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「料理再入門 ー 三浦哲哉」みすず書房 食べたくなる本 から

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「料理再入門 ー 三浦哲哉」みすず書房食べたくなる本 から

かつお節削りを削れ」

海外から日本に戻り、食文化全般への関心にあらためて目覚めたと述べたが、そのとき私は大学院生で、金は見事になかったが、さいわいに時間ばかりはあり、そこでもう一度きちんと家で料理をしなおそうと決意した。
そのとき手に取って衝撃を受け、自分の台所生活における一つの原点となった本がある。 丸元淑生の「家庭の魚料理」である。今回はこの本との出会いについて書きたい。 
丸元の存在は、それ以前から知ってはいた。大学の学部生のとき、私から見て一番、料理のうまいやつが使っていたのが、丸元の本だったのだ。「料理のうまい」というだけでは、曖昧でわかりづらいかもしれない。凝ったことをする、ということでもないし、洗練されたものを出す、というのでもない。なんというのか、自分のしていることに異様なほど確信があり、無駄と思われることは一切しない。調理は手早く、理路整然としていて、ややぶっきらぼうではあるが素材の持ち味が生きた、慈味ぶかい皿が出てくる。おおげさにいえば、なにか私たちが持つのとは決定的に違う料理哲学がその
背景にあるのでは、と思わされた。
その友人の顔も思い出しつつ、そういえば、と思って、丸元の本をいくつか購入したのだった。そして、実践してみて、ものの見事に深く感化されることになったのだ。いま冷静に読み直すと、丸元の主張にはかなり極端なところがあるのだけれど、その極端さも、若い私にはとても魅力的に思われた。自分が求めていたのはこれだ、というような心の昂ぶりさえあったことをはっきり覚えている。 そういう意味では、私にとって青春の料理書と言えるかもしれない。
丸元の書物の基本にある姿勢はとてもシンプルなものだ。素材を生かすこと。そのための最も合理的な調理をすること。栄養学の成果を取りいれて、有用ではない習慣を捨てること。便利な調理器具を積極的に使うこと。きわめて真っ当である。ただし、その徹底のしかたが半端ではなく、ほとんど異様の域にまで突き抜けるのだ。
これは『家庭の魚料理』ではなく、『丸元淑生のシンプル料理』というムック本に書かれていたことだが、家庭料理のシステムを確立するためには、まず、ベースになるだしを正しく引かねばならず、 そのためにはかつお節削り器を使わなければならず、さらに、そのかつお節削りを自分の家できちっとメンテナンスしなければならない(薄く削れないとだめだから)、と丸元は説く。具体的には、かつお節削りの刃を自分で研ぎ、かつお節をすべらせる木の部分がまっすぐに保たれるようカンナで削るのが理想だと言うのだ。つまり、丸元の教えは、「かつお節削りを削れ」にまで行き着く。 
このほとんど不条理なほどの、原理へのこだわり。たぶん読者の九割五分はここでばかばかしくなって読むのをやめるのだと思うが、私は逆に興味を惹かれ、そこまで言うなら一度とことん付き合っ
てみようと思ったのだ。実際、かつお節削りを買って、その刃を研ぐということもしてみた(あとで研ぎ屋さんに出したら、まちがった研ぎ方をしたので歪んでいますと言われた。難易度が高いのだ)。暇でなければできなかったことだ。

「勇者」への呼びかけ

かつお節削りを削れ」はほんの一例で、すべてをとことんまで突き詰めなければ気がすまないのが丸元だから、そのメソッドは、しばしば一般家庭の調理の常識を大胆に踏み越え、ほとんど奇矯とも思われる営み(後述する)になってゆくのだが、それでも本人は一切ひるまず、ひたすら我が道を進む。孤独な発明家、というよりいっそマッド・サイエンティストと呼びたくなるときもある。
そのキャリアを簡単に振り返っておこう。一九三四年に大分で生まれ、東京での雑誌編集および小説家としてのキャリアを経て、やがて料理をめぐる著述活動に専念する。アメリカ西海岸で生まれていた新しい食文化や栄養学の動向を踏まえ、日本の郷土料理の伝統とも組み合わせながら、独特の 「丸元メソッド」というべき方法を確立させる。とくに晩年の著作では健康志向にかなり傾斜し、批判も受けた。「トンデモ」のレッテルを貼る者もいるし、それは理由のないことではない。この点についても後述しよう。二〇〇八年に亡くなっている。
講談社から一九九九年に出版された『家庭の魚料理」は、彼が魚料理についての年来の探求の成果をまとめたものである。そして、この本の過激さに、私はたちまち魅了されることになった。まずそのまえがきからして、異様な気配が濃厚に漂っている。

