「刑法 自動車事故における過失の判断 - 名古屋大学教授斎藤彰子」法学教室 2024年3月号
名古屋高裁令和5年9月5日判決
■論点
被害者の動静に関する予見可能性の判断
〔参照条文〕自動車運転致死傷5条
【事件の概要】
本件事故の被害者Aは、自転車(以下「A車」という)で、信号機により交通整理の行われている交差点(以下「本件交差点」という)の北東と南東を結ぶ横断歩道の西端を、北から南に向かって走行中、同横断歩道を対向してきた歩行者集団(19名程)を避けるため、車道上を走行していたところ、本件交差点南側出口先の車道上(以下「本件車道」という)において、同一方向に進行してきた被告人運転の大型貨物自動車(以下「被告人車両」という)に接触、転倒したところを、同車左後輪で轢過される等して傷害を負った。
本件車道の通行可能な幅は3・8mで、幅約2・49mの被告人車両と幅約0・53mのA車が並走する場合には約0・8mの余裕しかなく、さらに、本件車道の東端には幅約0・5m以上にわたり雑草が繁茂しており、その真横を両車両が安全に並走することはおよそ不可能であった。また、本件車道東側歩道は、民家のブロック塀が迫っていて幅約2mと狭い上、歩道上に信号柱があって、歩行者や自転車が通行できる余地は限られていた。被告人は、本件事故当時、職業運転手として現場の道路を頻繁に走行しており、上述の道路状況を認識していた。また、被告人車両が走行していた道路は前方の見通しは良好であり、被告人車両は車高約3・4mで運転席も高く、前方の視認は良好である。
原審(第二次第1審:名古屋地判令和5・2・3)は、そもそも(1)検察官の主張する、A車が車道側に進出した地(時)点(以下「Y地点」という)や、その時点における被告人車両の位置などの、過失の有無を判断する前提事実について、「不確かな推論である」と断じた上で、(2)「仮に、検察官のいうような状況にあったにせよ、被告人は・・・、進路上の先行車両や横断歩道により多くの注意を払わなければならない状況にあったことからすれば、わきの横断歩道上を通過する歩行者や自転車の動静にまで逐一注意を払い、一瞬の進路変更をも見逃してはならないとするのは甚だ無理を強いるものであるし、その時点でA車が本件車道へ進入してくる可能性を予期し、急制動の措置を講じる義務があったということもできない」として、無罪を言い渡した。
【判旨】
〈破棄自判、有罪〉 (1)については、「前提の事実関係がはっきりしないとして、具体的な検討をすることなく予見可能性を否定した原判決の判断は、論理則等に照らしても不合理なものといわざるを得」ないとして、検察官の事実誤認の主張を容れ、(2)については、「A車がY地点に到着したとき、・・・A車は、・・・『進路上の先行車両』に当たる上、自転車は車道を進行するのが原則であり、A車が対向の歩行者集団の進行を妨げることになるとして、これを避けるために車道に進出したことは道路交通法規の原則に従ったものであり、本件交差点に進入しようとしていた被告人としては当然に予見すべきであったといえる」として予見可能性を肯定した上で、A車がY地点にあったときの被告人車両の速度が、原判決が指摘するとおり、時速約21kmであったことを前提とし、かつ被告人車両の過積載の状況を踏まえても、その停止距離は約8・83mであり、他方、A車がY地点にあったときの被告人車両の位置は、被告人に最も有利に認定した衝突地点の手前約29・28mないし28・12mであることから、「結果の回避が可能であったこともまた明らかである」と判示した。
【解説】
▲1 過失を違法要素と解するか責任要素と解するかにかかわらず、故意のない行為の処罰を正当化するためには、結果の予見可能性と回避可能性が必要であることに争いはない。いかに注意深く行動していたとしても、自分の行為から結果(犯罪事実)が発生する可能性があること、言い換えれば、自分の行為が結果をもたらす危険性を有する行為であることを認識し得ない場合、および、結果の予見が可能となった段階ではもはやその発生を回避することは不可能である場合には、結果の発生は不可抗力によるものであり、処罰してもおよそ犯罪予防効果は期待できないからである。
問題は、予見可能性であれ回避可能性であれ、それを判断する際に、前提としてどの程度の注意深さ、技能や知識を想定するかである。予見可能性については、一般論としては、本判決中でも述べられているように、「行為者と同じ立場にある通常人が行為者と同じ状況に置かれたとすれば結果等を予見することができるかを基準に判断すべき」とされているが、ここでの「通常人」とは、言うまでもなく、事実的概念(現実社会において事実として存在するありふれた人)ではなく、規範的概念(法の期待する注意深さ、技能、知識等を備えた人)である。
▲2 原審が、自車の進路上ではなくわきの横断歩道上の自転車等の動静にまで注意を払う注意深さは要求し得ないとしたのに対し、本判決は、A車の走行態様が道路交通法規の原則に従ったものであること等を理由に、「原判決の判断は、論理則等に照らしても不合理なもの」と断じた。
本判決によれば、被告人車両の運転席からの視認性は良く、A車および歩行者集団の動静は自ずから視界に入る位置関係にあったというのであるから、自動車の運転者に対して法が期待する注意深さの内容をなすものとして疑問の余地のない前方の注視を尽くしていさえすれば、A車が歩行者集団を避けるため車道上のY地点に進入したことに気付き、そうすると、被告人は本件交差点付近の道路状況を認識していた以上、A車がそのまま車道を走行するであろうことも容易に認識できたと言えよう。加えて、本判決が指摘する、A車の走行態様が道路交通法規の原則に従ったものであることも考慮すれば、歩行者集団を避けるため車道上に進入したA車が歩道に戻ることを信頼することは、法の期待する注意深さを
前提とすれば、許されまい。
▲ 本判決は過失の判断につき何か特別の判示をしているわけではないが、第1審の多分に疑問の残る判断に対し、犯罪論上ごく普通の考え方を明瞭に当てはめて事案に則した解決を示したものであり、過失犯の認定・判断を学ぶ格好の素材の一つと言えよう。