(巻三十七)雑巾に下ろす手拭い一葉忌(福本直子)
6月4日日曜日
晴れ。朝家事は特になし。毛布、洗濯物を外干し。昼前に生協へお米ほかを買いに出かける。ヨレた野球帽のヨレた爺多し。
昼飯喰って、眠さに堪えられす座椅子を拡げて瞑想、その後一息入れたが、順番を変えると一息によくないようだ。一息に一苦労。
3時前に散歩に出た。トモちゃんを訪ねたが不在。図書館で『法学教室』ほかを返却。お稲荷さんに詣でてポックリを祈願し、コンちゃんに一袋。キャバ猫だからたま~に行く方が喜ぶようだ。毎日行くと“フン!”といった態度を見せる。稲荷の後は隣りの蓮光寺で御言葉を一撮。お寺の塀ぞいにある電柱に掲げてある水没警告も一撮。
台風や土手を信じて水の底(拙句)
今週は外飲みをしていないから里村とも思ったが、それほど飲みたいわけでもなく、Seven-Elevenで春巻&缶酎ハイと致した。春巻が更に短く細く軽くなったようだ。
そこから都住3へ回る。藤棚にフジちゃんが居て今日は逃げずにスナックをねだる。せっかく白いcoatを着ているのに身繕いが行き届いていないの非常に薄汚い。二袋。1号棟の階段にいたクロちゃんも今日は駆け降りてきた。首の回りを掻いて背中を撫でてやる。この季節、毛がワンサか抜ける。
最後にウエルシアに寄り、指示のあったトレペーと水取り象さんを買う。
桜通りを戻るとヘルパーさんと散歩の途中の上の階の爺さんがベンチに座ってペット茶を喫していた。軽くあいさつすると分かったようでニコリとした。婆さんより足腰はしっかりしていそうだが、お役には立てないのだろう。
帰宅して、今週の立替金を弾いた。12448円也。封筒にレシートを入れ、小銭552円を入れて封筒の表に計算書(メモ)を貼り付けた。
願い事-涅槃寂滅、長生きなんか望まない。ポックリ御陀仏でさっさとお願いします。。
太宰作品を読み始めたので、
「自虐のユーモア - 東海林さだお」文春文庫 青春の一冊 から
を読み返してみた。
追憶のぜひもなきわれ春の鳥(太宰治)
「自虐のユーモア - 東海林さだお」文春文庫 青春の一冊 から
その昔、新宿の紀伊国屋書店は二階建てだった。
いまから、二十年以上前のことである。
紀伊国屋が二階建てで、ぼくが二十代で、昭和が三十年代だった。
当時の紀伊国屋は、いまのように通りに面しておらず、通りからちょっと奥まったところに建っていた。
紀伊国屋に至る露地の両側には、祭りの露店のような小店が並んでいた。
その中の一軒にブロマイド屋があって、女学生がいつも群れていた記憶がある。
そして、いまとなっては想像もできないことなのだが、新宿駅から紀伊国屋に至る一帯は、人通りが少なかった。
本を読みながら歩いていけるほど、人通りが少なかったのである。
(そんなバカな)
と、いまの人は思うにちがいない。
大学に入った年、ぼくは新宿の紀伊国屋書店で立ち読みをしていた。何気なくあれこれ立ち読みしていて、偶然太宰治という人を発見した。
それまで、日本にそういう人がいることを知らなかったのである。
いまのように、太宰治の作品が教科書にのるということはまだなかった。
まだ無頼派としての評価が高かったころだったと思う。
何気なく読んでいて、たちまちひきこまれた。
数ページ読みすすんで、なぜか急に、
(こうしてはおられぬ)
という気持ちになった。
とるものもとりあえず、という気持ちになってレジに向かい、金を払い、読みかけたところに目を落としたまま店を出、本を開いたまま、新宿駅にむかったのである。
そして列車に乗った。
そのまま旅に出た、というわけではない。
わが家は八王子にあった。
新宿を出た列車は立川、八王子に止まる。
だから、通学に列車を利用する、ということもときどきあったのである。
学校帰りの午後三時ごろの列車はガラ空きで、読書には最適であった。
列車の中で読み続け、家に帰って読み続け、たちまち一冊を読み終えてしまった。
それから紀伊国屋書店通いが始まった。
紀伊国屋で二冊目を買い、そのまま歩きながら読み、列車で読み、自宅で読む、というパターンができあがった。
歩きながら読んだのは、列車に乗るまでの時間が待ち遠しかったからである。
買ったら一刻も早く、ページを開きたかった。
こうして、筑摩書房版『太宰治全集』十一巻をたちまち読み終えてしまった。
十二巻目の書翰集さえ読んでしまった。
本の中にはさみこまれている「月報」という折り込みも、隅から隅まで読んだ。
全部読み終えると、こんどは評伝や評論にまで手を出した。
小山清、奥野健男、桂英澄、壇一雄、坂口安吾といった人たちが、太宰について書いた本を片っぱしから読んだ。
のちには、太宰治の奥さんが書いた本まで読んだ。
奥さんにまで、手を出してしまったのである。
太宰治の何に惹かれたのかというと、ユーモアに惹かれたのである。
太宰の書く道化や自虐から、ぼくはユーモアをくみとっていた。
太宰治の“ユーモア小説”はきわめて少ない。
『黄村先生言行録』『不審庵』『畜犬談』『禁酒の心』『花吹雪』『酒の追憶』などは、明らかにユーモアをねらって書かれたと思われる。
太宰治のユーモアは“自虐のユーモア”である。
『お伽草紙』の中の「カチカチ山」などには、それが強く感じられる。
そういう目で見ていくと、他の作品にも、“ユーモアを感じさせてしまう自虐”を随所に発見することができる。
むろん最初のうちは、『斜陽』や『人間失格』などの“苦悩もの”に惹かれて入っていったのだが、すぐにこっちの“自虐のユーモアもの”に強く惹かれるようになっていった。
日本にはユーモア文学というジャンルはないに等しいといっていい。
太宰治は、ぼくが初めてであった唯一のユーモア作家だった。