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「地獄の数 - 宮本輝」文春文庫 巻頭随筆3 から

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「地獄の数 - 宮本輝」文春文庫 巻頭随筆3 から

プーシキンの小説に「スペードの女王」というのがある。賭博を扱った文学作品の中では、とびきり好きな作品である。これを読むと、賭博というものの、人間を幻惑させてしまう妖しい色合いが、何枚かの骨牌札[かるたふだ]の微細な図柄とともに、目先にちらついてくる。
何しろ、からっきしヘタクソなくせに、ありとあらゆるギャンブルに首を突っ込んで、とんでもないめに逢った経験があるので、三枚の骨牌札を当てるゲームの秘伝を知りたいがために、侯爵夫人を死に至らしめてしまうゲルマンという青年の心情がよくわかるのである。とにかく博奕[ばくち]というやつ、負けがこんでくると、それこそ狂気の坩堝[るつぼ]にひたり込んでくるくる落下して行く本人の姿をしかと見つめさせながら、なあに、まだまだ自分だけは大丈夫だと錯覚させる魔力を秘めている。
今は店じまいしてしまったが、昔、大阪の曾根崎新地の露地裏に「お初ちゃん」という雀荘があった。一杯飲み屋が安ものの小料理屋みたいな屋号だったし、それらしい看板も出していなかったので、殆どの人は雀荘だとは知らずに入ってくる。すると五つの麻雀台と、一種異様な雰囲気を発散させた男たちが、もうもうたる煙草のけむりの中にかすんでいるのを見て、驚いてドアを閉めてしまう。そしてあらためて店先を見廻しながら、「なんや、麻雀屋かいな」と呟きつつ離れて行くのである。「お初ちゃん」に来るのは常連だけで、それもまともな奴はひとりもいない。自称、金持のボンボン、自称、不動産屋の社長、自称、ヤクザの大幹部、自称、女のヒモ、といった手合[てあい]である。
私は腹が空くと、よくこの「お初ちゃん」へ行った。麻雀をするためではなく、焼飯を食べるためにである。客が他の物を注文したときは、近所の寿司屋とか中華料理屋に出前を頼むのだが、焼飯の場合にだけ、奥の薄暗い台所で中年の女主人が作るのである。ところがこのおばちゃんの作る焼飯が大変うまい。そんじょそこらの中華料理屋なんかでは味わえない本格的なやつで、切り刻んで入っている焼豚の量といい、タケノコ、人参、タマネギなどの具のバランスといい、まさに絶妙である。しかも、生姜を細かく刻んで、パラパラッと振りかけてあるのだが、そいつがまた見事に焼飯の味にマッチして、そのうえお値段が百五十円ときている。十年も昔のことだが、それでも当時としてもべらぼうに安かった。
私は「お初ちゃん」では焼飯を食べるだけで、どれほど誘われても卓を囲むということはなかった。いくら何でも、私なんかがお相手できる連中ではなかったからで、「なんぼ負けたかて、命まで取らへんがな」とか、「金がないんなら、できるまで待ったるでェ」とかの甘い言葉にも決して乗って行かず、丸椅子に腰かけ、焼飯を頬張りながら長い時間見物しているのである。おばちゃんも、私が来ると、何にも言わないうちから台所に入って行き、「この子、うちを食堂と間違うてるねんから」と苦笑する。
ところがある日、いつものように腹を減らして「お初ちゃん」のドアをあけると、三人の顔なじみが退屈そうに卓の上の牌をもて遊んでいる。昼過ぎには必ず顔を出す、自称、不動産屋の社長が来ないので、メンバーがそろわないのである。「すぐに来よるから、それまでちょっとだけつき合えよ」と女のヒモ氏が私を見つめた。「半荘だけや、半荘だけ」。
私はレートの額を訊いた。それは私が一度も経験したことのない高額なものだった。私は頭の中で素早く計算し、その程度ならたとえ負けても何とか払えるだろうと思った。それもたった半荘だけだ......。ところが、私はレートの額を一桁間違えていて、そのことにゲームの途中で気づいた。瞬間、頭がかあっとして、体が汗ばんだ。しかし私はついていた。ついていたから、ホテルのボーイのアルバイトで稼いだ三万円を、そっくり巻きあげられる程度ですんだのである。自動車のセールスマン氏は、彼の月給の三カ月分ぐらいを、その半荘で失った。彼は内ポケットからぶ厚い封筒を出し、一万円札の束をつかんだ。私も、勝った二人の男も、無言でそのぎっしり一万円札の詰まっている封筒を見ていた。それがセールスマン氏なとってどんな種類の金か、おおむね察しはついたが、みんな何も言わなかった。
「こうなったら、とことん行こか!」。セールスマン氏は言って、自分の頬を両手でぴしゃぴしゃ叩いた。それから凄い目つきで「さあ、地獄やぞォ」と呟いた。不動産屋の社長が入って来て、私は解放された。私はおばちゃんの作ってくれた焼飯を食べながら、セールスマン氏が、間違いなく地獄に落ちて行くのを見ていた。しかし貧乏学生が、汗水たらして稼いだ虎の子を取られてしまったのだから、私もまたしょんぼりと、地獄の丸椅子に座っていたことになる。そうやって「お初ちゃん」の店内を見廻すと、救いのない焦燥やら苦渋やらがそこかしこに満ち満ちて、確かに地獄への待ち合い室にいるみたいに思えてきたのだった。
仏典によると、この地の下には大別して二種類の地獄があるという。ひとつは八熱地獄で、等活、黒縄、衆合、叫喚、大叫喚、焦熱、大焦熱、大阿鼻と名づけられている。もうひとつは八寒で、阿波波[あはは]、阿たた[あたた]、阿羅羅[あらら]、阿婆婆[あばば]、優鉢羅[うはら]、波頭摩[はずま]、拘物頭[くもず]、芬陀利[ふんだり]の八つの地獄である。この八熱と八寒を合わせて十六小地獄となり、さらにそれらが分散して一百三十六地獄と称される。ちゃんと涅槃経に記されているのだが、しかし何も死んでからだけではなく、この現実の世の中にも、そのくらいの数の悲惨やら絶望やら責め苦やらが転がっているに違いない。
どうやら自分のものでないらしい大金を、きれいさっぱり負けてしまって、そのうえ相当な借金まで背負い込んだセールスマン氏は、青ざめた顔に血の気を呼び戻そうとするかのように、何度も何度も自分の顔面を掌で叩いて、真夜中の露地を帰って行った。私はそれ以後、「お初ちゃん」には一度も足を向けなかった。
最近、眠れない夜などに、どういうわけか、「さあ、地獄やぞォ」と呟きながら卓上の牌をかき廻していたセールスマン氏の姿が、ふいに浮かんでくるのである。随分昔のことだし、すっかり忘れていたはずなのに、執拗に脳裏をかすめ過ぎる。あの人、あれからどうなったろうかと考えているうちにだんだんと薄気味悪くなり、ふと思いたって麻雀の牌をかぞえてみた。な、な、なんと、その数、一百三十六個

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