2/3「寺じまの記 - 永井荷風」岩波文庫 荷風随筆集(上) から
車から降りて、わたくしはあたりを見廻した。道は同じようにうねうねしていて、行先はわからない。やはり食料品、雑貨品などの中で、薬屋が多く、、次は下駄屋と水菓子屋が目につく。
左側に玉の井館という寄席があって、浪花節語[なにわぶしかた]りの名を染めた幟が二、三流立っている。その鄰りに常夜燈と書いた灯[あかり]を両側に立て連ね、斜に路地の奥深く、南無妙法蓮華経の赤い提灯をつるした堂と、満願稲荷とかいた祠[ほこら]があって、法華堂の方からカチカチカチと木魚を叩く音が聞える。
これと向合いになった車庫を見ると、さして広くもない構内のはずれに、燈影[ほかげ]の見えない二階家が立ちつづいていて、その下六尺ばかり、通路になった処に、「ぬけられます」と横に書いた灯[あかり]が出してある。
わたくしは人に道をきく煩[わずら]いもなく、構内の水溜りをまたぎまたぎ灯の下をくぐると、家[いえ]と亜鉛[トタン]の羽目[はめ]とに挟[はさ]まれた三尺幅くらいの路地で、右手はすぐ行止まりであるが、左手の方へ行くこと十歩ならずして、幅一、二間[けん]もあろうかと思われる溝にかけた橋の上に出た。
橋向うの左側に「おでんかん酒、あづまや」とした赤行灯[あかあんどう]を出し、葭簀[よしず]で囲いをした居酒屋から、鯣[するめ]を焼く匂いがしている。溝際には塀とも目かくしともつかぬ板と葭簀とが立ててあって、青木や柾木[まさき]のような植木の鉢が数知れず置き並べてある。
ここまでは、一人も人に逢わなかったが、板塀の彼方[かなた]に奉納の幟が立っているのを見て、其方[そちら]へ行きかけると、路地は忽ち四方に分れていて、背広に中折を冠[かぶ]った男や、金ボタンの制服をきた若い男の姿が、途絶えがちながら、あちこちに動いているのを見た。思ったより混雑していないのは、まだ夜になって間もない故であるのかも知れない。
足の向く方へ、また十歩ばかり歩いて、路地の分れる角へ来ると、また「ぬけられます。」という灯[あかり]が見えるが、さて其処[そこ]まで行って、今歩いて来た後方[うしろ]を顧ると、何処[どこ]も彼処[かしこ]も一様の家造[やづく]りと、一様の路地なので、自分の歩いた道は、どの路地であったのか、もう見分けがつかなくなる。おやおやと思って、後へ戻って見ると、同じような溝があって、同じような植木鉢が並べてある。しかしよく見ると、それは決して同じ路地ではない。
路地の両側に立並んでいる二階建の家は、表付に幾分か相違があるが、これも近寄って番地でも見ないかぎり、全く同じようである。いずれも三尺あるかなしかの開戸[ひらきど]の傍に、一尺四方位の窓が適度の高さにあけてある。適度の高さというのは、路地を歩く男の目と、窓の中の燈火[あかり]に照らされている女の顔との距離をいうのである。窓際に立寄ると、少し腰を屈[かが]めなければ、女の顔は見られないが、歩いていれば、窓の顔は四、五軒一目に見渡される。誰が考えたのか巧みな工風[くふう]である。
窓の女は人の跫音[あしおと]がすると、姿の見えない中から、チョイトチョイト旦那。チョイトチョイト眼鏡のおじさんとかいって呼ぶのが、チイト、チイ-トと妙な節がついているように聞える。この妙な声は、わたくしが二十歳[はたち]の頃、吉原の羅生門横町、洲崎のケコロ、または浅草公園の裏手などで聞き馴れたものと、少しも変りがない。時代は忽然三、四十年むかしに逆戻りしたような心持をさせたが、そういえば溝の水の流れもせず、泡立ったまま沈滞しているさまも、わたくしには鉄奬溝[おはぐろどぶ]の埋められなかった昔の吉原を思出させる。
わたくしは我ながら意外なる追憶の情に打たれざるを得ない。両側の窓から呼ぶ声は一歩一歩急「せわ」しくなって、「旦那、ここまで入らっしゃい。」というもあり、「おぶだけ上[あが]ってよ。」というのもある。中には唯笑顔を見せただけで、呼び止めたって上る気のないものは上りゃしないといわんばかり、おち付いて黙っているのもある。
女の風俗はカフェーの女給に似た和装と、酒場で見るような洋装とが多く、中には山の手の芸者そっくりの島田も交[まじ]っている。服装のみならず、その容貌もまた東京の町のいずこにも見られるようなもので、即ち、看護婦、派出婦、下婢、女給、女車掌、女店員など、地方からこの首都に集って来る若い女の顔である。現代民衆的婦人の顔とでも言うべきものであろう。この顔にはいろいろの種類があるが、その表情の朴訥[ぼくとつ]穏和なことは、殆ど皆一様で、何処[どこ]となくその運命と境遇とに甘んじているように見られるところから、一見人をして恐怖を感ぜしめるほどの陰険な顔もなければまた神経過敏な顔もない。百貨店で呉服物見切[みきり]の安売りをする時、品物に注がれるような鋭い目付はここには見られない。また女学校の入学試験に合格しなかった時、娘の顔に現われるような表情もない。
わたくしはここに一言して置く。わたくしは医者でもなく、教育家でもなく、また現代の文学者を以て自ら任じているものでもない。三田派[みたは]の或評論家が言った如く、その趣味は俗悪、その人品は低劣なる一介の無頼漢に過ぎない。それ故、知識階級の夫人や娘の顔よりも、この窓の女の顔の方が、両者を比較したなら、わたくしはむしろ厭[いと]うべき感情を起させないということができるであろう。
女の風俗はカフェーの女給に似た和装と、酒場で見るような洋装とが多く、中には山の手の芸者そっくりの島田も交[まじ]っている。服装のみならず、その容貌もまた東京の町のいずこにも見られるようなもので、即ち、看護婦、派出婦、下婢、女給、女車掌、女店員など、地方からこの首都に集って来る若い女の顔である。現代民衆的婦人の顔とでも言うべきものであろう。この顔にはいろいろの種類があるが、その表情の朴訥[ぼくとつ]穏和なことは、殆ど皆一様で、何処[どこ]となくその運命と境遇とに甘んじているように見られるところから、一見人をして恐怖を感ぜしめるほどの陰険な顔もなければまた神経過敏な顔もない。百貨店で呉服物見切[みきり]の安売りをする時、品物に注がれるような鋭い目付はここには見られない。また女学校の入学試験に合格しなかった時、娘の顔に現われるような表情もない。
わたくしはここに一言して置く。わたくしは医者でもなく、教育家でもなく、また現代の文学者を以て自ら任じているものでもない。三田派[みたは]の或評論家が言った如く、その趣味は俗悪、その人品は低劣なる一介の無頼漢に過ぎない。それ故、知識階級の夫人や娘の顔よりも、この窓の女の顔の方が、両者を比較したなら、わたくしはむしろ厭[いと]うべき感情を起させないということができるであろう。