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「老年になる技術(抜書・順不同) - 曽野綾子」老年になる技術 から

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「老年になる技術(抜書・順不同) - 曽野綾子」老年になる技術 から

 

まだ生きていてもいい
青年時代と同じようではなくても、一応自分の身の回りのことは自分ででき、まだ自分の目標とする趣味や仕事があれば、どれだけ長生きしてもいい。そこまでいかなくても、とにかく自分の手で自分の口に食事を運ぶことができ、どうにか自分で排泄のための体の動きができれば、まだ生きていてもいい。しかしそれさえも不可能になった時、人は自然に生命を収束させるのが当然だ、と私は考えている。

 

孤独は想定内のこと
老年は、孤独と対峙しないといけない。孤独を見つめるということが最大の事業ですね。それをやらないと、多分人生が完成しないんですよ。つらいことですけど、そうだろうと思います。だから、孤独が来た時に、何でもないことではないんだけれども、これはいわば、予定されていた、コンピューターに組み込まれていたシナリオだと思おうとしています。

 

年を取る三つの特徴
一般的に言って年を取る意味は、すぐ目につくだけでもみっつの特徴がある。第一にそれほど一途ではなくなることだろう。
第二の特徴は、人間が次第に男女の関係だけではないという感覚を持つようになることだ。
第三の特徴は、年と共に運を信じるようになることである。努力が無意味というのではない。しかし努力だけで人生が開けるとも思わない。好きだと思った女と結婚することでいい人生を送る人も居るし、それが不運の原因になる人もいる。反対に本当に好きだった人には失恋し、大した情熱もなく結婚した相手が、大きな幸運をもたらしてくれることもある。そうした意外性を含めて、運があるから(或いはないから)従う他仕方がないだろう、と感じることが、老年の、或いは末期の眼の透明さというものなのだ。

 

仮初[かりそめ]に与えられているもの
私は幼稚園から大学まで、カトリックの学校で育ったのだが、そこでは常日頃、政府、社会、会社、親など、今仮初[かりそめ]に与えられているものの形態は、いつ取り上げられても仕方がないものだ、というふうに教えられたのである。
通俗的な世界にも、「いつまでもあると思うな親と金」という言葉があるのだそうだ。しかしそんな物質的なことだけではない。自分の健康も、もちろん年金も貯金も、愛も、親子の信頼も、必ずしも続くとは思わないで暮らす心構えの必要を教えられたのである。

 

平等なのは混沌とした空しい人生だけ
私たちは公平や平等を永遠の悲願とする。しかし誰にも公平に与えられているのは、この混沌とした空しい人生なのだ、と腰を据えて認識する時、却って私たちは落ち着いて、現世を楽しむことができるように思う。

 

ただの楽しみ
自分の価値観ができていれば、たいていの人が幸福になる。お金が乏しくなっても、おもしろいことを見つけられる。最近のような厳しい不景気の中でも、たとえば景色を眺めること、人とおもしろい会話をすること、などはただの楽しみなのである。

 

断念を知る時
人間にとって死は必要なことです。なぜなら-もし私が今のような感動をもって、もし永遠に生きるとしたら私は疲れすぎてしまいます。それと、これは昔からの私の持論だったように思いますが、人間は断念を知る時に、初めて平凡な力でも本質に立ち戻れるかも知れません。断念は芳香を持っています。哀しさがその香を強めるのでしょうか。老年も死も総てさ限りなく自然で、それだけに堂々と安定しています。そして、それよりもなおすばらしいのは、私たちのこの人生は未完であるということです。なぜなら人間の存在そのものが不完全なのですから、未完であり、何かを断念して死に至るということは人間の本性によく合っているのです。

 

老年の最期にしてはいけないこと
聖路加国際病院院長の日野原重明先生の講演をいつか伺ったことがある。私に充分な医学的知識がないので、先生のお話を正確に伝えられるかどうか心配なのだが、素人としてわかったことは、老年の最期にしてはいけないことが二つある、ということだった。
一つは点滴、一つは気管切開だという。点滴は、生体のバランスを失わせる。食べないなら食べないなりに、飲まないなら飲まないなりに、かなりひどい状態でも、何とかそこで辻褄を合わせて生きて行くようにする仕組みが人間にはあるのだが、それを強引に崩すのが点滴だという。
食べるという行為は、それができる限り、生体のメカニズムに自然に組みこまれる。しかし点滴をやると、「細胞が水浸しのようになって」(と私は記憶しているのだが、日野原先生はそんな表現はなさらなかったかもしれない)呼吸さえ苦しくなることがあるという。
気管切開は、最期の言葉を奪う。人間は死ぬまで、意思表示のできる状態でいなければならない、と先生はお話しになった。


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