「師匠、最期の一言「ハゲだっつうの、あいつ」 - 桂歌蔵」ベスト・エッセイ2019 から
今月2日、師匠桂歌丸が満81歳で亡くなった。9、10日は家族、直弟子、近親者のみによる通夜と葬儀、そして11日は業界関係者、ファンも参列した告別式。すべてを滞りなくすませた今も、なんだか現実感が湧かない。
26年前に入門したときから今年の春まで、ずっと師匠は入退院を繰り返してきた。まるでルーティンワークのように。そのたびに、またか、もうだまされないぞ、なんて思ったものだった。ゆえに7月2日、最期をみとった瞬間は夢を見ているようだった。きっと目が覚めたら、師匠は生きていた、また普段通り見舞いに行き、いつものように小言を食らうんだろうな、なんてうすぼんやりと考えていた。
なぜなら、来月8月11日から20日までの国立演芸場の高座に上がる、師匠も家族も弟子もそう信じていたからだ。
4月下旬危篤状態に陥り、家族と弟子たちは深夜、病室に集まった。それから3日後には何もなかったかのように意識を取り戻し、みるみる元気になっていった。
ほらね。師匠はこういう人なんだから。絶対に大丈夫、そんなふうにタカをくくっていたのだ。
それが不安に変わっていったのは、6月に入ってリハビリを始めてからだった。
「パンダのたからもの」「パンダのえさはパンだ」「ぱぱぱ、ぴぴぴ、ぷぷぷ」-。紙に書いたこれらの文章を読まされるのだ。
あの長講「真景累ケ淵」「牡丹灯籠」をよどみなくしゃべっていた師匠が、こんなリハビリをしいられている。そんな姿を見るのがつらかった。最期の頃は、弟子たちに見舞いを控えるように、そうお達しがあった。行けば必ずパシリで、下の売店に甘いものを買いに行かされるからだ。食事制限がかかっていた。そのせいかイライラして看護師に食ってかかり、てこずらせていた。
師匠、弟子じゃないんですから、看護師を困らせないでくださいよ。
最後に見舞いに行ったとき、入れ違いに看護師さんが病室を出ていった。師匠はおれが来ると酸素マスクをはずし、息もたえだえに、「ハゲだっつうの、あいつ」。そう言った。
なんてことを言うんだ!そんなことを言えるのは笑点メンバーだけだぞ。叱りつけてやる。おれは廊下に出て看護師に、「あんた、師匠に向かって、ハゲっていったでしょ!」。
あわてて看護師は否定したが、おれはかなりとっちめた。意気揚々と病室に戻り、「師匠、言ってやりましたよ、あいつに」。
師匠は哀しそうに首を振る。もう一度口元に耳を当てて、ようく聞いてみたら。
「ハーゲンダッツのアイス」
買ってこい、ってことだったんですね。
結局食べさせてあげることができなかった。