料理屋が魚市場で魚を仕入れて料理をこしらえるのと異なり、生活者が生活空間の中で魚を買って魚料理を作る場合には、前もって何を作ろうと決めてかかることはできません。現在の大都市では魚屋(デパート、スーパーマーケット)に行っても目的の魚があることは少なく、ないことのほうが多いからです。鮮度のよくないものならありますが、そういうもので無理に魚料理は作るべきでないという考えで、この本は貫かれています。 

このように現状への痛烈なダメ出しから入る。海から遠い都市の、ということであるが、それにしても容赦がない。スーパー等の魚屋は新鮮な魚を、ごく限られた種類をのぞいて置いていないという事実が確認され、それが本書の前提となる。そして、新鮮でない魚で料理はできない、という次の断定がなされる。これは類書では考えられないことだ(例外は辰巳芳子ぐらいか)。全国の、海から遠い者も近い者も等しく想定読者とされるのがふつうだからだ。レシピ本の最初に、新鮮な素材がないなら魚料理は無理にしなくてよい、などと書かれるのは異常事態だろう。とはいえ、丸元もこんなふうに前置きすることの無理を承知していないではない。文章はこうつづく。

デパートやスーパーマーケットでしか魚が買えなくなった都市生活者が毎日の料理(たまの料理ではありません)を魚で組み立てようとすると、大変な苦労を味わいます。鮮度のよいものを捜して買って帰っただけで、料理に向けるエネルギーのほとんどを使い果たしてしまっているというのが現実です。
しかし、一〇〇のエネルギーのうちの九九を使ってしまった人が台所に立てるでしょうか?私なら立つことができずに台所のシングの前の床に倒れます。それでもやがては立ち上がって料理を始めるでしょう。だが、それが毎日つづいたら? 私はもはや立ち上がることができないと思います。それは考えただけでも実に苦しい現実です。魚料理が家庭から姿を消していくのは当然でしょう。 その苦しい現実の中で家族と自分自身のために台所に立っている人を、私は心から尊歌します。 そういう人こそが現代の真の勇者だと思いますが、この本は勇者が持つ一のエネルギーを一〇にすることを目指しました。本当に役に立つよい料理書があれば、魚の料理は少ないエネルギーで短時間においしくできるのです。

「真の勇者」と丸元は言う。一体なにごとだろうと、やはり滑稽さの印象を抱かれかねないところなのだが、しかしこれこそが丸元調だ。ちなみに新鮮な魚というのは、丸元の定義によれば、死後硬直がまだ解かれていない状態のことを指す。そして、そんなものは、まさに丸元の言うとおり、スーパーやデパートにはほとんど置いていない。だが、それを捜してこいと、この「まえがき」は求める。 この無理難題をクリアすることのつらさは全身で表現されている(「シンクの前に倒れます」)。そして読者が、ようやく新鮮な魚を手に入れることができた場合、その貴重な素材を最大限に活用する方法を説くのが本書ということなのだ。


最小加熱の煮魚

 

さて、とびきりの鮮魚が入手できたら、いよいよ調理ということになるのだが、そのアプローチのしかたも、丸元流は、類書とまったくちがうスタンスで書かれている。
たとえば「煮魚」をどのように作ればいいか。一般に教えられる手順はだいたいこのようなものだ。 沸騰した湯にくぐらせるなどして、魚の臭みを取る。残ったうろこや汚れも流水で洗い流す。つぎに、 砂糖と醤油と酒とみりんなどを混合した煮汁を作り、そこに魚を入れて、こっくりと甘辛に煮上げる。 コツとしては、魚の臭みを抑えるために、煮汁が完全に沸騰してから入れることとか、しょうがやねぎやごぼうなどの香味野菜を用いること、などと書かれているかもしれない。
丸元の場合、煮魚作りの方針は、外から入れる味と加熱を最小限に抑えることである。具体的な手順を要約しよう。まず、用いる器具はふた付きの鍋。ふたと鍋の間が密閉されるビタクラフト社のものを丸元は強く推奨する(積極的に宣伝を買ってでてもいる)。その鍋に、うろこなどを取った魚を入れて、 上から酒と少量の醤油を注ぎ、ふたをして、ひたすらごく弱火で加熱をつづける。そうすると魚からも水分が出て煮汁となる。その汁の味を油で調整して完成。

