偉大な哀しさ
まず六月二十四日のテレビ報道番組は美空ひばりの死にかかわりのあることだ。その日のテレビによれば、間質性肺炎による呼吸不全で死んだと病院の医者から発表された。ほんとは、これでは晩年の美空ひばりが繰り返していた入退院と、体調の不全、脚の大腿骨の壊疽症などと報道されていた症状と、そのあげくの衰弱や病院での最後の死の説明にはならない。彼女の死についてありきたりの説明に左右されない死にいたる病の解釈をやっていたのは、竹中労だった。竹中労の解釈は、たしか薬物による肝臓障害から、それが重症になって肝臓癌にいたり最後の入院をよぎなくされて、死にいたったにちがいないというものだった。では薬物とは何をさしているのか。麻薬とか覚醒剤のようなものが、想定されているようにおもわれた。わたしはこの竹中労の推測と解釈を新聞で読んで当たらないとしても遠くないのではないかとおもった。ただ薬物というのを副腎皮質ホルモンのたぐいではないかとおもった。大腿骨の壊疽のたぐいは、それによって生じた副作用なのではないかと推測をたくましくしたのである。
わたしは美空ひばりがはじめて出現したとき、歌のうまい、早熟な、無理に大人びた歌を歌謡界からおし着せられ、それに近親(母親)が迎合して、わが児に演じさせている哀れな少女歌手のようにおもってきた。ことにステージママを演じている庶民のおかみさんふうの風貌をした、利にさといような母親とコミでいる彼女は、不快で仕方がないとおもった。わが子を「お嬢が・・・・・・」などと、いけしゃあしゃあと呼ぶ感性も嫌悪をもよおした。あの母親さえそばにいなければ、天才的な少女歌手なのになあ、というのが長い間いだいてきた感想だった。そしてそのひとまわり外がわに、ぐれたような肉親の弟などがたかりのように出没して、やくざふうの事件をおこしたりする構図もひどいものだった。
これらの近親にとりまかれた構図は、貧しい庶民の芸能者や小経営者のまわりにいつも作りだされるもので、それ自体は致し方のない同情すべき構図だともいえる。だが嫌悪をもよおさせる構図であることもどうすることもできないのだ。
ところで死にいたるまでの晩年の五、六年のあいだにテレビに登場してくる美空ひばりの歌を聴くことがときどきあった。三人娘といわれた江利チエミと雪村いづみと比べると、もう何かが決定的にちがっていた。江利チエミや雪村いづみのジャズ調やソウル調の歌は、やはり天才的なうまさがあっても模倣のたくみさをでることができない。こころの色合いをどこでどう歌声に入れたらいいのかを把みきれなかったのではないか。そのために実生活上の破れ(結婚や離婚のいざこざ)があると、その都度持続する歌唱の意志も破れやすくなっていた。美空ひばりはじぶんの結婚や離婚の生活、近親がまきおこす刑事事件や民事事件や家族生活の波瀾があっても、歌う能力を修練することはいつも持続されているとおもわせるものがあった。江利チエミや雪村いづみにくらべると晩年になればなるほど、才能が正統さの道をたどっているなという印象を与え、格差のひらきを感じさせた。
正確に何年まえの何月ということができないが、こんな時期からだったとおもう。この歌手は身辺にどんな不協和音や雑音がつきまとっても、その歌唱の高さと成熟度をそこなわれることはないと信じられるようにおもえた。クラシックの歌手の世界でも、ニューミュージックの歌い手の世界でも、ジャズやヨーロッパ調の歌唱の世界でも、美空ひばりに匹敵できる歌手は、まったく存在しないとおもえた。才能や素質もあったろうが、ここまで歌唱の修練をやってみせた歌手は、それまでほかにいなかったのだとおもう。美空ひばりの歌は、そのまんま日本語で歌っても、アメリカやヨーロッパはもちろんのこと世界じゅうどこでも、即座に通じ、その感銘の度合いは世界的なレベルにあることを、どこででも示すことができたにちがいない。こんなことが成り立つ存在は、芸術や芸能その他のほかの分野では、わが国でほとんどひとりも数えあげることができない。模倣によって国際的だといえるものが少数いるだけだとおもう。こんなことは、ほんとはどうでもいいことだ。芸能家も芸術家も、どんなに他人の評価をもとめたり、評価を拒否したりしても、ほんとはただ表現したいという無意識だけが、その必然なのだといえる。子どものときから歌うことで肉親の生活を支えたい、金銭を得たいとひたすらおもってきた美空ひばりでも、その歌唱を偉大にしているのは歌いあげたいという無意識だということは疑い得ない。それがなければ得たいとおもうものを手にいれたあと、修練の必要などなかったはずだ。だが彼女は疲労しても、生活の心労がどんなに重なっても、修練を手放すことがなかったと推測する。これはほんとの天才だけが演ずる悲劇なのだ。彼女の死にはこの悲劇の影があった。
美空ひばりの歌で好きなのをあげろといわれれば、すぐに「越後獅子の歌」と「柔」がおもいうかぶ。「越後獅子の歌」の「笛にうかれて逆立ちすれば 山が見えます ふるさとの」という歌には、美空ひばりの自伝を感ずる。べつに「身なし子」ではなかったろうが、角兵衛獅子のように幼ないときから唱う芸をきびしく仕込まれ、嫌でも疲れても、 眠たくても舞台を要請されたにちがいない。憐れで哀しい女児としての自伝がこの歌には象徴されている。これと反対に「柔」には男児として気を張って世間にむかわざるを得なかった彼女の自伝がふくまれている。わたしの印象では成熟し、歌唱を大成したあとの美空ひばりは「越後獅子の歌」をあまり唱わなかった。憐れで哀しい女児である自伝をことさらかきたてる必要はもうないし、思い出したくもなかったのかもしれない。だが「柔」 のほうは大歌手になってからもよく唱っていた。一種のゆとりある、そしてかなり慣れきってすでに「勝つと思うな 思えば負けよ 負けてもともと」という歌詞に、まともに気を入れるのが照れくさいような笑みを表情にうかべながら「奥に生きてる 柔の夢が」のところを唱った。半ばまだ男児に変身して気を張った自伝が生きていても、もう半ばはそんな次元での自伝は無意味になっていたのだとおもう。
わたしが好き嫌いとはべつに、いい歌だとおもったのは「ひばりの佐渡情話」だった。 遠東(ファ・イースト)のヤポネシアに流布されている歌謡の、いちばんの特徴はメロディが分節化し、つぎに言語化して、歌詞の文句と二重になっていることだ。二重化はたがいに補完する関係におかれたり、まったく別々の意味を語って、孤立しているようにおもわれたりすることもある。これは言語でさえ音譜化し、メロディにひきこんでしまう西欧の声楽とまるで反対のようにおもえる。「ひばりの佐渡情話」のなかで、美空ひばりはこのヤポネシア的な歌謡の特徴を、じつに見事に唱ってみせた。彼女がこの歌でノドを細くしながら楽譜の声をひきのばし、メロディを分節化してたくさんの波形をつくり、ある部分は迫るように、ある部分は遠ざかるように言語化して唱うとき、ヤポネシアの歌謡の特徴は最大限に発揮されるようにおもわれ、聴きほれるおもいにさせられた。歌詞の区切りと区切りのあいだの、言葉としてはどんな意味も途切れてしまっている箇所を、彼女の声のメロディはまるで言葉で訴えているのとおなじように、嫋々とした生命の糸をたぐりよせていた。この歌唱の力能が、世界普遍性をもたないはずがないというところまで、その力量は到達していた。