「塾と学校の亀裂 ー 筒井康隆」やつあたり文化論 から
点Cを通る線分ABがある。
直線の一方の端に、つまりAに、日本人が立っている。 このAという場所の居心地が悪いと、彼はたちまちBへ移動する。いつC点を通過したのかわからぬくらいの速度で、 極端から極端へと移動するのである。
日本人には限らないが、親というものは自分の子供に。 過剰な期待をかける。偉くなるに違いないと思って、能力以上の成績を求める。
もし自分が期待した通りの成績を子供があげたかった場合、これは特に日本人に多いと思うが、たちまちげっそりし投げやりになってしまう。
「あり、やっぱりこいつ、親に似てバカだわー」
ちやほやすることはもちろん、家庭での教育さえやめてしまい、子供を馬鹿呼ばわりする。一方、つきはなされた子供はびっくりし、やがて自分は馬鹿だと思いこんで勉強をしなくなる。時にはふてくされてグレたりもする。
一時、誰もかれもが自分の子供に天才教育をしようと、いささかヒステリックになっていたようだ。塾に通わせ、 PTAに出席して教師にあれこれ注文をつけ、学校の成績が悪いと教師を吊るしあげたり、ひどい時にはあの教師をやめさせろなどと運動したりしていた。むろん今だって、 こういう人は一部にいる。
イソップの、あまり一般に知られていない寓話でこんな話がある。
タヌキのおかあさんが自慢そうにいった。「わたし、五匹も仔を生みましたのよ」
ブタのおかあさんがこれを聞き、負けずにいった。「あら、わたしなんかこのあいだ、十匹も生んだんですよ」
タヌキのおかあさんとブタのおかあさんは、それではいったい、あのライオンはどれくらい仔を生むのかしらと思い、ライオンのおかあさんのところへ出かけた。ところがライオンのおかあさんは、たった一匹しか仔を生んでいなかった。
「あらあ。たった一匹ですかあ」
ライオンのおかあさんは、笑っていった。「ええ。でも、 たった一匹だって、ライオンの仔はライオンの仔なんですよ」
つまりライオンの仔は、タヌキやブタの仔よりも偉いのだぞといっているわけである。ぼくはこの寓話はライオンが不遜に思え、好きになれない。ライオンが自分の仔を自慢できるのなら、タヌキやブタだって、これはタヌキの仔です、これはブタの仔ですといって自慢できる筈だからである。
人間だって同様である。頭の良し悪しだけで人間の値打ちは決まらない。それどころか最近では、頭の良い悪人がふえてきている。
それなのに一時、タヌキやブタのおかあさんが、すべて自分たちの子供をライオンの仔として育てようと躍起になっていた。タヌキやブタが社会にとってどれだけ重要で、 価値があるかを考えようとせず、ただただライオンに成長してくれればそれでよいと、ひたすら願っていた。そこで、 いい大学へ入れることを売りものにした名門の私立高・ 中・小学校というのが出現した。
ところが数年前からの不況でインフレが起り、学費が値あがりしはじめた。いい大学へ入るための名門私立高・ 中・小学校に通学させることを、一般サラリーマンの家庭では、あきらめざるを得なくなってきた。
私立校へ通学させるほどの余裕はないが、それでもなんとかして子供をいい大学へやらせたくて、多少の余裕があるという親は、子供を公立校へ通わせながらも、目玉のとび出そうな高額の月謝を無理して払い、塾へ通わせている。
しかし、子供を塾へさえ通わせる余裕のない家庭というのはいっぱいある。その結果、名門校や塾へ行っている子供と、行っていない子供との学力差がはなはだしくなってきたのである。名門私立校ではクラスの全員がだいたい同じ水準にあるから教師も教えやすい。問題は公立の学校である。
ぼくの家の近くの公立小学校のあるタラスでは、塾へ行っている子供は学校の授業があまりにも遅れているのでもはや問題にもせず、一方、塾へ行っていない子供は、ただへ行かせていないからという理由だけですでに親からも見はなされているため、授業について行けない。教師としては公立校としてのタテマエ上遅れている側の子供に調子を合わせてやらなければならないので、クラス全体の授業内容は決められた課程よりもだいぶ遅れることになる。ある学科など、一学年の間に教科書の上下二巻をやらなければならないところ、結局上巻だけしかやれなかったという有様であったという。困りますなあ。
なあに、それでいいではないか、昔に戻ったんだよ、ライオンの仔はライオンの仔、タヌキの仔はタヌキの仔、学力差があるのは当然でしょうという言いかたもできるかもしれない。
だが、ちょっと待っていただきたい。極端から極端へ走る日本人が、自分の子供の教育を学校にまかせっきりにしてしまった、つまり親としての教育の努力を放棄してしまった原因は、自分の子がタヌキやブタであることを確認したからではなく、前述の如く、単に名門校や塾へ通わせることができないからなのだ。つまり彼らには、名門校に通わせない限りライオンにはなれないという幻想みたいなものがあるのだ。
ところが問題は、名門校や塾に通わせてもらえなかった子供の中にだってライオンの仔がいるということである。 こういう子供はどうなるのか。親が教育の努力を放棄したため自らも勉強することをしなかったライオンの仔がある日眼覚めたとしても、今の学歴社会ではライオンになれないのだ。こういう子供はたいてい不良化する。不良化する子供は、決まって頭のいいやつなのだ。困りますなあ。
(「太陽」昭和五十年三月号)