「作家の運(結語抜書) ー デイヴィッド・ロッジ(高儀進 訳)」Writer’s Luck - A Memoir 1976-1991 David Lodge
この回想録を記した幸運と不運のバランスを考えてみると、幸運が不運に勝っているのは疑いない。それはもっぱら、偶然のタイミングの問題だった。わたしは、英国で純文学に勢いがあった時に、たまたま本格的に作家になった。当時の純文学は、わたしより若い新しい世代の小説家によって、また、新しい文学に対する読者を増やし、専業作家としての作家生活を可能にした、出版社と本の業界の起業家精神によって活気づいていた。それはやがて背伸びをし過ぎ、一九九七年の書籍再販制度の撤廃によってうまくいかなくなってしまった。いまや文学の世界の大部分の者が、それを重大な誤りだと見なしている。再販制度がなくなった結果、売り手の望むままに本を安く売ることができ
るようになり、権力はチェーンストアとスーパーマーケットに渡り、その二者は値引きをするよう出版社に圧力をかけ、作家の収入を減らし、供給過多の場合の苺の果物種のように、一つの値段で二つか三つ提供することによって、慈しむことのできる創造物としての本の価値を下げてしまった。コ
ミュニケーションにおけるデジタル革命と、とりわけアマゾンの台頭は(まず、値引きした本と電子
書籍の流通業者として、次に、自費出版の媒介者として)、新しい作品を一層安く手に入るようにし
たが、出版社とその著者の利益を減らした。英国にすぐに続き小売価格維持を撤廃したフランスは、撤廃が伝統的な書籍販売に壊滅的な影響をもたらしたのがわかると、早速元に戻したのは意味深い。それは、フランスでのわたしの読者が増えることに役立った。 英国でフルタイムの作家として生活するのはこれまででも容易ではなかったが、いまやそれは極度に難しい。定評のある作家でさえ、自分の作品に対して、これまでよりずっと少ない印税の前金を受け取るしかない。その結果、一九七〇年代に大学を出て間もなく専業作家として成功した多くの英国の作家は教職に戻り、収入の減少を、多くの大学やコレッジにある「創作」コースで教えることで補っている。そうした大学やコレッジでは、今では、この人気のある「創作」コースを提供し、それによって新しい作家志望者を次第に混み合う職業に送り出している。それは、わたしや、わたしの世代とその前の世代の作家(例えば、キングズリー・エイミスとジョン・ウェイン)の辿った道とは正反対である。そうした作家は、専業作家としてやっていける自信がつくまで、大学教という職業を主な収入源にしていた。この逆転は、時の経過と共に社会的、経済的状況が変化した結果だった。 振り返って見ると、わたしは自分の来し方になんの悔いもないし、一九三五年がわたしにとって、生まれるにはなかなか良い年だったことに疑念を抱いてもいない。