(巻二十五)楪(ゆずりは)や和菓子屋辞める決意して(町田敏子)
3月17日火曜日
雲は多いが穏やか朝であった。洗濯物をベランダに出してみた。散歩日和ではなかったが駅前まで歩き六千歩強であった。駅前は普段と変わらぬ人盛りでした。日高屋もマックも混んでいる様子。
(区からのメールか届きました)
安全・安心情報(公然わいせつ) 3月17日 火曜日
警察からの情報によると、
3月15日(日)、午後9時50分ころ、葛飾区柴又5丁目の路上で、公然わいせつ事件が発生しました。
■犯人の特徴
・白色ニット帽、黒色ロングコートの男性
こう言っては何ですが、ニュースとしてはホッといたします。
男根は落鮎のごと垂れにけり(金子兜太)
(読書)
「三年坂にまつわる俗言(一部抜き書き) - 横関英一」中公文庫 江戸の坂東京の坂 から
《三年坂と呼ぶ江戸時代の坂が、旧東京市内に六ヵ所ばかりある。いずれも寺院、墓地のそば、または、そこからそれらが見えるところの坂である。
三年坂はときどき三念坂とも書く。昔、この坂で転んだものは、三年のうちに死ぬというばからしい迷信があった。お寺の境内でころんだものは、すぐにその土を三度なめなければならない。もちろん土をなめるまねをすればよいのであるが、わたくしたちも子供のころ、叔母などによくやらされたものである。それをしないと三年の内に死ぬのだと、そのときいつもきかされたものだ。坂はころびやすい場所であるので、お寺のそばの坂は、とくに人々によって用心された。こうした坂が三年坂と呼ばれたのである。》
迷信ならよいが、医者から余命三年の宣告を受けて諦めの境地に達することが出来るのだろうか?五段階説では諦めがつくらしいが?
でも、諦めがつかなくてもやはり死ぬのだ。
西行も、兼好も、宣長もみんな死や死後について詠っているが、怖いと思っていたのだろうか?
願わくは花の下にて春死なむ
その如月の望月のころ(西行)
は死ぬ十年以上も前に詠まれたと知りました。