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「まず百万円から ー 荻原魚雷」日常学事始 から

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「まず百万円から ー 荻原魚雷」日常学事始 から

 四月、新生活のはじまり――もし新社会人にアドバイスするなら「身の丈に合った金銭感覚は大事ですよ」といいたい。
この十年、二十年のあいだに、お金の問題で仕事をやめていく同世代の同業者をたくさん見てきた。才能はあっても、金銭感覚がいいかげんだと長続きしない。というか、続けられない。
お金があれば、できることもあるし、やらなくてもすむことがたくさんある。
わたしはずっとそういう現実を直視せずに生きてきた。
「「ニッポン社会」入門」(NHK生活人新書)や「新「ニッポン社会」入門」(三賢社)などの著作で知られるコリン・ジョイスは、「ニューズウィーク日本版」のホームページの「Edge of Europe)
で「中古ショップで見える「貧困」の真実」というコラムを書いている。
「僕が基本的には「ミコーバー派」だということ。ミコーパーはチャールズ・ディケンズの小説 『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物で、幸福とは収入より支出を小さくすることであり、不幸とはその反対だ、と明確に説いている」
――――幸福とは収入より支出を小さくすること。
そういう意味では、今のわたしはすっかり「ミコーバー派」である。
安く買えるものは安く買う。ただし、安物買いの銭失いにならないように気をつける。
収入が少ないときには慎ましい生活を送り、すこし余裕のあるときも贅沢は控える。単なるケチではないかといわれたら、反論できない。
なるべく無駄遣いをせず、なければないですませるのは生活の知恵でもある。それに「すこし足りない」「すこし不便」というのは工夫のしがいがあって楽しい。
お金がないと、お金のことばかり考えてしまう。貧すれば鈍する。心も狭くなる。
お金の心配をしないですむようにしたい。そのためには多少の蓄えも必要である。
わたしは日々の倹約はできても、貯金をする余裕と発想がなかった。
三十代半ばくらいになって、さすがにこのままではいけないとおもうようになった。金銭感覚がアバウトな知人の多くは、いざとなったら「かじれるスネ」があるという現実を知ったからだ。
それでお金に関する本を読んで勉強した。
邱永漢著「お金持ちになれる人」(ちくまプリマー新書)には、「お金持ちになるためには欲しい物は何でも買ってしまう気持ちを抑えられるように自分を訓練する必要があります」とある。
お金持ちになれるかどうかはさておき、貯金ができないのは、欲しい物を買わずにガマンする訓練が不足しているからだ。
そして邱永漢は「まず百万円を貯めろ」と助言している。百万円に到達するまでは大変だが、いちど目標を達成すると、百万円を二倍、三倍にするのは楽になるとも・・・・
「百万円を貯めるということは、一枚一枚の一万円札を百枚集めたというだけのことではありません。それは百万円という一塊りになったお金で物や人や知恵を動かす力を身につけたということなのです」
邱永漢の本には「百万円があなたの思想を変える」と書いてある。ほんとうに変わるのか確かめてみたい。一度でいいから百万円を貯めてみようとおもった。
「百万円という一塊り」を作ることは、その方法を学ぶことでもある。
いちばん堅実なのは「収入より支出を小さくすること」だ。
不要な支出を抑え、毎月すこしずつ貯金する。欲しい物があっても、目標額に届くまではガマンする。「どうしても欲しければ、百万円貯めてから買えばいい」と自分に言い聞かせる。
ほぼゼロだった貯金残高が七桁になったときはものすごく達成感があった。百万円貯まったら、 それを崩したくなくなる。「百万円という一塊り」を作る苦労を経験したことで金銭感覚は変わった。
「若いころは貯金なんかせずに、自分に投資しろ」という意見もある。わたしもその意見には半ば賛成である。そうしてきた自負もある。
でも今は自分への投資は「百万円という一塊り」を作る経験をして、金銭感覚を身につけた後でも遅くはないとおもっている。
たぶん、そのほうが幸福になる。

 

 

 

 


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