酉の市(長谷川栄子)