(巻二十五)ものわかりよくて不実や泥鰌鍋(佐藤鬼房)
4月6日月曜日
ミカンの鉢植えを買い日々水をあげている。
買い求めたときに花屋さんから一年経つと成長して6号の鉢では収まらなくなるので、春には8号に移し替えるように云われていた。
春が来て、さて困った。今まで土いじりなどしたことはない。自分で出来ることは百均で8号の鉢を買うことぐらいで、土さえ買えない。いわんや植え替えなどとてもとてもである。
細君がその花屋さんお願いして植え替えしてもらうことになり、今朝花屋さんにミカン鉢と8号鉢持ち込んだ。
植え替え後根付いたか様子を見るとのことで、お預かりいただいた。
鉢ものの孤影仕立に春深く(桂樟蹊子)
ミカンの鉢植えがあれば揚羽が来てくれるのではないか?という思い付きで細君が衝動買いした鉢植えだが、植物を育てる趣味はそうは簡単に身に付かない。
どの趣味にしても
老後になってから手を出すのは賢くない。習慣や蓄積がないと趣味として成立しないのである。
一つ趣味をば三十年の亀鳴けり(永野由美子)
消費・消耗・鑑賞だけの趣味ではだめだ。上手下手にかかわらず創造的である程度は生産的でないと時間が潰れない。
趣味だけが残った余生春来る(小川正純)
趣味が残ればご立派!
(散歩)
散歩は許されるのだろう。今日は曳舟川から亀中の正門の前を歩いてみた。
中学正門前の寺の掲示板に意味深長な言葉が掲示してありました。
このコースには外にベンチを置いているコンビニがないのでコンビニ珈琲が楽しめない。
8%の問題があるからだろうか?
(読書)
《「どうぞごゆっくり」といい残してさっさとおりていった、その地下鉄について、こんな話がある。
きちんと定期券を買って寄席にかよっている正蔵が、ある時、同じ区間なのにわざわざ切符を買ったので、弟子が「師匠、定期忘れたんですか」と尋ねると、「いや、ここに持っているよ」といってちゃんと定期入れを出してみせた。期限切れでもなければ、行先がちがうわけでもない。それなのに切符を買うのはなぜか。実は、この日、これが二度目の出勤だったのである。
「いいかい、通勤定期ってものはね、勤務先、われわれでいやァ寄席だァね、その勤務先へ毎日行って帰ってくるためのもんで、それだからベラ棒に安くなっているんだよ。きょう、俺はいったん家ィ帰ったろ?二度往復するのに定期使っちゃ悪いじゃねえか」
正蔵は弟子にそういって説明したという。卓然として独住する正蔵の面目躍如というところだが、これが、一事が万事なのである。 》
あまり重いものは読みたくない。