この方法ならば、だれでもすぐにおいしく魚を煮ることができる。(・・・)この調理法では魚の身の大部分は、蒸されて熱変性していく。つまり水蒸気で蒸されるわけで、一〇〇℃より低い九〇 ℃くらいの温度でたんぱく質は変性するわけで、加熱調理した場合、その温度で変性が進むと魚の身は最もうま味を出す。だから、かれいはかれい、めばるはめばるの味を味わうことができる。
従来の煮魚の甘辛の味では、かれいもめばるもほとんど同じ味になってしまうが、その味とは大きく異なることは、実際蒸し煮にしてみればよくわかる。そして、このほうがはるかにおいしいことはいうまでもない。 

ほとんどぶっきらぼうな、曖昧さを徹底して排した書き方もまた丸元的なのだが、とりわけ「九○ ℃」という数字が説得的だ。『丸元淑生のクック・ブック』によれば、密閉式の鍋(いわゆる無水鍋) による水蒸気加熱の方法を、彼はアメリカの栄養学者バーナード・ジェンセンの著作から一九七〇年代に学んだのだという。この煮魚のレシピは、それを日本の家庭の魚料理に応用した成果なのだ。
私も実際、言われたとおりにこれをやってみたのだが(それに先立ちビタクラフト鍋も奮発して買った)、たしかに、おお〜という感動を覚えた。なにが「おお~」だったのかというと、まず、「いままで自分が食べていたものはなんだったの」というかんじがしたのだと思う。煮魚と言えば、醤油と砂糖の甘辛味、というのは自分が生まれ育った実家の常識でもあり、それ以外の調理法など思いもよらなかった。それが見事に覆されて驚いたのだ。おいしい、というだけでなく、別種のおいしさがそこにはあった。たしかに、こういうミニマルな調理に用いることのできるレベルの鮮魚を入手するのは困難ではあるが、その苦労をする価値はあるし、それでこそ「勇者」というものではないか、などと、私は独りごちていたかもしれない。まんまと折伏されたというわけだ。

中央線で買う小田原のさば

こうして「家庭の魚料理」をわが指南書とすることになったのだが、しかし、すぐ璧に突き当たることになる。当たり前のことだが、すばらしい鮮度の魚がそうそう手に入るわけはないことに気づかされたのだ。微妙な鮮度の魚で丸元の教えるミニマル・クッキングをしてみても、まったく感動は得られない。逆に、しっかり甘辛い煮汁を足す従来の調理法が、漁港近くの恵まれた土地に住むのではない者にとって、いかに理に適ったものだったかが痛感されてくる。だが、そこで諦めるのはいかにも残念だったので、当時、住んでいた、中央線沿線のアパートの周囲の魚屋を、それこそしらみつぶしに見てまわった。その結果、幸運なことに、第二の出会いを得ることができた。 
場所は中央線のとある駅前からすこし歩いたところ。さいわいに自宅からの自転車圏内だったのだが、そこにこの魚屋はあった。小売りもしているようなのだが、基本的には飲食店への卸売りが中心のようで、いかにも入りづらいかんじだった。だが、びんと来るものがあり、勇気を出して重い扉を
開く。
話し好きの店主から何度かに分けて開くことになったのは、およそこのようなことだった。その店では、毎朝、小田原の漁港で、その日に揚がったばかりの魚を仕入れ、持ち運んできて売っている。 かつては築地で商売をしていたものの、そこで目にした魚の流通体制一般に違和感を覚えて、なるべくダイレクトに海から消費者へと魚を届けるための独立したルートを作ろうと考えた。築地は集積基地なので、基本的には前日に地方で競られた魚が集められ、その翌日に再度、現られ、小売り店に運ばれることになる。だから、最低でも一日のタイムロスが出るし、マージンが発生して値段が上がる。極上のものはそのあいだに一部の高級店に独占されてしまう。この魚屋では、どれという最高鮮度の魚を売る。大量に獲れる旬を迎えた魚種に関しては、充分、毎日使える範囲の価格に収まっている。 このようなタイプの魚屋は都内に数えるほどしかないのだという。たとえば小田原と都内を往復するためには、毎朝かなり早く店を出発しなければならないなど(なんと午前二時半)、維持するために莫大な労力がかかるからだ。以上が、店主の言の要約である。
このような話を聞かされたとき、「勇者」たちを導く「賢者」と言うべきか、まさに出会うべき方に出会ったという、渡りに船の心境であった。
そして、「家庭の魚料理」を座右に置き、この魚屋でとびきり新鮮な魚介を購入する生活が始まるのだった。その初期、一本の朝どれのごまさばを割いたときの衝撃が忘れがたい。「そのまま同じ身で」と店主は勧めた。
出刃包丁でまず腹を切る。内臓が完全に原形をとどめていることに、はっと驚いた。さっきまで生きていた魚なのだから当たり前なのだが、これまで私が購入したことのある魚の場合、そうではなかった。外科医が患者の体にメスを入れるときもこんなふうだろうか、と思わず類推したくなるような感触だった。三枚におろし、柳刃で刺し身に引く。すこし醤油をつけて口に含むと、おおーという感動が押し寄せてきた。
死後硬直がいままさにはじまろうかという身の、こりっとする感触が独特だった。ごまさばは、まさばよりも脂が少ないので、全体としてはどこまでも軽快な味わい。なにより、古い青魚特有の臭みが完全にゼロであることに目を見開かされた。いままでなんだったか、という思いが、やはりここで
も去来した。
漁港の近くで暮らしているか、あるいは、釣りをする方ならば、新鮮なさばの味わいはよくご存知なのだろう。しかし、海からそれなりに遠い、東北の盆地で生まれ育った自分は、釣りもしないし、とれたての鮮魚を自分で捌いて食べるということをしたことはなかった。だから、これは本当に驚くべき味わいというほかなかった。それどころか、魚全般に対して持っていた先入見が根底から覆されたのだと思う。青魚のあの臭みはあって当たり前だと思っていたし、丸のまま売っている魚の内臓はかたちがくずれているのがふつうだと思っていた。しかし、そのような魚だけではなかった。そのつもりで探せば、ふと身近な場所でも、ごく新鮮な魚を入手することはありえたのだ。
この小田原の朝どれ鮮魚の店に日参するなかで、とくによく買ったのが、値段の手頃な青魚である。 熟成することで味わいが増す大型魚や、鯛などの白身とちがい、鮮度の良さがダイレクトに味に反映されるのがこれら青魚だ。さばもよく買い、そのまま刺し身で食べるほか、〆鯖にもした。自分好みの加減で作った手製の〆鯖の美味は、ひとを料理好きにする最良のきっかけの一つだと思う。 丸元は、さばの利用法について、次のように書いている。

