(巻二十五)鬼灯市風に鳴るもの靡くもの(五所平之助)
5月20日水曜日
散歩と買い物
散歩日和ではないが、二、三日歩いていなかったので曳舟川公園を上って駅前まで足を伸ばした。
駅前の今日の人盛りは密でない。ソシアル・ディスタンスを保つのに困まらない程度の人の往来である。
ユーロードの串焼屋では昼酒で宴会をしていた。開け放たれた店先から中を見ると、密になりたくて我慢が出来ない若い衆五、六人が 一つテーブルに固まって飲んでました。
焼鳥の煤けしのれん肩で押す(田上さき子)
飲み屋さんたちは客の戻りを心配しているらしいが、懐具合がよければ若い衆の戻りは早いのではなかろうか。酒を飲むというのは酒を飲むだけではないのだから。
さくら通りのボサボサの藤棚をくぐった(写真)
買い物は食品の他にティッシュペーパーの注文があった。ティッシュは生協印以外の製品でテカテカ、ツルツルしていないものが所望とのことだった。浅草紙で育ったあたしには何とも贅沢なティッシュの更に微妙な肌触りの違いは分からないが、生協印はお好みではない紙質なのだろう。
生協に入る前にドラッグストアーの店先の棚を見たら、クリネックスがあった。これを頭の中に残して、生協に入った。生協には生協印の他にエリエールの3箱パックがあったが、やはりティッシュは常盤新平の『遠いアメリカ』以来のクリネックスである。
本日五千百歩
願い事-知らないうちに叶えてください。
今日、子規の『墨汁一滴』を読んでいたら、子規も閻魔大王に同じような頼み方をしていた。
(抜き書き)
《余は閻魔の大王の構えて居る卓子の下に立って、
「お願いでござりまする」
というと閻王は耳をつんざくような声で、
「何だ」
と応えた。そこで私は根岸の病人何がしであるが最早御庁よりの御迎えが来るだろうと待っていても一向に来んのは何[ど]うしたものであろうか来るならいつ来るであろうかそれを聞きに来たのであると訳を話して丁寧に頼んだ。すると閻魔はいやそうな顔もせず直に明治三十四年と五年の帖面を調べたが、そんな名は見当らぬという事で、閻魔先生少しやっきになって数珠玉のような汗を流して調べた結果、其名前は既に明治三十年の五月に帳消しになっている事が分った。それから其時の迎に往[いつ]たのは五号の青鬼であるという事も書いてあるので其青鬼を呼んで聞いて見ると、其時迎えに往たのは自分であるが根岸の道は曲りくねって居るのでとうとう家が分らないで引っ返して来たのだ、という答えであった。次に再度の迎え往たという十一号の赤鬼を呼び出して聞いて見ると、成程往たことは往たが鶯横町という立札の処迄来ると町幅が狭くて火の車が通らぬから引っ返したという答である。之を聞いた閻魔様は甚当惑顔に見えたので、傍[かたわら]から地蔵様が、
「それでは事のついでに最[も]う十年ばかり寿命を延べてやりなさい、此[この]地蔵の顔に免じて」
などとしゃべり出された。余はあわてて
「滅相なこと仰しゃりますな。病気なしの十年延命なら誰しもいやはごさいません。此頃のように痛み通されては一日も早くお迎えの来るの待って居る許[ばか]りでごさいます。此上十年も苦しめられてはやるせがございません」
閻王は直に余に同情をよせたらしく
「それならは今夜すぐに迎えをやろ」
といわれたので一寸[ちよつと]驚いた。
「今夜は余り早うございますな」
「それでは明日の晩か」
「そんな意地のわるい事をいわずに、いつとなく突然来てもらいたいものですな」
閻王はせせら笑いして
「宜[よろ]しい、それでは突然とやるよ。併し突然という中[うち]には今夜も含まれて居るという事は承知して居てもらいたい」
「閻魔様。そんなにおどかしちゃあ困りますよ」(此一句菊五調)
閻王からから笑うて、
「こいつ、なかなか我儘ッ子じゃわい」(此一句左団調)
拍子木 幕》
善もせず悪も作らず死する身は
地蔵笑はず閻魔叱らず(式亭三馬)