(巻二十五)敬礼の上手と下手は生まれつき(藤後左右)
3月30日月曜日
よく眠れた!久しぶりだ。よく眠れたことには感謝するが、目覚めてしまったことは残念である。
こときれてゐればよかりし春の夢(上田五千石)
あたしがいなくなっても誰も困りも悲しみもしない。細君は年金収入が減るが制度が存続していて、世の中がひっくり返らなければなんとか生きていけるだろう。制度が破綻して世の中がひっくり返ればあたしが生きていようがいまいが生きては行けまい。
悲観論者の弱者としてはそのような目に遭う前に身の始末をしてしまいたい。
身の始末念頭にして霧を吹く(土屋秀夫)
(散歩と買物)
散歩日和ではないが外に出てみた。コンビニにメンチカツは無くコロッケで間に合わせた。一晩経ってしまうとそれほど食べたい物ではございませんでした。
薄味に慣らされているのでソースをかけなくても十分に塩辛いコロッケでした。味覚は鈍っていないのでまだ罹患してはいないのではないかな?
生協に寄り米を買う予定でしたが、指示された二キロの無洗米がなく、止めておきました。五キロの袋はふんだんに在りましたが、細君は心配になったようで明日も二キロが無ければ、五キロを買うことになりました。
久しぶりの昼の酒が効いて快適な昼寝が出来ました。至福であります。
志村さんは苦しんだのだろうか?
今のところ死亡者が出ると首長が記者会見までやるようだ。志村さんの治療にも全力が尽くされたのだろう。
だが、やがて、死亡者はニュースでなくなるだろう。
そういう状況の中で死ぬことになれば苦しむのだろうなあ。やはり垂れ流しで死んでいくのだろうなあ。
早く逝った方々は後から逝く見捨てられた大勢よりは幸せだったということになるだろうなあ。
予測みな当たる淋しさ衣被(渕上千津)
それでも、まだ、それまでに食っておきたいものが浮かばない。
(読書)
「めぐりあい-畏友「彼」 - 遠藤周作」集英社文庫 お茶を飲みながら から
を読みました。
《 十数年前、私が大病を患い、三度目の手術を待っていた時、見舞いにきた彼はしばらく黙っていたが、急にこう呟いた。「あとは引きうけるし、祈っているから万一のことがあっても、安心して死んでくれな」
私は黙っていたが、決してその言葉を聞くのは不快でも苦痛でもなかった。むしろ神父である彼の口からそれを聞いた時、ふかい友情を感じた。人と人とのめぐりあいを今の私は偶然の出来事とは思っていない。人と人とのめぐりあいの奥に、我々をこえた神秘な意志が働いていると考えざるをえない。昭和二十五年、暗い四等船室で彼と会ったことは、私の人生に大きな痕跡を残した。彼の名は書かない。そういうことを嫌がる神父だからである。》
佐藤紅緑の死の床には菩薩が来てくれたらしい。遠藤さんには神父さんがいたであろう。
かと云って、信心は今更ながらである。あの世はないことに決めているし。
岸田秀に依れば死の恐怖から逃げるには自己を抹消するしかないらしい。茂吉のようにボケるのが手段だが、このままだと間に合わない。
座る余地まだ涅槃図の中にあり(平畑静塔)