さばを買うか買わないかは、しめさばにできる鮮度かどうかで判断すべきである。しめさばにできる鮮度ならば頭までストックに使えてよいだしが出るため、野菜スープに連動できる。そして、しめさばで食べきれなかった分は、そのまま干物になっていくから、少人数の家庭でも完全に無駄なく食べることができる。 

「ストック」というのは、保存もできる、スープ料理のペースのことで、つまりは、魚のあらでとっただしのことだが、ごく新鮮な魚を使うと、サリアで、すこぶるおいしい。さばの場合、とセロリの葉などとともに煮出すとよいと書かれている。また、玉を、ひたひたに張ったこのストップで甘くなるまで炊き、オープン皿に移してグリュイエール・チーズを乗せて焼くという、ややイレギュラーな丸元独自のオニオン・グラタン・スープの作り方も紹介されている。ひとに出すとたいてい不思議そうな顔をされるが、私はこの味わいにも素直に感動した。
それから「干物」。これも丸元メソッドの代名詞の一つで、ビチットという、こんぶなどの天然成分で作られた脱水シートを用いて、自家製の「干物」をこしらえることをこの本では推奨する。塩して、脱水シートに包んで冷蔵庫で寝かせるだけなのだが、この作り方の利点は酸化しないことである、と丸元は強調する。実際、 試してみると、簡単でおいしい。いわゆる「天日」や「浜の風」が良い干物の必須条件だという常識が覆されもするのだった。
料理する生活者の「一」の力を「一〇」にするというのは、魚のこのような多面展開のことを言う。 家庭でも新鮮な魚を丸のまま買って、自宅で処理するべきであると丸元は主張するのだが、それは数日間にわたって、刺身、スープ、そして干物等々として食べつづけられるからだ。
私は当時、夜勤のアルバイトをしていたので、仕事が終わった朝、この魚屋に行き、小田原の定置網に入るさまざまな魚を買って帰り、『家庭の魚料理』にならって調理する、ということを繰り返した。そういう日々が五年ほどつづいただろうか。思い返すにつけ、幸福な時間だった。シンプルなものほどおいしい、と主張する丸元による、魚の味わいについての描写には心に訴えるものがあった。 たとえばいわしについて。

とびきりの鮮度のいわしは、なんといっても刺身で食べたい。わずかの量を食べても滋養が全身に行きわたる思いがする。また、味が深くてひろがりがあり、その味のひだひだが細かく、きりっと立っており、食べるたびに私は、これこそまさに刺身の王者の感を新たにする。 

あまりに大げさで笑ってしまうのだが、こういう文を読んでは食べ、食べては読み、ということを繰り返した。出刃と柳刃を握り、さらには「ピチット」や「ビタクラフトのフライパン」を用意しては真っ昼間から魚料理に没頭する私の姿は、周囲から気味悪がられもしたのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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