(巻二十四)今日のやうな明日でありたき寒夕焼(日下節子)
2月23日日曜日
この句を書き留めた頃はそう言う心境だったのだろう。
今日は木枯しだが南コースで生協へ向かう。イートインはやめておいた。
命により、併設されているドラッグストアを偵察した。もちろんマスクはないが、ウェット・ティッシュは携帯用の小型包装のものはまだありました。ただしお一人一点です。お尻拭きティッシュもまだありました。
コンビニの珈琲を店先でいただく。風の来ないところなら、外も悪くない陽気である。
「東スポ伝説と十九世紀パリ ー 高橋源一郎」朝日文芸文庫 文学じゃないかもしれない症候群 から
を読んでみた。著者はラジオのパーソナリティをやっているらしい。細君は源ちゃんが源ちゃんがとよく聴いているようだ。ラジオではラジオに合ったことを話すのだろう。書くとなるとやはり難しいことを書いている。とにかく粘って読んでいます。
《 「人間が最後にかかる病、それは希望だ」という名言に倣うなら、日本のサラリーマンが最後にかかる病、それは「東スポ伝説」なのである。
『東スポ伝説』(ピンポイント)は「東スポ」の一面を飾った見出しを五十本集め、それを解説した本である。航空機事故が起こっても、「マドンナ痔だった?」という巨大な活字である。原発事故が起こっても一面を飾るのは「人面魚重体脱す」という「緊急速報」である。だから、株価が暴落してもやはり一面は「フセイン米軍にインチキ大作戦」なのである。統一地方選挙で社会党が惨敗しようと、エリツィンがロシア共和国の大統領になろうと、一面は「ダイアナ妃大胆乳」でなければならないのだ。「東スポ」は巨大な活字を使って、ただ人をおちょくっているだけなのだろうか(その可能性はそうとう高いが)。『東スポ伝説』の解説者は「東スポ」は「一応、新聞ではあるが、『報道』には主眼を置かない、という革命的な発想」によって「旧態依然とした新聞ジャーナリズムの世界に風穴を開け、活路を切り開いた」と説明しているが、この「東スポ」的「報道」は実は「革命的な発想」などではなかった。「東スポ」的なるものは、いや、現代的なことばの全ては十九世紀のパリに存在していたのである。 》
ニュースと云うものの八割以上が悪いことを、不安にさせることを、不愉快にさせることである。
これは人類がその起源から生き延びて行くために心配性に創造されたことによるらしい。つまり心配して不安がる人間の習性が悪いニュースを求めるそうだ。
日本が壊れる不安春夕焼(藤井賢太郎)
スポーツ新聞の方がその点では罪は少ない。もっとも、スポーツ新聞の方は大本営発表みたいな記事を平気で載せるきらいがある。何ゲーム離されていても優勝のチャンスがあるように書くし、金メダルなんかバンバン取れるように書く。
昼食と夕飯は細君と向かい合わせでいただくのだが、そのときにラジオで正午と六時のニュースを聞くことになる。幸い今日はネットバンキングの故障がトップニュースで食事が喉を通った。
悪いニュースを聞けば滅入る。
長く生きているとろくなことはない。
だが、死は怖い。